5. 老人力

 最近何故か「老人力」等という変な言葉が流行(はや) っている。
 つい先頃も、何の気なしにテレビのスイッチを入れたら、NHKの「クローズアップ現代」でこの「老人力」を取り上げていた。
 流行語になった「老人力」を知っておくのも悪くはないと思い、そのまま見ることにしたが、残念なことに番組の途中 からであったため、「老人力」の真の正体を捕まえることはできなかった。
 唯、その本を読んでいたく感銘を受けたという人の話によると、年をとって今迄のようにスポーツができなくなったけれ ど、後輩の指導に専念することで生きる喜びを見出したとか、お陰で肩の力を抜いて生きることを覚えたと嬉しそうに語っていた。
 そしてまた、肩の力を抜いてバットを振れば、きっと巨人軍の松井選手も、ホームランの量産が可能になるに違いないとも付け足していた。
 十二分なパワーを内に秘めながら腰を据えて、その上で肩の力を抜いてバットを振り抜くのと、 老人になって腰をひょろつかせながら肩の力が抜けた感じとではその内容に雲泥の差があると思うのだが。
 肩の力を抜いて生きるのはいいが、肩の力が抜けて腑抜けのような生き方をする考え方に私はどうも賛成しかねる。
 また自分の身体が思うように動かなくなったから後輩の指導でもしようかというのも迷惑な話で、スポーツというものは 指導者が一流ならいざ知らず、国民体育大会で優勝したとか、大学時代に正選手で活躍したぐらいの人に指導されたら、 かえって変な癖がついてどんどん下手になるものだ。
 そんな老人につかまって無駄な時間を取られる選手達こそいい面の皮というものだ。
 どうもその人達はスボーツとレクリェーションを混同しているようだ。
 そのような理由(わけ) で赤瀬川某の言わんとする老人力とはいかなるものか、聊か興味を覚えたので、私はとにかくその本を 読んでみようと本屋を何軒も探したが、驚いたことにどこの本屋も売り切れで手に入らない。
 二週問も探し回ってやっと待望の本を手に入れたが、何とこの本の著者は1937年生まれの弱冠六十一歳だというではないか。
  人生百二十年の時代
一歳〜三十歳
三十一歳〜六十歳
六十一歳〜九十歳
秋 実りの秋、収穫の秋
九十一歳〜百二十歳
冬 風邪を引かぬよう、静かに養生
 といった人さえいるというのに。
 その六十一歳の著者が仲間内からボケ老人と言われるようになり、自分でも最近何となく物忘れがひどくなったり、 目も霞み、無意識のうちに「あ、どっこいしょ」と一言って立ち上がっているのに気がついて、確かに少々年をとって ボケが始まったと思ったらしい。
 しかし、「ボケ老人」という言葉はあまり語感が良くないので、いろいろと考えた末、ボケとか物忘れをこっちから 追い抜いて先へ行くような言葉として「老人力」という言葉を思いついたというのだ。
 引かれ者の小唄というか、何とも情けないと思ってみたものの、この老人の「力」をプラスと考えず、マィナスの力 として体力の衰えをプラスに作用させて肩の力を抜いて生きてみようとしたところに著者の真の狙いがあったようだ。
 その程度のボケ老人が、冗談で書いた老人力が、「老人力と聞いたとたんにみんな一気にそれを理解して冗談じゃ なくしてしまう、いやあくまで冗談なんだけれど、冗談を保持したまま冗談じゃない世界に突入していくという、ちょっと何というか……」(原文のまま)  というように、著者自身でもいささか戸惑っているようにも見えるし、また一方、老人力のあまりの反響に悪乗りして いるきらいも無きにしもあらずである。
 従って、冗談で書いた「老人力」を本気ととらえて、「これまで老人力は恥ずかしいエネルギーだと思い、見て見ぬふり をしたり、そのエネルギーを隠したりしていたが、『老人力』という正しい名前ができてからは、もう隠す必要はない、 これは自然のパワーなんだ、という流れになってきた」(在る新聞に掲載された「老人力」の宣伝文句)等ということに なってしまった。
 この冬もインフルエンザが猛威を奮い、百人以上の老人が死んだと聞く。この老人力という本が四十万部も売れている ということに、私はインフルエンザ以上の脅威を感ぜずにはいられない。
 六十そこそこの若い者が、ボケたり物忘れを恥ずかしいとも思わずに、老人力がついてきた等と馬鹿なことを本気で 思いこんでますます肩の力を抜いて安易な人生の途を選ぶとしたら、不況にあえぐ今の日本の明日は一体どうなるというのだ。
 赤瀬川某の「老人力」はあくまで一種の冗談として、私はやはり「青年賦」の一節、


 「青年とは齢の若さを指すのではない
精神の溌刺さをいうのである
青年とは豊かな頬、赤い唇、柔らかい肢体をいうのではなく意志の力、創造力、感激性を指すのである。
齢を重ねるだけで誰もが老いていくのではない理想を失い自信をなくした時にのみ人は老いる」

 を思い出して頂きたい。
 あくまでも、

     烈士()年 壮心()まず       曹操

 といきたいものだ。  何故こんな本が売れるのか、情けない思いにかられながら、それでも我慢しながら読んでいたら、最後の方に、 「今の若い人達は生まれた途端に初老なのだ。勿論肉体的には若くても妙にわけ知りというか、先が見えてしまった感じが ある。……彼らは生まれながらにして『わけ知り老人』として人生をスタートしているのだ。だから老人力というのが冗談 じゃなく身に染みて感じられるのだ」と書かれていた。
 また、若い者が「二十(はたち) 過ぎたら終わりよね」みたいな先の見えた話をするとも書いている。
 このようにボケているどころか今の日本の若者の心を知りつくしている著者が、何故今更麻薬の如き「老人力」の筆 を置こうとしないのか、私はその真意を計りかねる。
 いずれにしても、二十一世紀に向けて、これからの日本が、このような老人力あふれる高齢化社会にならぬことを 切に願う一方、この流行病(はやりやまい) のような「老人力」はいずれ皆から忘れ去られる運命にあるような気もしている。

(1999.3)