和歌山市の楠見中
という所に約四百年続いている西山
浄土宗の無量院養徳寺という古刹がある。
私を生んで僅か八ヶ月で他界した母の両親が眠っているその養徳寺とのお付き合いは、母の死後まったく途絶えていた
ばかりか、私はそのお寺の存在すら知らなかった。
ところが今から約三十年前、祖母が死に、唯一人の肉親である私が祖母の喪主として葬儀一切を行い、祖母の「お骨」
を持って和歌山の養徳寺へ納骨に行ったのを契機に住職の橋爪師とのお付き合いが復活した。
その後、一旦は死を覚悟した私の大病による心境の変化もあって、春秋の御彼岸はもとより母や祖母の命日には必ず先祖
のお墓にお花を供えて頂くようになり、それ以来、家族ぐるみで極く親しくお付き合いをするようになった。
そして1998年の10月、養徳寺の長男、観永さんから私のところへ突然の電話があった。
要件は来年の2月10日に日本中央競馬会に勤めている女性と結婚することになったので、その仲人を頼みたいというのだ。
一般人の仲人はこれ迄も何組か経験があるが、お寺さんの仲人はこれが初めて、まして由緒あるお寺の後継者の結婚式、
何代にもわたる地元の檀信徒の方々や檀家総代、または浄土宗の名僧知識を差し置いて、私如き者でいいのだろうか。
咄嵯の判断に迷った私は、二、三日猶予を頂きたいと、ひとまず電話を切った。
何故彼が私に仲人の白羽の矢を立てたのか、養徳寺さんと私の関係を改めて考えた末、私は一つの結論に達して、
次の日喜んでその大役を引き受ける旨の電話をした。
その理由は、その夜私が写真でしか見たことのない生みの母と祖母の姿がしきりと私の脳裏に浮かんだからだ。
殊に、主人を初め十二歳、二十三歳、二十四歳、二十八歳、三十一歳の若い五人の子供達に先立たれ、たった一人の肉親
の孫の私にまで、まったく他人扱いをされたまま淋しくこの世を去った祖母は、生前よく一人で和歌山のこのお墓にお参り
に来たという。
「死んでしまった人に対して私達は何の力もないが、しかし、死んだ人の真心が生きている我々に働きかける力は絶大な
ものがあると思う」とは武者小路実篤の言葉だ。
いろいろと人に言えない複雑な事情があったにせよ、生前これ以上邪険には振る舞えないと思えるような仕打ちしか
できなかった私に対し、それでもこの世で唯一人の肉親である孫が可愛かったのか、祖母は私に対して悲しそうな顔はして
も決して怒ったことはなかった。
自分の悲しみを自分の人生の糧として生きることのできた祖母は、きっと悲しさを慰めてくれる人はいても、その悲しみから自分を
救ってくれるのは自分以外にいないと悟っていたのかも知れない。
仏縁によって養徳寺の後継者の仲人をお引き受けした私は、この仏縁を授けてくれたのは生みの母をはじめ、墓地に眠る祖母や未婚の
まま若死にした叔父や叔母達の霊の働きかけに違いないと考えた。
霊のことを英語でメモリー(記憶)と言うのだと聞いたことがあるが、私は人の心の中のどこかに宿っている記憶を甦らせる力が霊だと
信じたい。
養徳寺の過去帳から祖父が調べたところによると、明暦四年(三百四十年前)の「心楽道安信士」より数えて少なくとも六十五名の
御先祖様が養徳寺の墓地に眠っている。
そして今回の結婚式の親族を除いた来賓の人数もやはり六十五名だった。
これは単なる偶然の一致にすぎないが、曽
て三百年も前のお墓の竿石(御戒名の刻んである墓碑)のみを一ヶ所に集め、御先祖様を供養する意味で五輪塔を養徳寺の境内に建てた時
にも大変不思議なことがあった。「死んだ人の真心が生きている我々に働きかける力は絶人なものがあると思う」と言った武者小路実篤
の言葉を私は身震いしながら思い出した。
仏教では人間の行為を業(カルマン)と言い、カルマンとは梵語で「なにかをする」という意味がある。
その業の中で自分が自分の力でできる行為を「自業」と言い、自分自身の力ではどうにもならない行為、即ち自分以前の
過去の世界からすでにきまっている業を「宿業」という。
そして私達はこの自業と宿業との結びつきによって新しい「新業
」が生まれるのだ。
宿業によって仲人役を仰せつかった私は、その役を立派に果たすことで自業を新業に変えようと決心したというわけだ。
このように自分の新しく生み出した行為は、必ずその結果を自分自身が背負うことになり、結局自己の行為に対する無限
の責任を負って人は生きていくことになるのだろう。
「仲人は腹切り仕事」という喩
がある。仲人は人間と人間とを結びつけるのだから責任は重く、失敗したら切腹する
くらいの覚悟がいる重要な仕事だとい・意味だ。
しかし、仏前で行う今回の結婚式は、どうやら私の仏様に対する懺悔の式になりそうな気がしてならない。
「生きているということは
誰かに借りをつくること
生きているということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように」
私の好きな永六輔の詩の一節である。
幸いなことに、その結婚式は無事終わり、若いカップルが誕生し、西山浄土宗の橋本随暢導師より仲人としての及第点
を頂くことができた。
きっと私の生みの母や祖母が粗相のないように天国から応援してくれたのだろう。
これで私も母方の御先祖様に対して若干のご恩返しができたような気がしている。
(1999.2)