6. 小人閑居為不善

 小人閑居して不善を為せば、至らざる所無し。君子を見て(しか)(のち)厭然(ようぜん) として() の不善を(おお)いて其の善を(あらわ)す』   (大学)
 小人はとかく暇がありすぎると、良からぬことをする傾向がある。しかし君子を見ると良心にやましさを感じて、 あわててその不善をおおい隠し、善いことをしているように見せかけるものだ。
 一般にはあまり馴染みがないと思うが、若者の町、渋谷と関西の梅田駅前に日本中央競馬会の外郭団体、財団法人・ 全国競馬・畜産振興会の大変におしゃれなビルがある。
 このビルは日本中央競馬会が競馬と馬文化の情報発信基地と銘うって、ヨーロッパがそうであるように大いに馬文化の 普及を図る目的で設けられたものである。
 従って、競馬関係の情報はもとより、いろいろな馬関係の資料を展示するかたわら、常時馬に関するさまざまなイベント を行っている。
 その名は、プラザエクウス渋谷(東京)と梅田(大阪)というが、1999年の5月、幸運にもその財団の主催で渋谷と梅田 の二ヶ所で私の彫刻の個展と、『馬がくれた第二の人生』という題でトークショーを開いてくれることになった。
 私の如き駆け出しの彫刻家が東束と関西の一等地の馬の殿堂ともいえるビルで、しかも財団主催で計四週間にわたり 個展が開けるということ、まさに彫刻家冥利につきるというものだ。
 これも偏に半世紀にわたり途切れることなく馬術界に携わってきた私に対する馬の御利益といわざるを得ない。
 かくして、まず二週間にわたる渋谷通いが始まった。
 渋谷という町は今から約四十年前、当時馬事公苑の苑長だった故津軽義孝氏(常陸宮妃殿下の父君)に連れられて、 よく夜の町を飲み歩き、津軽さんの命令で当時渋谷駅の改札口の前にあった忠犬ハチ公の銅像に(またが) り駅員に怒鳴られた 懐かしい思い出のある町だが、それ以来とんと御無沙汰をしていた。
 ところが個展が終わり、家路につく午後八時以降の夜の渋谷の雑踏ぶりは、かつての私の懐かしい思い出を完全に 消し去るに充分だった。国籍不明の、若いというか幼い男女が例外なく携帯電話片手に肩を寄せ合って何の目的もなく 動物本能むき出しの顔をして、ぞろぞろと夜の町を歩く様は、まさに百鬼夜行そのものである。
 この若者達は昼間一体何をして過ごしているのだろう。恐らくそのうちの何割かは一応学校に籍を置く中・高生に違いない。
 かつて司馬遼太郎は『現代の若者は腋抜けのような、魂の量の少ない顔が多い』と言った、まさに言い得て妙である。 しかし、将来この子供達が好むと好まざるとに拘わらず人の親となり子供を育てるとしたら、一体どのような家庭教育を するのだろう。
 女の子は花魁道中(おいらんどうちゅう) よろしく高下駄ならぬ底上げのサンダルを履いて膝を曲げてひょこひょこと歩き、男の子もまた 思い思いの茶髪を気にしつつ耳や鼻に穴をあけ、金物をぶらさげ、缶ジュース片手に女の子の品定め。
 何ともはや『身体髪膚之(しんたいはっぷ) を父母に受く() えて毀傷せざるは孝の始めなり』はどこ吹く風、勝手に生んでおきながら 親孝行をしろはないだろうと(うそぶ)く始末。
 君子がいようがいまいが良心のかけらのあらばこそ、『厭然として其の不善を揜いて其の善を著す』は遠い昔の話。
 そんな渋谷の中心地ともいえる現在の忠犬ハチ公の銅像のある交差点で、民主党の菅直人が宣伝カーの上から、 今の政治を憂える意味の演説をぶっていた。
 内外ともに難問山積のこの時期に、唯一人として耳を傾ける者のいないこの場所で無駄な時間をつぶしている暇がある のなら、何故政治家としてこれら若者達の動物本能むき出しの顔を直し、魂の量を増やそうとしないのか、日本の将来は これら若者の肩にかかっているというのに。
 これらの若者達に人間らしい生き方を教え、日本を破滅の渕から救う道は唯一つ、成人に達した総ての若者を半年か一年 強制的に社会奉仕の仕事につかせることだ。
 勿論その間は特殊施設に閉じこめて厳重な監視のもと、定められた規律は絶対に守らせ、違反したり命令に逆らった者は 容赦なく刑務所(営倉)にぶちこんで男女を問わず社会資本充実のための強制労働につかせるといい。
 そういうことを言うと自信のない政治家達や一部のジャーナリストは日本はまた軍国化に向けて走り出そうとしている等 と馬鹿なことを言うが、敗戦から半世紀を経た日本が以前のような軍国主義、あるいは独裁政治へ逆戻りするのは不可能だ。
 半年か一年間の特殊施設での仕事としては、現在の失業者の仕事のうわまえをはねることなく、男の子はまず日本全国 津々裏々の道路や、市町村の美化のための清掃奉仕、または荒れた山林や森の整備や植林、湖沼の清掃等もいいだろう。
 女の子は老人介護や給食センター等の仕事を経験させるといい。
 当然のことながらその間の衣食住は国の予算でまかなうのだから若者達の給料は日常生活の必需品を買うための最低限 に止めておく。
 また若者達の育った環境や学歴は一切関係なく、身体障害者と病人を除く総ての日本人に適用させて例外は一切認めない。
 それによって彼らに労働の尊さを教え、食べ物の好き嫌いをなくし、家庭や学校では教育不可能となっている人間として また社会人として最低隈必要な常識を作業終了後の二、三時間徹底的にたたきこむことだ。
 それはあるいは儒教の思想でもいいだろう。
 中国の春秋末期に現れた孔子の思想を奉ずるこの儒教の思想は、自己を完成し、徳を他人に及ぼすことをその中心思想 として、厳密には哲学とも宗教ともいえず、哲学・宗教・政治・倫理・歴史などを未分化のまま含んだ人間の教えということができる。(学研・原色現代新百科事典)  このように今の日本を救う途は儒教思想しかないというのが私の信念だ。
 唯、そこで問題なのは一体誰がその思想を彼等に植えつけるかということだ。
 選挙のことしか頭にない政治家にその大役は任せられないが、ひょっとして明治維新の時の志士のような熱血漢が 現れないとも限らない。
 私のこの夢、三島由紀夫が『七生報国』と生まれかわってくれないだろうか。

(1999.7)