九月の初め、暑い暑い東京をあとに、山梨県小渕沢での国際馬術人会(CDI−W)を兼ねた東日本選手権を皮切りに
兵庫県三木市のホースランド三木、そして大阪で行われた国際大会出場と馬を連れての二週問にわたる地方巡業の旅。
古希を過ぎた男が、いまだに濡れ落葉にもならず、馬場馬術の世界ランキング入りを目指して頑張っていられるのも、
子供の頃から親しんだ馬との付き合いがあったればこそ。
約半月もの問、まるで学生のように家にも帰らず馬とともに過ごして、久し振りに帰った我が家の庭は、もうすっかり
秋の装いに変わっていた。
秋といえば、「天高く馬肥ゆる秋」の諺とは裏腹に、どことなく物悲しく、一人静かにやわらかな日の光を浴びながら
庭の木々を眺めていると、イブ・モンタンの「枯葉」やヴェルレーヌの「落葉」の一節が浮かんでくる。
何も私ならずとも、昭和一桁の人なら、「秋の日のビオロンのためいきの」と口をついて出る人も少なくないことだろう。
秋の日の ビオロンの
ためいきの 身にしみて
いたぶるに うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ
色かへて 涙ぐむ
過ぎし日の おもいでや
げにわれは うらぶれて
ここかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな
「海潮音」に載る、上田敏訳の「落葉」である。
上田敏の訳詩を集めた海潮音は、原詩の格調を失わず、しかも翻訳臭をまったく感じさせない見事な日本語で、
日本詩の近代化を大いに推進した功績は大きい。
また、ボードレールの象徴詩や、カールブッセの「山のあなた」の名翻訳詩等は私の記憶の中に深く浸透している。
そして、一般にはあまり知られていないけれど、
秋風の ヴィオロンの
節ながき 啜り泣き
もの憂き かなしみに
わがこころ 傷つくる
時の鐘 鳴り出づれば
せつなくも 胸せまり
思いぞ出づる
来し方に 涙は湧く
落葉ならぬ 身をばやる
われも
かなたこなた
吹きまくれ 逆風よ
という翻訳詩もある。
これは昭和詩壇に多大な影響を与えた堀口大學訳の「落葉」だが、彼は上田敏とは一味違う都会人的感覚をもった詩人
であった。
今から約半世紀前、まだ学生だった私は、皇居の中にあったパレス乗馬クラブの会員として毎日のように馬に乗って
いたが、そのクラブの会員の中に、堀口イワさんという品の良いスイス人の老婦人がいた。
彼女は堀口大學の夫人で、私の知る限りでは戦後日本で最初にヨーロッパの貴婦人が好んだ横乗りの乗馬をはじめた
女性だと思う。
優雅なフロウイング・スカートをはき、しゃれた帽子と襟飾りをした横乗り姿の彼女は、まるでルネッサンス絵画から
抜け出したかの如く私には眩しく映った。
一般には上田敏の詩のほうが遥かに有名だけれど、若かりし頃の憧れの人の御主人様の訳詩として、ここに紹介させて頂こう。
この「落葉」について堀口大學は次のように述べている。
「秋風のヴィオロンの」とした訳に驚く読者がいるかもしれないが、原作の字面は単に『秋のヴィオロンの』となっており、
『秋の日」ともまた『秋風の』ともなっていない。
十年ほど前まで僕は『秋のヴィオロンの」と安心していたが、ふとこのヴィオロンは秋風の音だと気づいた時から、
風の一字を加えることにした。
これで最後の連の『逆風』とのつながりも妥当性を増すことになる」と。
上田敏の「落葉」は勿論良いが、堀口大學のヴィオロン(バイオリン)を秋風の音だとした「落葉」もなかなかに捨て
がたいものがある。
そしてこの題名の「落葉」は、どうしても私は「オチバ」ではなく、「ラクヨウ」としたほうがこの詩にぴたりとは
まるように思えてならない。
とび散らふ(飛び散る)落葉も、そしてバイオリンの音のような秋風に、かなたこなたと身をまかせる落葉も、
これはどうしても「オチバ」ではなく「ラクヨウ」でなければならない。「オチバ」には地面におちて人に踏み乱された
「濡れ落葉」のニュアンスがあるが、「ラクヨウ」となると、良寛の「裏を見せおもてを見せて散るもみじ」のように
カサカサと乾いて空中に舞う木の葉を想像することができる。
そして私達の人生もまた、さだめなく、とび散らふ落葉なのかもしれない等と、ふっと思ってみたりするのも、
あるいはバイオリンの音のような秋風のいたずらなのだろうか。
(2000.11)