8. 百面相人生

 今から十年前、日本設備工業新聞社の長岡社長と荏原製作所の玄関で、バッタリ出会ったのがきっかけで「馬耳東風」 が始まった。
 それ迄文章等まったく書いたことのなかった私は、好い加減に読み流してもらいたいという願いもあって「馬耳東風」 という題にして、内心では半年も続けばいいと思っていた。
 ところが、いざ毎月決まったテーマを取り上げて書き続けているうちに、これは私自身の生涯学習のためになかなか役 に立つと思い長岡社長に頼み込んで、悪戦苦闘しながら四年間程書いたとき、せっかく四年問も書いたのだからと自費で 本を出す決心をした。
 本の題は勿論『馬耳東風』。
 ところが出版を依頼した会社の担当者が、何か別に副題をつけないと、どんな内容の本なのかわからないというので、 やむを得ず副題を「馬に憑かれて五十年」とした。
 それからさらに四年、また原稿がたまったので性懲りもなく今度は副題を「自縄自縛」として二冊目を出した。
 そして今回、またも私は副題を「百面相人生」として三冊目を出す準備をしている。
 毎月書く四〇〇字詰原稿用紙七、八枚が、積もり積もって三冊の本を作れるだけのボリュームになったのだ。
 まったくの素人がいきなり本を出そうと思って書き出してみても物書きでもない人間が三冊もの本を出すこと等まず 不可能だと思う。
 毎月コツコツ書いてきたお陰で良い冥土の土産ができたと感謝している。
 一冊目を改めて読み直してみると、文章も稚拙で面映ゆいばかりだが、私の人生から「馬」をとったら何も残らない ことに気づかされた。
 五十年の馬乗り人生の前半は馬によって私はその人生を完全に誤ったと後悔し、もう金輪際馬には乗るまいと決心して 仕事に打ち込んだ時期もあったが、少し仕事が軌道に乗ってくると、どうしても蟻地獄ならぬ馬地獄から這い出すことが できず、以前にも増して馬にのめり込んでしまった。
 その結果、病気はするわ、会社は二度も整理するわと実にいろいろな経験をしたが、よく考えてみると結局後半の二十年 は前半の馬への投資が無駄ではなく、馬によって人生の楽しみを知り、私なりの人生論を持つことができたように思う。
 そして馬から受けた最人の教訓は「善因善果・悪因悪果」ということだった。
 善い行いをすれば善い報いが得られ、悪いことをすれば悪い報いがくる。その法則が崩れると世界は暗くなる。
 しかし、善因と信じてとった行動も、それが馬にとって本当に心地よく都合の良いものかどうかが問題で、もしそれが馬 にとって不愉快なものであったとしたら、確実に悪果となってはね返ってくる。
 馬の調教という観点からすれば、馬に一時的な苦痛を与えても非常に優れた調教師の手にかかれば、将来人馬により良い 調和が生まれることもあるが、大半の馬乗りにとって、馬からの反抗は問違いなく騎手の悪因があったと反省すべきなのだ。
 要するに私は、馬からまず相手の身になって考え行動するよう努力する術を学ばせてもらったと思っている。
 二冊目の「自縄白縛」では八年問も毎月決まって一つのテーマを取り上げて私なりの結論を引き出す習慣が身について、 これからも毎月の投稿を続けさせて頂ければ、なんとなく生涯学習の目途が立ったような気がしてきた。
 ところが毎日エッセイと称して偉そうなことを書いてきた手前、幸か不幸か浮気は勿論、諸々の誘惑をじっと我慢して 自分なりに模範的生活をしなければ、とりあえず家族の手前申し開きができないと自縄自縛に陥ってしまった。 しかし、今考えてみると、この自縄自縛も満更悪くはないとそれを副題とした。
 従って、これからも自分白身のために、悟ったようなことを書くつもりでいる。
 そして三冊目の副題は「百面相人生」。
 私の人生を私なりに楽しく充実したものにしてくれているものは何かと考えた時、それは間違いなく馬術であり彫刻 であり、そして毎月のエッセイということになる。
 しかし、これは総て元をただせば馬があったればこそであり、もし私が馬に乗っていなかったなら、恐らく私の人生は 無味乾燥なものになっていたに違いない。
 要するに私は馬という一つの顔で唯々笑ってみたり、怒ってみたり、時には泣いてみたりしていたにすぎず、その顔の 一つひとつが馬の彫刻であったり、馬術であったり、またはエッセイになっているのだ。
 本田宗一郎はよく「得手に帆あげて」と言っていたが、老後の人生を効率良く、そして楽しく暮らすには、得手に帆 あげて一つの顔を使い分けて百面相人生を送るに限るというのが、この十年間での私なりの結論である。
 しかし、私も今年七十歳、どう贔屓目に見てもあと一、二年もすれば現役の馬術選手として全日本選手権には出られなく なるだろう。
 かといって老人馬術よろしく一週間に一、二度栄養失調の馬にポクポクと乗馬を楽しむ気には到底なれない。
 選手権大会で現在日本のトップ級の選手と対等に技を競うところに馬術の醍醐味があると信じているからだ。
 そう考えてくると彫刻という重労働の仕事も、あと五、六年の命のように思われるし、それ以上仏様が私を生かして くれるとすると、この百面相の枠をさらに広げて足腰が弱ったときの人生の楽しみ方を今のうちから準備しておく必要がある。
 人はよく第二の人生という言葉を使うが、私に言わせれば、第二の人生は生まれたときから常に第一の人生と並行して 存在するものだと思っている。
 即ち第一の人生は人間としてこの世で生活していく上でどうしても避けることのできない、迷いの世界、煩悩の世界、 相対の世界であるのに対し、第二の人生は悟りの世界、涅槃(ねはん) の世界、絶対の世界に浸りたいと願い精進努力する世界だ ということができる。
 いよいよ足腰が思うように使えなくなったら、その時こそ第二の人生を自信を持って歩めるように今のうちから心の準備 をしようと考えている。
 しかし、これとてもやはり馬を抜きにしては考えられそうになく、我ながら「馬鹿は死ななきや治らない」と思ってみたが、 内心ではこの(やまい)、死んでも治りそうにないと思うし、また治らないことを望んでいる自分に気がついた。

(2000.7)