幕末ぶらりんこ  梅雨寒編



 伊庭八郎 (散策日 6月4日)

もともと伊庭八郎という人物は嫌いではないタイプでした。以前読んだ中村彰彦氏著作「遊撃隊始末」に出てくる八郎は「江戸っ子」そのもの。粋でいなせで・・、何よりも生き方が潔い! 自分の信じた事をパッとやってパッと散った・・そんな印象があったんです。それがお友達のおちくぼ姫さんの影響で調べていく中、八郎が非常に「意外性」を持った人物である事がわかりました。この「意外性」。剣豪にありがちの「剣術馬鹿」ではなく、「征西日記」(これは「京都グルメ日記」のようにもとれますが)に書かれている事や遺されている俳句・和歌などからも非常にインテリジェンスを感じる。更には幼い時虚弱体質で運動嫌い。(しかし勉強好き) 16になるまでまともに剣術の稽古をした事がなかった。その後の「発奮」であのように成長していく。・・・やはり「天才」。(ニヤリ) ここまで来たらもう私の「大好き!リスト」に入れるしかない!・・というかんじです。(笑) たまたま八郎の墓の話が出て、その墓が中野区にあるというので、またまたぶらりんこをする事にしました。

まず地図で東京・中野区内の寺院を確認、貞源寺を見つけました。都営地下鉄大江戸線で落合南長崎駅まで行き、バスに乗り換え江古田二丁目下車、徒歩2分のところに貞源寺はありました。本堂をお参りした後、早速墓地に行きましたがどれが八郎の墓なのかわかりません。寺のご住職宅を訪ねると ご隠居様(もしかしたらご住職とも思われます。ここではご隠居様という事に致します。)が出ていらして、わざわざ私を八郎はじめ伊庭家の墓まで案内し、そして説明までして下さいました。

それによると

・貞源寺は伊庭家の菩提寺。もともとは浅草にあったのだが関東大震災で焼失。そのために現在の場所へ移転。(伊庭家の墓は火や煙をかぶったのか・・黒かったです。)

・ここにある伊庭家の墓は心形刀流の初代から八郎の後である伊庭想太郎(八郎の実弟。明治期、第4次伊藤内閣の時逓信大臣を務め、その後東京市会汚職事件関与の疑惑を受けて辞任した政治家、星亨を暗殺した人物)までのもの。
※伊庭想太郎について辞典によっては「テロリスト」と書いてあるのに対し、ご隠居様は「教育者」とおっしゃっていたのが印象的でした。

・伊庭家は絶えている。(でも墓地内に伊庭姓の墓がけっこうあったんです。あの方々は関係ないのかな?)

・伊庭家には「八郎」という名の人物が他にもいる。(6代目)

・八郎は実母と合葬されている。(遺骨が埋葬されているのではない。八郎は函館に眠っている)

・箱館戦争の時、爺やも八郎に同行。彼の死後、この爺やが遺髪や遺品を持ち帰っている。しかしその遺品も関東大震災の折焼失。
(この「爺や」なんですが、八郎がとても懇意にしていた上野広小路の「鳥八十」の料理人 荒井鎌吉だという事が後日わかりました。八郎の最期を看取っています。)

この日は非常に暑くて無風、ご隠居様に「暑いのでお水をかけてあげたいんですが・・水道と桶を貸していただけますか?」そうお願いすると、私を井戸まで連れていって下さいました。 珍しい!こんな東京の都心にまだ井戸があるなんて。桶に二回ほど水を取りに井戸へ行きました。伊庭家の墓石全部にたっぷりと水をかけ、そして合掌。 八郎に「写真を撮らせて下さいね。」と頼み、シャッターを切りました。



伊庭八郎の墓(真ん中)

     水をかけた後撮影したので法名が見えませんが、真ん中の墓石・左側に「秀頴院清譽是一居士」と刻まれています。




帰り際、若奥様(だと思います)に、「またお参りしてください。」と声をかけられました。感激しました。貞源寺は閑静な住宅街の中にあり、とても掃除が行き届いていていいお寺でした。門を出ると左手にお寺のお知らせ板があり、その中に「心形刀流演武」の文字を見つけました。「心形刀流」はまだ継承されていたんですね。ちょっと安心しました。

しかしこの日は本当に暑かった・・。帰宅してしばらく動けませんでした。(疲れて) ちょうど午後からワールド・カップ第一戦 日本対ベルギーがあった日。(なんか・・遠い昔の事みたいになってしまいましたが(笑)) いろんな意味で感慨深い一日でした。



東京中野・貞源寺 貞源寺境内 下谷稲荷神社




 6月11日に行きました沖田総司関係ぶらりんこの際本年の「八郎忌」会場となりました上野下谷稲荷神社にも足を運びました。
八郎は下谷御徒町に住んでいましたので、たぶんこのお稲荷さんにはよくお参りに来ていたであろうと思われます。こちらに写真、アップさせていただきます。

 墓にいた時不思議な事がありました。ご隠居様がもどられた後墓地には私一人だけだったんですが、八郎の墓の後ろにある卒塔婆がガクッと右側に動き、そしてもとの場所にもどりました。この日は快晴、無風状態です。(私は八郎が墓参を喜んでいるんだと解釈しています。)