2. 道 標

 「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」

 松尾芭蕉、奥の細道の一節である。
 芭蕉のように、人の一生を旅に例える人は多く、私もまた、人生は旅のようなものだと思っている。
 愛媛県今治の高校一年生、村瀬由衣さんという少女が、毎日新聞社主催の第七回学生「夢の旅」という作文コンクール に、「道標」、という作文で高校生の部の最優秀賞に輝いた。
1998年1月26日の毎日新聞でその作文を読まれた方もあろうかと思うが、新聞を開けばナイフによる殺傷事件等、未成年者 の非行記事の目立つ昨今、この「道標」と題する一少女の作文に一服の清涼剤を見た人は私一人ではないと思う。
 「巡礼の国」といわれる四国に育った彼女は、中学一年の時、第五十五番札所の南光坊で一心に拝んでいる一人のお遍路 さんの横顔に心をひかれ、早速祖母に「何故、人はお遍路さんになって巡礼に出るの?」と尋ねた。
 「抱えきれない程の悩みを持った時、人は一人で旅に出るのだよ、心の解決を探す旅にね」という答えが返ってきた。
 弘法大師の修行の遺跡である四国八十八箇所の霊場を巡拝するお遍路さんは、常に弘法大師と同行二人の旅をしながら心 の中で大師に悩みを打ち明け、その答えを探しながら旅をすると聞かされた彼女は、その日からお遍路さんを優しい気持ち で見守るようになった。
 そんなある日、石の道標に合掌するお遍路さんを見て、何故道標に手を合わせるのかと聞くと、その人は「道標は常に 黙って立っているけれど、迷いそうになる旅人に、いっも正しい道を教えてくれるから、私はこの道標に有難うという感謝 の気持ちで手を合わせるのだよ」と言って次の霊場への道を歩きだしたという。
 人生が旅だとするならば、道標に導かれてたどるお遍路さんのように、私もまた、自分の将来の夢の実現のために、 心の道標というか羅針盤を持つ必要がある。そして今、自分の立っている場所がどこなのか、どの道を進めば目的地に 着けるのかを正しく判断できるように、もっともっと勉強しようと思った、とその作文は結んでいる。
 私はここに彼女の作文の粗筋だけを書いたため、残念ながら彼女の格調高い文章から私が受けた感動を伝えることはできない。
 しかしこの一文は、少なくとも私にいろいろなことを思い出させてくれた。
 中学一年の時、何気なくお遍路さんのことを聞いた少女は、賢明な祖母の答えによって、ものの哀れに目ざめ、さらに、 石の道標に手を合わせる謙虚なお遍路さんからは将来の夢の実現のための覚悟を新たにすることができた。
 ここに私は立派な社会人になるための心の教育の重要性を垣間見たように思う。
 大正五年に十二歳の長女を、そして昭和六年に二十四歳の次女(私の母)を、次いでその翌年には二十二歳の三女に 相次いで先立たれた傷心の祖父と祖母は、三女の死を機に昭和七年の暮れ、三人の娘達の冥福を祈り、また心の迷いを 晴らそうと西国三十三箇所の巡礼の旅に出たという。
 その巡礼の途中、祖父が徒然(つれづれ) の思いを綴った御朱印帳が、つい最近家の物置の隅から出てきた。
 最愛の三人の娘達を相次いで失った祖父母の想像を絶する悲しみとやるせない気持ちは、この巡礼の旅によって果たして 心の解決を見出すことができたのだろうか。
 この老夫婦の後ろ姿は、どんなにか寂しく悲しい影を引きずって歩いていたことか。そのような二人に、もしも村瀬さん のような少女が優しい言葉をかけてくれたとしたら祖父母の心はどんなにか慰められたことだろう。
 さらにそれから十年後、今度は三十一歳の長男と二十八歳の次男まで病気と戦争で相次いで失い、唯一人残された祖母は 昭和四十二年八十二歳でこの世を去った。
 しかし、この祖母は生前、唯一人残された孫の私に対して一言の泣き言も口にしたことはなく、いつも目を細めて観音様 のような笑顔を絶やしたことがなかった。
 きっと西国三十二箇所の巡礼と、その後の信心によって彼女なりの悟りを開いていたに違いない。
 お遍路さんで、もう一つ思い出されることは、私の小学校・大学を通じての親友が、定年後の人生哲学を確立しようと、 菅笠を着け、頭陀袋を胸に、金剛杖を持って独り徒歩で古い文献のみをたよりに、昔、巡礼が歩いたと同じ道を辿って 四十二日間の西国巡礼の旅に出たことがあった。
 かつての農林大臣の一人息子で、彼も二部上場会社の重役であったS君は、永年の夢であった巡礼の旅のテーマを「愛」 と定めたという。
 そして「愛とは、生命が生き続けるための精神的なエネルギーだ」と定義づけて旅を続けるうちに、どうしても愛だけ では解決できない問題に遭遇し、愛とは無縁の「慈悲」のあることに気づかされた、とその著『西国巡礼の旅』に書いている。
 人間が生き続けるための精神的エネルギーは、愛であると同時に愛とは無縁の慈悲も必要であるところに人生の難しさ があり、「心の教育」の難しさがあるように思う。
 1998年2月16日の衆参両本会議での橋本首相の演説の一部、「日本の将来を担う子供達の教育は、明治以来、親や地域 だけでなく、国が積極的に関与した結果、今や我が国の学校教育は平均的には世界最高の水準にある。しかしながら、暮らしが豊かになり、 家庭の役割が変化し、進学率が上昇する中で、受験戦争や、いじめ、登校拒否、さらには青少年の非行問題が極めて深刻になって おります」とまるで他人事(ひとごと) のような口調で教育問題にふれた。
 確かに彼の言うように、学校教育は世界最高の水準にあるかもしれない。しかし一方、愚劣極まりない漫画雑誌やテレビ、 殺伐たるテレビゲームの氾濫の湯の中で生活している今の子供達は、人間としてどうしても知っておかなければならない ことや、やらねばならぬことを、あまりにも知らなすぎるし、またそれを学校も家庭も、まして文部省も教えてやろうとはしない。
 その反面、知らなくてもいいこと、知ってはならないことを、あまりにも多く知りすぎてしまった。
 橋本首相の子供の教育に関する演説はさらに延々と続くが、ついに道徳教育の充実や、愛や、ましてや愛とも無縁の 「慈悲の心」の教育の重要性に言及することもなく、具体的な対策には何一つふれてはいない。
 そして最後に、「子供達のために、今何をすればいいのか、皆様とともに考え、真正面から取り組んでまいります」と 格好よく結んだっもりだろうが、リーダーシップをとらねばならぬ一国の宰相たるもの、今頃になって皆様と一緒に考え こまれては、たまったものではない。
 ふざけるのもいいかげんにしてもらいたい。
 私はかねがね、劣悪なテレビ番組やテレビゲーム、判断力の乏しい子供達を毒し健全な精神を蝕む漫画本や週刊誌から 子供達を守るための「検閲オンブズマン制度?」を発足させ、テレビ番組の放映中止や雑誌の発刊禁止をどしどし実施する 以外に子供達の心の教育は不可能だと信じている。
 そして、冒頭に書いた少女の作文のように、はっきりとした将来に対する目標を総ての子供達に抱かせるような 「心の道標」を立てさせることが今の教育の最重要課題なのだ。  総ての日本の子供達が「愛の心・慈悲の心」に目覚めた時、日本の学校教育は世界最高の水準にあるといえるのではなかろうか。
 飢餓に苦しむアフリカの子供達や、戦禍を逃れた難民の子供達の目の中に時たま、「愛の心・慈悲の心」を見ることができる のは一体どうしたことだろうか、それこそが一国の宰相に真剣に考えてもらいたいテーマではないのか。

(1998.4)