2006/02/26 追加, 2011/06/04微調整
erudition-0023
薀蓄「ベートーベン第九」……空は晴れているか?
音楽サイトになりきれない当サイトらしい薀蓄です↓。

はーれーたーるー、あーおーぞーらー、たーだーよーうーくーもよ〜
と歌ってなどいないと、すでに私は、どこかで書いた。
では、何と歌っている?
それも書いたのであるが。教育ママ・パパに率いられたお嬢様(クソガキ)がコンサート終了直後のたまわく:
何いっているか、さっぱりわかんないよぉ(;_;)
私は原文知っている(蔵書一覧にあるとおり)。でも、正直に告白しておこう。
時折聞き逃してしまうことがある。しかも「あれ、君たち、何て言っていたっけ?」と解らなくなる箇所がいくつかあるのである

とくに、コーラス4部が、それぞれ別の歌詞を同時に歌う場所:

  • 歓喜よ麗しき神の火極楽からの娘〜
  • 抱き合え数百万(の人々)よこの接吻を全世界に
  • ……歓喜よ!……歓喜よ!
  • あああーああーああーああーああーああーああーああーあ……

こうオペラまがいのことをしてくれると、
オレの耳もイカレてしまったのか?
とか思えてくる。いや、多分、言語性難聴となった作曲者の腹いせだろう。ただでさえ乱筆の彼は、その場所の手書きメモ、完全な殴り書きになっているからである。
まるで、「ハレルヤ・ハレルヤ」といっているようだ
と感じても不思議はない。バカが「はれたるあおぞら」などと訳(?)してくれているし、「ハレルヤ」とキリシタン満開な台詞を水田恐竜氏が感じて、「ハレルヤーハレルヤー♪」と「第九の歌詞」を「まりんスクランブル」に書いても不思議はない。
ちなみに独語原文に「ハレルヤ」の語は、一切ない
にもかかわらず、「ハレルヤ」の語は、端的に第九を象徴している。というのも、ベートーベンの第九は「造物主への賛歌」でもあるからである。
薀蓄の上塗り:
出典は、「まりん」なる女装男子学生が「クリスマスを満喫する」ときの4コマ漫画から。
幅広いシュミの「まりん」が「チャリティーパーティー」「第九鑑賞」さらには「SMクラブのクリスマスパーティー」にと出かけ、その「ギャップについていけない」と妹を悩ませるシーンである。
「第九鑑賞」のカットには、観客席に轟き渡るように「ハレルヤ」が書かれた。
作者は、一応、取材に赴いたに相違ない。というのも、下記に書く歌詞の直後にソプラノ合唱が金管楽器の音色に乗って轟くように歌う文言の一部、ドイツ語の「天の汝の聖殿へ(とわれわれは歩み入る)」が「ハレルヤ」に聞こえないでもないからである。なお、この曲は、ドイツのネーティヴスピーカーにさえ「聞き取り難い」という定評がある。ゆえに、「第九が聞き取れない」などといってドイツ語能力の自信をなくす必要もないはずである。
「跪いたか数百万の人々よ?
造物主を感じるか、世界よ!
星ぼしの天幕の上を探せよ、星ぼしの彼方上空に彼(造物主)は住み給うに相違ない」

さて。「大工がトンカチもってガンガンたたく」というのは、実は出典がある。
高橋 聖ーナ「パパはニューギニア」である。

オールバックの白髪の人(ルードヴィッヒに似ているw)。
トンカチもって「ととととーん」とイスに釘を打つ。
たまに指も打ってしまい、「ずきずき」と擬音が入る。
観客席で男、目を見張る、
「ベートーベンの大工?」
欄外には(救いようのない)注意書き
「タタターンは運命だ」
待て。虚心にかえって、表ページの第一楽章を少し聞いてみよ。……これの、どこが、喜びの歌、だ?
「第九」というよりも、それこそ、「たたたたーん」「ずきずき」満開の、「大工」そのものではないか?
第九の第一楽章は、痛ましい。しかし、苦しいオイラの心を代弁してくれているようにも感じる
(ということで、ぢつは私、第一楽章が一番スキだったりするのだがw)。
第一楽章ならば、数ページの譜面でも、「第九」とわかるぐらいである。

一昔くらい前、オーストリアに観光旅行に行った時。ツーリストから離れ、ヴィーン近郊のバーデンに向かった。
そこは、ベートーベンが第九を書いた場所、という。当時(今も?)ベートーベンの暮らした家が、博物館になっていた。そして、ベートーベン第九の手書き譜面(オーケストラ譜)が「どん」とガラスの中に展示してあったのである。……開いていたのは、表ページ第一楽章の、3分23秒ごろの部分である。思わずカメラを向けたら、怒られた(;_;)。だが、かろうじて、一枚だけ、撮影した。ピントがぼやけているのもさることながら、窓際の机であるにもかかわらず、薄暗い。……曇天で、空は晴れていなかったためである。

「ベートーベンの第九」欄に戻ります。      トップメニューに……。