8. 生きて死ぬことのヒント

 私達夫婦が親しくお付き合いさせて頂いている女人(ひと) に女優の幸田弘子さんがいる。
 彼女は二十数年来「幸田弘子の会」という朗読の会を主催し、主に樋口一葉の『たけくらべ』や『にごりえ』等の朗読を 通して、朗読芸術というジャンルを確立し、その功績によって昭和五十六年度芸術選奨文部大臣賞を、また最近では1995年度 (平成七年)毎日芸術賞を受賞し、平成八年紫綬褒章に輝いた。
 今から十数年前、私の叔母の紹介で彼女と彼女のお嬢さんの三善里沙子さん(フリーライターとして活躍中、著書に 『軽井沢の法則』『中央線の呪い』『お台場の掟』等がある)とのお付き合いが始まった。(右の写真)
 以来、「幸田弘子の会」には欠かさず出席させて頂き、その都度彼女の生きる姿勢や朗読芸術に対する情熱に刺激され、 いろいろな意味で大いに勇気づけられている。
 古来、日本文学は口承によって受けつがれてきたが、特に彼女の「語り」には黙読では決して味わうことのできない語感の 響きによって彼女独特の新鮮な世界を醸し出し、私を魅了してくれる。
 今年の夏の初め、たまたま「源氏物語を読む会」の準備で軽井沢に来られていた彼女にお目にかかり、樋口一葉等、 江戸中期の井原西鶴から明治生まれの斉藤茂吉までの二十六人の生きざまを綴った『生きて死ぬことのヒント』(立川昭二著) という本を頂いた。
 つい最近、おこがましくも「第二の人生」と題した私のトークショーにわざわざ花束を持って聴きにきて下さった彼女の 頭の中に、私の言わんとすること、この本に書かれている内容に何らかの共通点を見出して頂いたのかも知れない。
 そしてその本の最後に彼女の書かれた「一葉さんの残した思い」という文章で「病も人生、死もまた人生の一部、いかに 生きるかということは、またいかに死ぬかということである」というように、この本によって私の第二の人生に何らかの ヒントを与えて下さろうという温かい思いやりがあったものと思われる。
 一気呵成に読み終えた私は、頂いた本の感想を「生きて死ぬことのヒントの中に、よりよく生きることのヒントを頂いた ような気がしました」と書いて感謝の意をお伝えした。
 また私が幸田弘子さんの語る樋口一葉に殊更強くひかれるのは、戦争中の無理がたたって肺結核で若くして死んだ私の育て の母の面影が、鏑木清方描くところの樋口一葉によく似ていたからかも知れない。
 一葉の弟子の一人、疋田達子の弁を借りれば、「鼻筋の通った、瓜実顔の白粉気のないそれでいて女のたしなみとして口紅を ちょっとさして両手を袖口にすっぽりと引き込め、いくらか前かがみに座った『ひたりと薄い膝』の一葉は、まさしく生前の 懐かしい母そのものであり、ことに肺結核で長く病床にあった母の『ひたりと薄い膝』は死後四十年たったいまでも私の脳裏 から薄れることはない。」
 さらに、まったく記憶にはない生みの母もまた、一葉と同じ二十四歳の若さで肺結核のためその一生を終わり、瀬戸内寂聴 (晴美)をして一葉がのりうつったようだと言わしめた幸田弘子さんの「語り」の中に私はどうしても若くして死んだ 二人の母の姿をみてしまうのだ。
 母と妹との貧乏な女所帯のなかで、ろくな栄養もとれず家事と執筆に身をすりへらし、肺結核に侵され極度の頭痛と肩こりに 悩まされながら、二十三歳の一葉は、僅か一年二ヶ月の間に『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』『わかれ道』等の名作を 次々と世に送り出している。
 また、極貧のうちに二十六歳で死んだ石川啄木は十二円のお香典の中から十銭の蝋燭と二銭のお花を供えられ、十五銭の 新しい下穿(したばき) をはかせてもらい町屋の火葬場へ淋しく担がれていった。
 さらに肺結核の瘍椎性カリエスのため、絶えず膿が全身より自開し漏瘻(ろうろう) となって長い間病床で苦悶しつつ、それでも 「棺の前にて空涙は無用に候。談笑半生の如くあるべく候」と書き、三十四歳で生命を燃やしつくした正岡子規。
 宮沢賢治もまた急性肺炎と壊血病で血をはきながら三十七歳の短い一生を終え、生まれてから死ぬまで困窮の連続で、 まるで貧乏神の申し子の如き渡辺華山は「今晩自殺仕り候」と遺言をしたため脇差しで腹を一文字に切りさき咽喉をついて 死んでいる。四十九歳であった。
 『生きて死ぬことのヒント』に登場する二十六人は皆それぞれに抱えきれない程の悲しみや悩みをいだきつつ、決して 幸福な一生とは言えないこの人達が何故、これだけの足跡を後世に残すことができたのか、彼らの気迫とエネルギーは 一体どこからきたのか。
 彼らは確実に己の死の近いことを意識して、自らの生命欲、生命飢餓感と闘いつつ、止むに止まれず死との根比べの 結果永遠の生命をかちとったのだ。
 現在私達は健康について異常なまでに神経質になっている。健康はエネルギーの源として確かに大切には違いないが、 しかし健康であったとは義理にもいえない彼らのあのエネルギーは少なくとも私のそれを遙かに超えている。
 一応健康にも自信を取り戻し贅沢さえしなければなんとか暮らしていける私は、もうすぐ七十歳。
 彼らの生きざまと比較して、そのあまりの腑甲斐なさを今更ながら悔やむばかりだ。
 幸田さんより頂いたこの本は、一体何のための健康なのか、生きていることの意義は何なのか、つくづく考えさせられる と同時に、残された人生、彼らのエネルギーの半分でも頂きながら目を輝かせて生きてみたい。そのために、遅ればせ ながら一日一日をどう過ごせばいいのか、私なりに目標を立ててみようと思っている。

(1999.10)