人の一生が旅だというのなら、その日その日の暮らしそのものが旅であり、生きているということの証
もまた、
そうした旅でのいろいろな人達との出逢いと別れによってつくられる。
私の旅も今年で七十年、今この七十年の旅を振り返ってみて、何と多くの人達との出逢いと別れがあったことか。
私の人生をより豊かなものにしてくれた人との出逢い、あの人もこの人も私にとって掛け替えのない、決して忘れる
ことのできない人の何と多いことか。
そして、これからも、きっと数えきれない程の人達の恩恵をうけながら年を重ねていくに違いない。
年もおしつまった平成十一年の暮れ、私は知らない人から一通の手紙を受けとった。
封を開いてみると、平成十一年の六月になくなった画家の「桐野江節雄さんを偲ぶ会」を開催するのでぜひ出席願い
たいという発起人からのものだった。
会場は桐野江さんが十数年にわたり毎年正月に個展を開いていた築地の浜離宮会館。
去年の正月にも御案内状を頂き夫婦してお伺いしたが、その時は、非常に元気で琉球の本場泡盛の古酒の素敵なビンを
片手に、「こんなうまい酒はない」と盛んに勧めてくれたものだった。
そのビンがあまりにも美しいので空になったことをいいことに、遠慮なく頂いて家に持ち帰った。
今そのビンは家の食器棚におさまり、女房のポーセリングの材料になるべく待機しているが、あの時の懐かしい桐野江
さんはもういない。
彼との付き合いは非常に古く、酒好きの彼とともに過ごした懐かしい思い出は、今も目をつぶると、つい昨日のように
生き生きと蘇ってくる。
「桐野江節雄氏略歴」
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昭和十八年
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東京美術学校油絵科入学
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昭和二十年
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陸軍輜重兵学校入隊 終戦により復員、復学
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昭和二十四年
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光風会展、日展に初入選
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昭和三十二年
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四年半をかけてアメリカ、メキシコ、ヨーロッパを改造した二トン三輪トラックで巡遊、各地で個展を開く
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昭和四十年
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日展特選受賞
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昭和五十七年
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日展審査員
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平成四年
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平成九年
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光風会展文部大臣賞受賞
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平成十二年六月
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逝去 享年七十四歳
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日の出と薔薇と美女を題材とする彼の絵は、清純でなんとも美しく、彼の人格がにじみ出ていて私の家にも数点かけてあり、
いつも眺めては彼のことを思いだしている。
しかし、彼と私とは単なる画家と顧客というだけの関係ではなく、ともに無類の日本酒好きということで、会えば、
必ず酒になる。酔えばお互いの波長が面白いようにかみ合って、話しは彼の若い頃の苦労話や芸術談義、はては自分で
改造したマツダの三輪トラックでの世界十三ヶ国、約十万キロを四年半かけて走破した時の話し等々。飲むほどに
酔うほどに話しはつきず、きまって次の日は二日酔いの重い頭をかかえる羽目になった。
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「おれはどうやっても金なんかたまるような人間じゃない。どうせたまらんのなら、お金がないならないまま描けるだけ
描いたら、頭と手に何かが残るんじゃないだろうか? ヨシッ金をためるかわりに、頭に何か貯めてやろう。金がなくっても、
なんとか酒は飲めている。描いていればやっぱり、毎日毎日がなんとなくおもしろい。
酒を飲むように描いてやれ・・・・・。
『頭と手に貯金』するのだ。外国での四年半、おれは絵を売ったのではなく、『桐野江・頭銀行』の小切手を切って
きたのだ」(桐野江節雄著『世界は俺の庭だ』より)
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いくつになっても書生気分の抜けない彼との付き合いの中で、いつしか私も何か「頭と手に貯金」がしてみたいと
思うようになっていた。
そして今から十年前、以前から悪かった心臓がとうとう危機状態になり、手術をしても人並な生活に戻れる保証はない
と医者から宣告された時、何か一つこの世に生きた証
を残したいという欲望が湧いてきた。
せっかくこの世に生れてきたのに、何一つ生きた証を残せぬまま死ぬのは何としても口惜
しい。どうせ私は馬しか
知らぬ男。私から馬をとったら何も残らないと人は言い、自分でもそう思っているのだから、一つ生きているうちに理想の
馬の像を創ってやろう。
桐野江さんの感化によって目ざめた私は、早速粘土を買ってきて形見の馬像創りに挑戦した。
いよいよ入院する数日前、どうにか出来上った三十センチ程の粘土の馬像を、そっと女房に持たせ、私が車を運転して
彼の所に見せに行った。
彫刻にも造詣の深い彼は親切に「ドガ」の馬のブロンズが何点も載っている本を出してきて一、二ヶ所直した方がいい
と意見を述べた上で、「このままではいずれ壊れてしまうから、ブロンズにするといい」と川口の美術鋳造所を紹介してくれた。
その時創ったブロンズ像があったお陰で、馬事公苑の正門の銅像を創ることができ、それ以降今日迄創った銅像は東京・
神戸・千葉・横浜・宇都宮・府中と数えると十一基、今も来春オープンする新潟競馬場のドームに設置する二頭のサラブレッド
と騎手の銅像を製作中である。
今年の一月二十八日、夫婦して「桐野江さんを偲ぶ会」に出席させて頂き、彼の遺影に手を合わせ御冥福をお祈りすると
同時に、心から有難うございましたとお礼を言った。
もし彼との出逢いがなかったら、恐らく私は暇をもてあましつつ灰色の人生を歩んでいることだろう。
彼のお陰で今の私は「頭と手」が働く限り生涯現役として馬の像を創り続けることができるような気がする。
この文章を書きながら彼に心から感謝しつつ、この幸福感をじっくり噛みしめようと思う。
合掌 (2000.3)