いろんな処ぶらりんこ 02’ 錦秋編


 この話は「幕末ぶらりんこ・飯盛山」から始まります。                          幕末ぶらりんこ・飯盛山へ



 会津湯川・勝常寺他 (散策日:10月31日)

会津ぶらりんこ最終日。帰りの新幹線の時間からぶらりんこするのは午前中のみという事になり、そこで東北の古刹、勝常寺を訪ねてみる事とにしました。勝常寺は知る人ぞ知る・・というお寺です。前日旅館の人にいろいろ訊いてみましたが、バスや磐越西線で行くには、どっちにしてもけっこう大変なようでした。なのでタクシーで湯川まで行ってもらい、そこから猪苗代駅へまわる。時間があれば会津藩祖保科正之を祀る土津神社へ行く・・という事にし、朝早めに旅館を出発。会津武家屋敷前から「はいからさん」号に乗り、会津若松駅へ一旦出ました。 そこでタクシーの運転手さんと相談。湯川まわりで12時半までに猪苗代へ行ってもらう事になりました。

湯川は山に囲まれたのどかな田園風景の町です。畑の真ん中に勝常寺はありました。参拝者は私たち親子だけ。とても静かなお寺でした。たまたま薬師堂を参拝して境内を写真に撮っていると、お掃除をしにご住職が出ていらっしゃいました。そこでご本尊や他の仏像を拝ませていただきたい旨お伝えすると「いいですよ。」と。本来なら事前に参拝の連絡を取らなければいけなかったのですが、勝常寺へ行くか母成峠に行くか最後の最後まで迷っていましたので、連絡しないで来てしまいました。(汗) ご住職と一緒に収蔵庫に入り、中の国宝、日光・月光菩薩像をはじめ9体の重要文化財に指定されている勝常寺の仏像と対面。 寺を開いた徳一上人が連れてきたという奈良の仏師の手による仏像です。 資料はこちらから。



会津湯川・勝常寺仁王門 勝常寺・薬師堂



勝常寺は真言宗豊山派の古刹。807年(または810年)徳一上人によって開かれました。徳一上人は興福寺で法相宗を学び、若くして東国へ。庶民の中に入って庶民のための仏教を広めた人です。また徳一上人は伝教大師・最澄との仏教論争で有名。(論争はなんと京都と会津、千キロも離れた土地の間で繰り広げられました。お二人とも・・熱いです。(汗&笑)) 創建当時は七堂伽藍を持つ大きなお寺でした。(現在は仁王門、薬師堂、収蔵庫のみ)一時平安中頃より衰退し、廃寺同然になりました。その勝常寺を京都・仁和寺の玄海僧都が再興。その際、法相宗だった勝常寺は真言宗に改宗されました。天正年間、当時の会津領主・蘆名義弘と伊達政宗の戦いで寺は被害を受け、多くの寺宝を損失。幸い本尊の薬師如来坐像等の仏像は無事だったという事です。その際、ご本尊と間違えて伊達の兵は斬りつけて行った徳一上人坐像、今も薬師堂に安置されています。

薬師堂のご本尊、カーテン(?)のようなものがかかっているお厨子の中に安置されていました。 参拝予約をしていた方も加わってご住職の説明を受けました。 とにかくご住職は早くご本尊のカーテンを閉めたくてしかたがない・・という感じでした。(汗&笑) もともとご本尊のご開帳は原則として一年に一回。(春のお祭りの時) 近年勝常寺の仏像が雑誌等で紹介され、問い合わせが多数寄せられているそうです。幸運にもご住職の説明によって収蔵庫の仏像、薬師堂のご本尊を拝む事が出来ました。あー、本当に勝常寺に来られてよかったです。

この後タクシーに乗り猪苗代へ向かう予定でしたが、運転手さんが「徳一上人が会津入国の際、最初に創建した慧日寺の発掘調査が近年行われていて、その資料館がこの近所にあるんですが、よかったらいらっしゃいませんか?」と言って下さったので、「それでは。」とそちらの方も見学。 怠惰な娘は「タクシーで待っている。」と・・。運転手さんは「私も行きます。」と資料館まで付いて来てくれました。一緒に館内を見学。博識な運転手さんから色々な説明を受けました。本当に会津の運転手さんは親切な方が多いです。(感動)

資料館を後にし、猪苗代町の土津神社へ。ここは会津藩祖・保科正之を祀った神社です。ここには保科正之の御廟もあったのですが、山の天辺。帰りの磐越西線時間もあり、お参りは諦めました。ここでも娘はタクシー内に待機。(ふぅ・・) 代わりに運転手さんが一緒にお参りしてくれました。(ほんとに親切です。うるうる・・) 



猪苗代・土津神社 土津神社内 猪苗代駅より見えた磐梯山



その他、土津神社から猪苗代駅の間の城跡等を運転手さんの説明付きで車内より見学。この運転手さん、若松タクシー所属だという事はわかったのですが、またまたお名前を聞くのを忘れてしまいました。(涙) ご自身の歴史観をしっかりと持った方で、「さすが、会津!」と感動。勝常寺の感動も胸に、帰途へつきました。