5. 君が代

 1999年8月、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とする法律が成立した。
 大東亜戦争を経験した我々昭和一桁の人間にとって、この「日の丸」「君が代」には複雑な思いがある。
 そして、戦後この私の思いをさらに複雑なものとしてくれた二つの出来事があった。
 1990年、私は一生に一度でいいからドイツ産の本格的な馬場馬術用の馬を買って、その乗 り味を存分に楽しんでみたいという欲望にかられ、ドイツの有名な馬場馬・ウェストファーレン 種の馬のオークションに出かけていった。
 美術品のオークションと違い、馬のオークションは、あらかじめ() りにかけられる馬のくわし い血統はもとより、写真や性質、特長等をくわしく記した立派なカタログができていて、オーク ションに参加する人達はそのカタログを参考にオークション開催の二、三日前からお目当ての馬 に何回でも自由に試乗ができる仕組みになっている。
 当然、私も目星をつけておいた三頭の馬に代わる代わる乗ってみたが、どの馬も帯に短し襟に 長しで、結局オークションに出していない馬をドイツ馬術連盟の関係者の紹介で購入することにした。
 しかし、私と一緒に行った友人は非常に気に入った馬がいて世界各国から来ている買い手と競り合い、とうとう当日の 最高価格でその馬を手に入れることに成功した。
 ところが驚いたことに、その馬を日本人の友人が落札した瞬間、何千人も入っている会場に、いきなり「君が代」 の曲が流れたではないか。
 そして「君が代」の曲が会場に流れると同時に会場にいた総ての人達が一斉に起立して友人を祝福してくれたのだ。
 おくればせながら慌てて起立した友人と私は何ともいえぬ気持ちで大衆に頭を下げたが、あのような気持ちで「君が代」 を聞いたのは生まれて初めての経験で悪い気はしなかった。
 もう一回は、今から数年前、日本中央競馬会がフランスのソミュール騎兵学校の校長以下教官十数名とその乗馬二十数頭 を日本に招聘し、世田谷の馬事公苑で三日間にわたりフランス馬術の妙技を一般に公開したことがあった。
 その初日には天皇、皇后両陛下の御臨席を賜ったが、その折、「両陛下の御入場に際し『君が代』を吹奏しますので 御来場の皆様は起立して両陛下をお迎え下さい」との場内放送があった。
 定刻になり、「君が代」が流れるなか、皆起立して両陛下をお迎えしたが、私の席のすぐ前の報道関係者席にいた十数名 の記者やカメラマンは誰一人として起立しないばかりか各自勝手な談笑を中止しようともしなかった。
 恐らく彼等には「おれ達はお前達一般大衆とは人種が違うのだ」という一種の特権階級意識があるのか、それとも一部 マスコミのなかに、「日の丸」はかつての軍国主義のシンボル、「君が代」は主権在民の現行憲法に反するという根強い 意見があるのか、または学校における国旗、国歌の取り扱いについて文部省の「強制」という視点のみを強調する傾向に 強い反感を抱いているからなのかもしれない。
 今更改めて述べるまでもないが、日本の国旗、国歌の法制化が問題となった引き金は、広島県立高校の校長が国旗掲揚、 国歌斉唱をめぐって県教育委員の指導と教職員による反対の板ばさみになって自殺したことによるのだが、 平成元年三月に告示された現行の学習指導要領によれば、

  一、特別活動(小中高とも共通)

「入学式や卒業式等においてはその意義をふまえて国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」
  二、小学校社会科(六学年)

「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗、国歌も同様に尊重する態度を育てるように配慮すること」
  三、中学校社会科(公民的分野)

「国旗及び国歌の意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを 理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すること」

 と明記されており、普通の常識をもってすれば、この教育方針に誤りがあろうとは思われない。
 唯、一部の教職員も、国旗、国歌そのものの制定が問題なのではなく、「日の丸」の旗、「君が代」の歌詞に反対を 唱えているわけで、その考え方もわからないわけではない。
 しかし、一旦法律で決められた以上、日本の国民としてはこれを尊重する義務があり、自分の国の国歌、国旗を尊重 しないで諸外国の国旗、国歌を尊重する等、まさにナンセンスと言わざるを得ない。
 仮りに今後、国旗の掲揚、国歌の斉唱に不服を唱える教職員があるとするならば、彼等は潔くその職を辞するべきである。
 しかし、国歌と定められた「君が代」が今の日本に最もふさわしい国歌であるという意見には素直にうなずけない何物かがあるのも事実である。
 この国旗、国歌問題については、政治の次元を離れて純粋な学問の智恵によった時間をかけて検討してほしかったと思う のは、何も私だけではないように思うのだが。
 また、私のように勝負の世界を経験した者にとって、この「君が代」はその歌詞、メロディーともに何となく戦意喪失 のきらい無きにしも非ずであり、大学の校歌の外に応援歌のある如く、日本の国にも応援歌があってもいいような気がする。
 だからといって、「圧政の血に染む旗は」(フランス)「レーニンの党はわれら共産主義の勝利に導く!」(ロシア) 「起て!奴隷となりたくない人々よ」(中国)ではあまりにも血(なまぐさ) いような気がする。
 私が慶應大学の出身だから言うのではないが国歌の外に、日本の国に相応しい「若き血」のような応援歌があっても いいのにと思う時がある。
 最後に、諸外国に対しては明治二十一年、「人日本礼式」と題して「君が代」が国歌であることを公然通知した事実が あり、それ以来今日に至るも「君が代」は国歌に非ずとする通達を諸外国に出した記録もないまま重ねて今回の「君が代」 を国歌とするという法律の成立を一体諸外国はどのように受けとめるのか、非常に興味あるところである。

(1999.12)