あうちすむ / 2012-1 /

寒波が…
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「妄想」とは何なのか。また対処法とは?

2012/1/25

妄想というのは、事実ではないものを事実であると(本気で)思い込むことで、
えろえろ、あひゃあひゃ、といった程度のものではない深刻な症状です。

「自分に対して危害を加えようとしている人や勢力がある」といった被害妄想や、
それが転じて自分の身を守ろうとして攻撃的になったり、他人を巻き込もうとしたりすることもあるのが特徴です。
いずれにせよ本人はそれを「事実」と認識しているため、大きな障害となってしまいます。

妄想への対処法はただ一つ。
決して妄想と取り合ってはならないということです。
どんな理由があっても、妄想そのものを肯定したり、否定したり、説得したりしてはいけません
妄想とそれに基づく思想を完全に無視するか、まったく関係のない話題を提示することが大切です。

妄想はしばしば相手の弱みや失敗を的確に指摘し、「グサッ」と来たり、「ムカッ」と来たりすることがあります。
しかしそれに対抗しようとしてどれほど理性的・論理的に反論しても、まったく意味を成しません。
決して妄想と取り合ってはならないのです。
相手の話をよく聞こうとして妄想に関心を示すことは、絶対にしてはいけません。

正直すぎるアスペルガー

2012/1/9

正直者でいることや
素直すぎる性格というのは
今の時代を生きる上で不都合である場合が多いです。

強がったり虚勢を張ったりすることができないのです。
あくまで「自分中心」なので、自分にとって可能ではないことは、可能であると偽るわけにいかないからです。
なぜ、できないことではなく「できること」を認めてもらえないのか。

限界が限界でないのなら、それはどう認識すればいいのでしょう?
無理をしても誰もいいことはないのです。
私の「余裕のある」ことには本当に余裕があります。

肩書きが存在しない

2012/1/3

私には肩書きがありません。
世の中には「肩書きを取れば何も残らない人」と、
「取る肩書きすらない人」がいます。
私はもちろん後者です。

いや…実際のところ「私そのもの」が一つの肩書きのようなものであり、
死ぬまで決して取り外すことのできない状態といえるのかもしれません。
知らず知らずのうちに、自分自身がブランドのようなものになっているようなのです。

今の世の中。とりわけ「人間」にとっては肩書きやある程度の「資格」は必要不可欠で、
依然として学歴や資格を取ろうと躍起になっている人が多いのが現実です。
それがなければ「社会から相手にされない」というのです。

では私はどうですか?
私に高度な学歴や資格が「あった」としても、私を必要とする人はいないでしょう。

人が私を必要としないのと同じように、
私もまた人を必要としないのです。

私は私を必要としていない人のためではなく、必要としている人のために存在しているのです。

新しいマナビノギブログ

06/05/2008 11:23
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不評だ(爆)
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まび☆のぎ

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