6. 高校野球

 1997年、夏の全国高等学校野球選手権大会も、智弁和歌山の優勝でその幕をとじた。
 準優勝の平安高校を初め、出場四十九校の選手達は、皆それぞれに全力を尽くしたことは認める。
 そして試合後のインタビューで申し合わせたように「全力を尽くしたから悔いはありません」と涙をぬぐう。
 また、選手を率いて甲子園にやって来た監督までも口を揃えて「悔いはない。選手達は実によくやってくれた。 選手達を誉めてやりたい」と偉そうなことを言う。
 優勝校以外の監督は日頃の指導が悪かったばっかりに、試合に負け、選手達に悲しく惨めな思いをさせてしまった のではないのか。
 唯、選手達は監督の過った指導のもと、全力を出し切ったのだから、その点では悔いはないかも知れない。
 しかし、負けたチームの総大将ともいうべき監督は、いろいろな面で悔いが残り、反省すべき 点がいくらでもあったはずだ。
 試合に負けても、選手達の肩をたたいて「良くやった。有難う」等という監督は即刻(くび) にする必要がある。
 もしも野球が真剣勝負だったとしたら、総大将の監督は切腹するかまたは真っ先にその首を刎ねられて当然だからだ。
 選手達もまた、その敗因をよくよく分析してみれば、悔いはない等という台詞(せりふ) は出てこないはずだ。
 優勝校の選手・監督ですら反省点はいくつかあったはずだ。
 なにはさておき負けたチームの監督達は選手の前に土下座して監督としての未熟さを謝るべきではないのか。
 また、選手達のお陰で甲子園に来られただけで幸福です等という情けない監督がいたが、これなどは、 「オリンピックは参加することに意義がある。オリンピックは優勝しようと努力するところに意義がある」という 一部スポーツ関係者の言をそのまま素直に信じているだけのことだ。
 「最善の努力をしたから負けても悔いが残らない」というのなら、最善の努力をしても試合に負けるような選手達 に私は用がない、私が監督なら即刻全員馘にしてやる。
 もしも、相手チームの選手達が最善の努力をしていなかったとしたら、あまりにも、惨めではないか。
 試合に負けたという事実は、最一吾をつくしていなかった何よりの証拠だと私は思いたい。
 それらの言葉は、勝者の目からみれば、敗者の負けおしみ、引かれ者の小唄にすぎない。
 何故なら、勝者は常に正しく、敗者は常に意気地なしとみなされるからだ。
 また、「勝ち負けは問題ではない」等という人がいるが、本当は勝ち負けが総てなのだ、負けるより勝つほうが 良いにきまっている。
 負けはつらく、惨めで、その心は深く傷つくものだ。
 全力を出しきったからと自分自身に言いきかせて、悔しがりもしない人はスポーツをする資格のない人だ。 それはリクリエーションにすぎない。

「汝ら知らずや 競争の場を走る人は
(ことごと)く走ると(いえど)も 賞を受くるべきは
一人のみ 汝等受くべき様に走れ」
               (コリント前書九章二十四節)
 人生の賞、スポーツの賞、芸術家としての賞、神様から頂く賞、長い人生のうちには、いろいろの賞があるけれど、 何事においても一旦やり出したからには、賞は受くべくように走るべきだ。
 かつて、私は関東高等学校馬術連盟の会長をしていたことがある。
 関東の高校で馬術部のある学校は八十八校、全国の約三分の一を占めている。  毎年行なわれるインターハイにも関東で予選を勝ち抜いた数校の選手と監督に私は毎回次のようなことを言って試合 に連れていくことにしている。

 一、 例え試合に負けても、絶対に全力を出しきったから悔いはない等とは言うな。優勝した高校も試合後必ず反省点を 何点か書いて私に提出しろ。
 一、 お前達の馬場の砂を少し袋につめて試合場の馬場にまいてこい。そしてこの馬場はおれ達のホームグラウンドだと 思って試合をしてこい。間違っても甲子園の高校野球のように泣きながら球場の砂を持って帰るような無様なまねはするな…と。

 東京の世田谷にある馬事公苑でインターハイが開催された折、関束の高等学校馬術連盟が幹事役を務めることになった。
 そこで私は試合の前日、全国の出場校の選手と監督(高校の馬術部の部長)全員を集めて試合の打ち合わせ会をしたが、 その折、試合前後の敬礼と表彰式の時の賞状.賞盃の受け取り方をきちんと教え、それが守れない選手には私は絶対に賞状 も賞盃も渡さないと言ったことがあった。
 そして実際にそれが守れなかった選手にはその場でやり直しをさせてから渡したことがあった。
 すると驚いたことに「西村会長、月夜の晩ばかりではありませんよ」と言った高校の先生がい
たが、そんな先生に高杖生の教育に到底任してはおけないと思った。
 その点、準優勝の平安高校のH監督は立派だった。
 決勝戦後のインタビューで彼は「階段を一歩一歩のつもりが、一気に五歩も来た気がする。でも目標は残った」と言ったのだ。
 準優勝も決して偶然の産物ではない。それは予想した道を通って到達すべくして到達した準優勝なのだ。平安高校の野球部の未来は明るい。

(1997.10)