幕末ぶらりんこ  梅雨寒編



 沖田総司 その1 (散策日 6月11日)

6月23日(日) 東京麻布の専称寺で新人物往来社主催「総司忌」がありました。 沖田総司の墓にお参りできるのは一年で唯一この「総司忌」の時だけ。 一年に一回しか「織姫と彦星」のように総司に会えないのなら(笑)、やはりこの機会にお参りしてこようと「総司忌」に参加する事にしました。 それで専称寺の場所や、その後の伊東成郎先生の講演会場になっている国学院大学院友会館を確認する為、6月11日 「総司忌」の下見に出かけました。その際、総司終焉の地とされる台東区浅草にある今戸神社にも寄ってきました。

まず都営地下鉄大江戸線で蔵前へ。そこで乗り換え浅草まで行きました。 浅草から今戸神社近くまで行くバスを捜したんですが、駅周辺がゴチャゴチャしていて見つからず、その後の時間もあるのでタクシーで今戸神社へ。 ここは松本良順の屋敷があったとされています。総司終焉の地といわれている場所は現在2つあります。ひとつは千駄ヶ谷の植木屋、そしてもうひとつは此処です。 神社は明治になって現在の場所に移転してきたようでした。  どんな思いで総司はこの場所で最期を迎えたのでしょう・・・。



浅草・今戸神社
                                                    沖田総司終焉の地の石碑


この時まだ午前9時頃、通りまでいったん出て、またまたタクシーで伊庭八郎関係の史跡、台東区稲荷町の下谷神社、御徒町にあった伊庭道場跡を見に上野方面へ向かいました。途中千束4丁目付近を通過。何やら他と空気が違う・・。「あ、吉原だ。」と感じました。しかし、この時はまだそんなに興味を持っていない時で、「やはり異次元空間だなぁ。」と思っただけ。台東区稲荷町の下谷神社をお参りした後、徒歩で御徒町へ。伊庭道場跡に建っている北陸銀行のビルをいっくら捜しても見つけられず・・。(涙) しかたなく今回は諦めました。
(伊庭八郎に関しては「幕末ぶらりんこ・伊庭八郎」をご覧ください。)

ここで午前10時のお茶タイム。上野・風月堂(「ふう」の字が変換できない・・)で休憩を取りました。

そして本日一番の目的地、再び大江戸線に乗り六本木へ。 六本木は都会です。(当たり前なんですが・・笑) 着いたのは午前11時過ぎ頃。この時間になると朝曇っていて天気が悪かったのが嘘のよう、晴れてきて蒸し暑いくらいになりました。
専称寺は六本木駅から徒歩5〜6分のところ。大きなビルにはさまれた小さなお寺です。本堂の前にも門(一般家庭の鉄製の門)が付けられていて、本堂すらお参りできない状態になっていました。本堂の裏が墓地。塀が低い為、中が見えました。 そして総司の墓を発見! 思わず、「総司く〜ん!」と手を振ってしまいました。(笑) 屋根のついた小さな小さなお墓でした。



沖田総司の墓(中央の屋根付きの墓) 塀越しに撮影



本堂の前、門のところに総司の墓参にきて花を置いて帰る人のために桶が置かれているのですが、門扉に「花を入れる桶も誰かに持ち去られてしまいました・・・。」と書かれた紙が貼ってありました。この「・・・」に専称寺さんの一部の総司ファンに対する怒りを通り越した諦めのようなものを感じました。 何十年か前、某有名アイドルが映画で総司役をやった時、トラックで総司の墓を運び去ろうとした女性ファンがいたらしいという事を或る本で知りました。こういう考えられないような事をする人が世の中には本当にいるんですね。。同じ新選組ファンとして恥ずかしい・・。(こういう人は「新選組ファン」ではないですね。)


東京麻布・専称寺 専称寺本堂(門扉が付いていて中には入れず)


この後、昼食。総司忌の時、友人でリンクでもお世話になっている『雑感草子』の六条さんとご一緒する事になっていますので、予め食事をとるレストランも物色。手頃なイタリアン・レストランを発見。其処にする事にしました。そして国学院大学院友会館の場所を確認、バスで渋谷で出て家へ戻りました。

※専称寺のすぐ近くの寺が大きなビルが建つために移転になっていました。ま、まさか・・、専称寺も将来移転・・なんて事にならないでしょうね。(すっごく不安・・)


 沖田総司 その2へ続きます。(「進む」をクリックして下さい。)