写生・デッサン      吉田敦彦作品集

Rearistic-drawing by Atsuhiko Yoshida

下の写真をクリックしてください


秋峰午前
(武川真原から甲斐駒)
M15油

秋峰午後
F10油

安良里港(西伊豆)午前
M15油

妙義湖秋
F8

安良里港小雨
F8

安良里港午後
F10

妙義湖初夏
F8

初夏峡底(裏妙義)
F8

春彩七妍
F6

胡蝶蘭
P8

遊蝶花
F6
晩夏の花たち
F8

赤い花と柿
F6

午後の花
F4

晩夏の花
F8

初冬の花
F8

庭の実り
F4

チャイナドレスの人
M15

立像
P8

ブーツの少女
水彩着色紙B3




Sさん
F6水彩
吉田敦彦のホームページへ
抽象絵画のページへ
 見えるものを描き写し、それを仲間に見せて対象から得た感動を伝えようとする描写の努力は、人間が人間として現れた太古から行われてきたものであり、人間の認識と表現の、基本的な行動だと思います。ところが、写真が現れて以後、機械のお陰で正確さにおいて便利さにおいて進歩した反面、対象を自らの目で確かめ自己の認識を深めたり感動を深めたりする最も基本的な部分が薄れてきているのではないかとも思い、そこから今、描写はもう一度見直されるべきではないかと思っています。そうでないと人類は貴重な自然との接点を失いますます孤独を深めることになるのではないですか。

 私が抽象表現に近い作品を作る一方で、以下にあるような描写(デッサン)を続けてきたのは上記の気持ちがあるからです。抽象にしても、描く以上、対象(抽象においてはキャンバス空間のことです)が正確に見えていなければならない。その目は常に研ぎ澄ましていなければならない。そのためには描写が一番良い方法だと思うのです。
 また、絵画を表現と捉えていますが、人間の内面を底なしの泉とは思っていない。泉の水は伏流水だから、どこかで天(自然)から補給してもらわなければ涸れてしまうはず。内面を充実させるためにも自然の描写が最善の方法だと思っています。
 ですから私の描写はまったく単なる正確な写生です。当然、常に実物を見て描き、写真などからの引き写しは行いません。ただ、自然から受けた感動をありのままに表現するためには、若干の強調や空間構成上の整理はやむをえないことと思っています。キャンバスの空間は限られていますし絵の具の色彩は自然の加算混合の色彩にかなうはずがないのですから。
 とはいえまた、ゴッホやセザンヌやピカソなどなどの、先人たちの表現領域開拓の跡を受け継ぎながら未だに描写だけに頼ったり、そのための技法だけを見せびらかすような行きかたを認める気はありませんが。

人体素描のページへ

春日満開
F15油


山麓果樹園初夏
M15

冬の日差し
F6

艶花
F6

ハイビスカス
SM

三宝柑
 F4


さくらさくら
F15

ペルージャのスケッチ

フォロロマーノ

小柄なヌード
P8
葉鶏頭1
F8

葉鶏頭2
F8

青年
F4

Nさん
F4

秋果
F3

大輪
F3
冬日差しに
F6

光の春
F6

腰掛のポーズ
P10
風景水彩スケッチのページへ

光の春
SM

柚子
F3

スイトピー
F3

南の花
F3

春陽
F3

戸田岬にて
P10

戸田岬から
P10

若い人
F10

向日葵
F8

妙義岩峰午前
F8

妙義岩峰午後
F8
小春日
F3

春酣は
F8