魔法使いの王子様


第10話 過去の出来事






期限の残り日数は、あと10日。

今日は乾との試験だ。

乾から呼び出された場所は、トレントの森だった。
ここは手塚と出会った思い出の場所。
ここでの戦闘になるのなら、一気に片を付けたい。
それくらいにリョーマの中では大切な場所なのだ。

「乾先輩…何で?」
「別にギャラリーがいても問題は無いだろう?」
「そりゃそうだけど…」

ちらりと周りを見れば、八賢者が全員揃っていた。
菊丸が楽しそうにこちらに手を振っているのが見える。

ただし、見ているだけだ。
手を出してはいけない。
魔法を使用してはいけない。
その為、八賢者には呪文を唱える事が出来ないよう、南次郎から魔法を掛けられている。

「さて、始めるか…」
「お願いします」
乾の開始の合図に、リョーマはごくりと唾を飲み込んだ。
「まぁ、そんなに固くなるな…あぁ、越前」
「何ですか?」
名前を呼ばれると、返事を返す。
未だに何をするのかがわからない今、素直に話を聞くしかないのだ。
「お前、あの手塚と付き合っているんだろ」
「…そうですが。何か?」
八賢者の中で一番の情報通の乾が知らないはずは無い。
だからリョーマは言われても焦ったりしない。
「それなら、これは知っているか?」
ニヤリと眼鏡の奥が笑っている。
とても嫌な笑い方だ。

乾は呪文を唱えると、リョーマに向けて手をかざす。

「…な、何コレ?」
その場でうろたえるリョーマ。

一体何が起きたのか?

「乾は何をしてるのかにゃ?」
「魔法のようだけど…」
菊丸の疑問には不二が答えた。
2人から離れた場所でその光景を見ているが、何をしているのかは、はっきりとしない。
乾がリョーマの顔の前で、手をかざしている。
それだけしか解らない。
「何だか嫌な予感がするね」
「タカさんもやっぱりそう思いますか?」
「ちっ、てめぇもかよ…」
河村は己の中で悪い方向に行きそうなこの試験に対し、胸騒ぎを止められない。
それは、桃城も海堂も同じだった。

きっとリョーマは合格する。

だけど、何かが起きてしまうのかもしれない。
そんな予感がしていた。


「リョーマ…」
手塚の中にも、これまでに無いほどの不安が胸を過ぎっていた。
「…こんなの見せて、どうするつもり?」
「おや?何とも無いのかい」
「当たり前…」
「ふーん。なら、合格かな…」
リョーマの瞳には、ギラギラと燃える炎が見える。
乾は自分が見せた物に対して、その炎が消えるかと思ったが、全く消える事無くその瞳に留まっている。
1人前の魔法使いならば、精神を揺さぶる魔法に掛かってはいけないのだ。
リョーマはそれに掛からなかった。
だから、乾はあっさり「合格」と伝えた。

「じゃ、これ」
「ありがとうございます…」
乾から渡されたのは、黒色の宝玉だった。
今のこの男には最適な色だと、リョーマは感じた。
それを杖にはめ込むと、7つの宝玉は一斉に輝きを放っていた。
杖に力を感じる。
…でもまだ足りない。
あと1つでこの杖の本来の力が使えるのだ。
あと1つ、手塚の持つ宝玉のみで魔法使いとなれる。

「お疲れ様、リョーマ君」
「やったね、おチビ。あと1コだね」
試験が終わると、八賢者に掛けられていた魔法が解けた。
不二と菊丸はすぐにリョーマの元へ向かった。
「うん…ありがと…」
しかし、リョーマの表情は暗い。
俯いて何やら考え込んでいる。
どうやら乾の仕掛けた魔法によって精神面にダメージを受けているようだ。

「リョーマ…」
手塚が自分の名前を呼ぶ、何だかそれが酷く辛かった。
出会う前の事なんて何も知らない。

…でも知ってしまった、俺と出会う前のこの人を。

「…国光…」
一度だけ愛しいその人の顔を見たが、直ぐに逸らしてしまう。
「リョーマ?」
痛々しいまでの表情に、もう一度名前を呼び掛ける。
「…移動せよ」
しかしリョーマは手塚の呼びかけには応じず、瞬間移動の魔法を唱えた。

…この場にいたくなかった。

一瞬にしてその姿は、この場所から消えてしまった。
「乾、お前何をしたんだ」
手塚はとっさにそう叫んだ。
先ほどの試験の中で、リョーマはこれまでと違った瞳をしていた。
とても嫌な胸騒ぎが手塚の中で巻き起こる。
「何って言われても、とりあえずコレを見せたんだよ」
再び手をかざし、リョーマに掛けた呪文を唱える。
その場にいた全員の頭の中に自分の意思とは関係無く映像が浮かび上がる。
「…これをリョーマに?」
「そうだよ。精神を追い詰めるのには丁度いいからね」
リョーマには、最も効果のある攻撃だと確信したから。
だから見せた。理由はそれだけだ。
「これって、手塚の彼女みたいな関係だった人?」
「そうだね…確か、『菜々子さん』だっけ?」

乾がリョーマに見せたもの。
それは手塚の過去。
少しの間だったが、男女の付き合いをしていた女の人。
それは、リョーマの良く知る人だったのだ。
衝撃はリョーマを襲い、続いて手塚を襲った。


「確かめなくちゃ…」
魔法で移動したのは、自分の部屋。
その中で自分の指を切りつけ血を床に零している。
ぽたり、ぽたりと落ちる真っ赤な血は、円を作り出し、文字を描いている。

―――それは見覚えのある魔法陣

「皆…出てきて」
皆とは、リョーマを守護する精霊達だ。
「御呼びで御座いますか」
炎とともに現れたのはサラマンデル。
「何ですか〜?」
風とともに現れたのはジルフェ。

「何か御用ですか」
水とともに現れたのはウンディーネ。
「何用か?」
地とともに現れたのはコボルト。
「俺…今から異世界に行って来るから。魔法陣の効力が無くなるまで、この部屋に誰も入れないで欲しいんだ…カルピンも頼むよ」
それだけを言い、リョーマは魔法陣の中心に立つ。
「我は時空の狭間に生き、魔法を使いし民。我が願いを叶えたまえ。我が名はリョーマ!」
魔法を唱えると、その姿は闇の彼方へと消えて行った。

「リョーマ!」
その数分後、ドアを叩く音と声がした。
慌てているのが良く判る手塚の声だった。
バンっと大きな音を立てて、中に入り様子を伺う。
そこにリョーマの姿は無い。

「…リョーマは?」
「我が主は異界へと旅立った」
部屋の主はいなかった。
ただその主を守る精霊と幻獣だけが室内に残されていた。
「…リョーマが異界へ?」
「左様。戻りが何時になるのかは、我らにはわからん」
精霊の言葉に手塚は、力が抜けたよう
にその場に膝を付いた。


魔法使いになる為の期限は、あと10日。
しかし1日は既に使用しているので、あと9日しかない。
リョーマは魔法使いになることを放棄したのか。
それとも理由があって、この場から姿を消したのか。
それは本人のみにしかわからない。



「懐かしいな…」
数ヶ月前までは自分もここにいたのに、何だか何年も経っているように思える。
「…確かめないと」
オートロックのマンションは、本来ならセキュリティーの関係で中に入る為には、まず訪問する部屋の主にロックを外してもらわないといけない。
しかしリョーマには、関係の無い事だ。
魔法で部屋の前に現れた。
リョーマは微かに震える指で、インターフォンを押した。
「…はい?どちら様ですか」
そこから聞こえてくる声は、自分がいなくなる前の時と全く変わらない、柔らかく優しい女性の声だった。
「…菜々子姉…俺だけど」
「リョーマさん?どうして…すぐに開けますね」
「うん…」
ガチャンと音がし、ドアが開けられた。
「リョーマさん」
その姿も、何も変わっていなかった。
長く伸ばされた髪。女性らしい身体。
「久しぶり、菜々子姉」
「今日はどうして?」
戻ってくるとは思っていなかった字人物が目の前に現れて、かなり驚いた顔をしている。
「うん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「…私にですか?」
「そう、大事なコトなんだ」
「そうですか…とにかく中にどうぞ」
「うん。お邪魔します」

開かれた時と同じ音を立てて、ドアは閉められた。






魔法使いの王子様 第10話です。
手塚と菜々子がお付き合いしていたなんて〜。

こんな展開になるとは…。