4. 生き甲斐

 井上靖はその著『傾ける海』で、「人間というものは生きているということに多少の意義がないと生きていけないものだ」と書いている。
 そして武者小路実篤もまた『幸福者」の中で「人間は生き甲斐を自ら感じることの出来る動物である」と言っている。
 1999年3月の初め、私は心臓病で有名な榊原記念病院から一通の手紙を頂いた。
 差出人は七年前、私の心臓の僧帽弁形成手術を執刀された同病院の外科部長K先生。
 その手紙の内容を要約すると、今年四月二日に四年に一度開催される日本医学会の総会で、まだ日本の心臓外科医の間に十分浸透、 普及していない僧帽弁の形成手術について、先生が講演することになり、この歴史の浅い手術をより多くの医療関係者 やジャーナリストに理解してもらう非常に良いチャンスだと思うという書き出しで、ついては貴君がその手術後七十歳 という年齢にも拘わらず未だに非常にハードな馬術競技の、しかも全日本選手権に選手として活躍しているばかりか、 手術後に独学で始めた彫刻でも日展に入選する等、普通の健康人以上に積極的に人生を楽しんでいる実例を紹介して、 多くの医療関係者や患者さんを勇気づけたいと思う。
 そこで貴君の最近の馬術や彫刻をされている写真をぜひ送ってもらいたい。
 四年前の学会にも貴君のことにふれ、多くの心臓外科医に強い衝撃を与えたが、今回はさらに強いインパクトを与えられ ると思う、というものだった。
 多少面映くはあったが私のような身勝手な生き方が少しでも人様のお役に立つのならと早速その申し出にお礼の手紙を添 えて数枚の写真のネガを送らせて頂いた。
 榊原のK先生からそのようなお手紙を頂き、改めてこの七年間を振り返ってみると、やはり何といっても有難かったこと は、執刀された先生のお陰で四十年前の正常な心臓が蘇り、今迄やりたくてもできなかったいろいろなことに挑戦して みようという意欲が湧いてきたことだ。
 その上、どんなにやりたくても、様々な事情からできない人が多い世の中に、とにもかくにもやりたいことをやれると いうのは、ものすごく素晴らしいことであり、それならどんな障害があろうともやりぬいてみようという気持ちになったことだ。
 しかし、本音はというと、馬術にしてもまた彫刻にしても、これ迄の身勝手な生き方のお陰で、鳥肌が立つような醍醐味 というか面白さを過去に何回となく味わったからこそ、未だにその魅力に抗し切れず、家族全員の猛反対を押し切って自分 のみの満足感を味わおうとしているにすぎないのだ。
 これを女房や娘達に言わせると、今迄何十年もの問ずっと私の道楽を我慢してきて、この大病を契機にやっとその行状も 納まるものと期待していたのに、まったくの期待はずれに終わったと呆れかえっている。
 しかし、心臓弁膜症が悪化して手術をしなければ生命が危ないと医師から宣告された時、成功率の高い人工弁にせず、 あえて危険な形成手術を選んだのは、人工弁にして術後常用しなければならない血を薄める薬のために、絶対に傷のでき ない身体になって、そろりそろりと毎日を送り家族に迷惑をかけるより、いちかばちか、もう一度私の生き甲斐である 馬術競技に挑戦してみたかったのと、私なら少しはましな馬の彫刻が創れそうな気がしたからに外ならない。
 そしてこの夢の実現のために集中治療室から出るとすぐ、数十針も縫った胸を、思いっきり張って、冷や汗を流しつつ、 眩暈(めまい) のためにひょろつく足を踏みしめ背筋をシャンと伸ばし、腰を据えて病院の廊下を耐えられなくなるまで歩いたものだ。
 その行為は一見馬鹿か気違いのように見えたかもしれないが、しかしその甲斐あって今では胸の切り傷と、手術後腹の 両脇に管を通していた穴の傷跡以外は、手術の痕跡は何一つ残っていない。
 また手術の経験者はよく天気の悪い日は傷がうずく等と言うが、この七年間私は唯の一度も傷跡が痛んだことはない。
 幸か不幸か、もしも私が馬に対するこのような気違いじみた執念がなかったら、恐らく今頃私は人工弁にして第一級の 心傷者ということで、真赤な「抗凝固療法手帳」(一時期使用)を胸にかけて一日中何もせずに女房や娘の厄介者になって いたことだろう。
 それを思えば、馬に乗り、彫刻を創ることに多少お金がかかったとしても、今後入院その他病院に支払う「後ろ向き」 の莫大な費用のことを考えれば、遥かに安くつくはずだし、そのために寿命が多少短くなったとしても、第一陰気くさく なくていいじゃないかというのが私の言い分なのだ。
 井上靖じゃないけれど、人間というものは生きているということに多少でも意義を認めないと生きていけない生き物だし、 またその意義が大きければ大きい程自分なりの幸福を見出して、目を輝かして生きられるというものだ。
 だからといって、私が馬に乗り粘土と格闘している時が無性に楽しいかというと、事実そういう時もたまにはあるが、 むしろ苦しいことのほうが遥かに多く、つくづく我ながら因果な性分だと思つている。しかし、今迄の長い経験からその 苦しみの後ろに時たま恍惚の世界が見えかくれするので、未だに止められないでいるわけだ。
 ノーベル賞をもらった外国人女性が「人は何があっても自分の才能をないがしろにしてはいけない。その才能はいつか きっと心の楽しみを与えてくれる」と言っていた。
 私の馬術や彫刻は才能等という代物ではないけれど、馬に対する愛情だけは人後に落ちないと思いたいし、何時かきっと その自信が才能となって花開く時もあろうかと淡い期待を抱いているにすぎない。
 また彫刻にしても何も人に見て頂いて褒めてもらいたくて創るのではなく、唯自分の心の中の哲学の表現として自分の 限界に挑もうとしているだけのことで、そこに私なりの生き甲斐を見出そうとしているのだ。
 冒頭の武者小路実篤の「人間は生き甲斐を自ら感じることの出来る動物である」という文章のある本の題名が『幸福者』 とあるのを思うとき、私もやはり幸福者の部類に入るのではないかと密かに自惚れている。
 また井上靖の「人間は生きているということに多少の意義がないと生きていけない」というのも、その裏を返せば、 「人問は、ほんの少しでも生きていることに意義を見出しさえすれば、案外その日その日を幸せに送ることができる」 と言いたかったのかもしれない。

(1999.5)