幕末ぶらりんこ  錦繍編



 会津若松・飯盛山 (散策日 10月29日)

ついにこの日がやってきましたっ!(ウキウキ) 10月29日(火)、東京の天気は晴れ。前日会津地方の気象予報を聞くため、会津若松局番の177に電話。「とっても寒い。」との事。着ていく物を急遽変更。厚手のダウン&ジャケットに。「完全防備体制」を整えてJR上野駅へ向かいました。出発の電車は東北新幹線MAXやまびこ101号。この電車に乗って郡山経由、磐越西線会津若松駅に10時39分着の予定。東京は天気がとてもよく、完全防備では汗ばむほどでした。いやいや・・しかし、とにかく会津は寒いらしい。お隣の新潟なんか雪が降っているとの事。薄着で行って風邪を引いては大変。2時間半、我慢、我慢・・と言いながら新幹線の中、過ごしました。運悪く、ツアー利用のご年配の方々と同じ車両に。行きの新幹線の中、どういうわけだか既に帰りのお土産の予約を添乗員が取っていました。試食までさせて・・・。 「笹かまぼこ」って言ったって、電車はまだ大宮までしか行っていない・・。(汗)(「笹かまぼこ」は仙台の名産です。) それでもおじいさん、おばあさんは「うまいっ。うまいっ}と言いながら予約の申込書を添乗員に渡していました。こんな光景を見てゲンナリしているうちに電車は郡山へ到着。磐越西線の快速に乗り換えました。郡山は東京に比べれば空気が冷たい感じがしました。しかしお天気はよく、会津地方、天候が悪いとの予報を、「外れたなっ。フッ」と思いながら、車窓から外を眺めていました。「あれっ?」 だんだん外が暗くなってきます。「おかしい・・。なんで・・?」 電車は猪苗代駅を通過。 ガ、ガーン!一面真っ白な銀世界です。かなり積もっていました。「ど、どーしよーーーっ!!」 靴は革靴。「猪苗代がこの状態なら、会津若松はどうなるんだーーっ!」怖くなってきました。。。 しかし、会津若松はさすがに開けたところ。雪は積もっていなかったです。しかし・・・寒い・・。 

午前11時半というバスに乗ってまず飯盛山に行きました。今回は白虎隊の墓にお参りするのはもちろんですが、何と言っても白虎隊記念館の早川館長にお会いして、石田の件をぜひ聞いていただきたい。そのための飯盛山訪問です。白虎隊記念館と土方家とはおつきあいがあります。歳三から数えて4代目ご子孫にあたる故土方康氏が、前白虎隊記念館館長 故早川喜代冶氏に歳三の鎖帷子を送ったというご縁です。故土方康氏は精力的に歳三の事を研究、それを資料としてまとめられた方。新選組研究家や歳三を主人公にした小説を書く作家はほとんど康氏のお世話になっていたのではないでしょうか。かたや故早川喜代冶氏も会津・白虎隊や幕末関係の史跡保存のために尽力。会津新選組激戦の地 如来堂にある「新選組殉難地」という石碑も喜代治氏がお建てになったものだそうです。ご縁を頼りに、私が早川館長をお訪ねする事になりました。会って下さるとの事でしたが、内心はドキドキ。 バスは飯盛山に到着しました。 

まず、昨年も立ち寄ったお土産屋 「あづまや」さんへ。ここのご夫婦、とってもいい方なんです。昨年は帰り際に飯盛山へ行ったので大きな荷物を「あづまや」さんで預かってもらい、そして山へ登りました。その時の温かいもてなしが心に残り、今年行った時もぜひ!と今回も寄らせていただきました。 私たちの事はお忘れになっていたようでしたが(当たり前です)、「憶えていてまた寄って下さったんですね。」と喜んで下さいました。 荷物を預け、山へと向かいます。「帰って来たら熱いお茶と漬物、お出ししますよ〜。いってらっしゃい。」の言葉を背中で聞きながら・・。


飯盛山・白虎隊士の墓



白虎隊士(士中二番隊)19名の墓にお参り。 墓は苗字「いろは」順に右手から並んでいるそうです。昨年は一人ひとりに線香を手向けたのですが今回は時間の都合で中央の線香台へ。 そして合掌。彼らの冥福を祈りました。その後「白虎隊士自刃の地」へ行きました。途中白虎隊士中唯一生き延びた飯沼貞吉の墓にも合掌。かなり急な階段を降り、「自刃の地」へ。昨夜の雪のためかまだ誰も「自刃の地」に線香を上げていないような状態。急いで線香に火をつけようとしましたが、寒さで手はかじかむし、マッチはしけているし・・。ようやくついた火をろうそくにともし、線香を上げました。その時「自刃の地」にいたのは私たち親子二人きり。白虎隊士の像を見ながら「今日もここからはお城は見えないね。」と娘と話しながら、写真をパチリ。その後墓の方へもどりました。 (この写真は「いろんな処ぶらりんこ・不思議な体験」の方にアップ致します。)

墓から下へ降りていき、重文にも指定されている「さざえ堂」の前を通過。昨年内部は見学しているので今回はカットしました。さざえ堂で一番印象に残っている事、もちろん建物の形のユニークなところもそうですが、何と言っても建物の柱や扉に「落書き」が多数あった事です。本当に腹が立ちました。重文といったら「国の重要な文化財」という事です。(これまた当たり前ですが・・)それにまで落書きをするってどういう神経なんでしょう。消す事はできません。(削ったり、ペンキを塗ったりすることはできないので。)本当に情けなくなりました。その後白虎隊が猪苗代から飯盛山まで伝ってきた戸ノ口堰洞穴を見学。昨年もそうでしたが、戦い疲れて、その上丸1日以上飲まず食わずで猪苗代から水路を通って飯盛山の洞穴出口までやってきた白虎隊の少年たちの事を思うと心が痛みました。坂を下りていき、白虎隊記念館へ到着。中を見学。その後館長さんとお話させていただきました。館長さんはじめ記念館の職員の方にも石田の件、協力していただきました。館長さんが「人数、必要でしょう?」と会津武家屋敷へ電話をして下さいました。「午後4時半までに武家屋敷へ行って下さいね。」「有難うございました。」館長さんや職員の方にお礼をいい、記念館を後にしました。




飯盛山・戸ノ口堰洞穴
飯盛山・さざえ堂



その後、白虎隊伝承史学館へ。見学後、館長さんに「展示してある伊東甲子太郎の韮山笠、あれはどちらで?」と声をかけました。不審そうに館長さんは、「何で?」「知り合いに「白虎隊史学館はいいわよ〜。」と紹介されまして。それで見学させていただきました。、伊東甲子太郎の韮山笠なんて珍しい物があったので気になりまして・・。」「うん。あれはね、京都で・・なんだよ。これ以上は言えないの。ほら、いろいろあるからね。」「よくお探しになりましたねっ。」「うん。(とっても嬉しそうに・・笑) あれは私の持ち物の中でも「お宝」のひとつですよ。」こんな会話を交わすうち、私は日野石田の件を館長さんにお話ししました。「いいよ。」と快諾。協力してくださいました。お礼を述べ、次の滝沢本陣へ急ぎます。