5. 卦は卦面に非ずして解心にあり

 今年(1999年)の年賀状に私は、
        「年年是好年
         日日是好日」          (虚堂録)
 と書いた。
 この言葉は中国の高僧、虚堂禅師が元旦の朝、一堂に会した修行僧を前に発した新年の第一声である。
 人間はひとたびこの世に生を受けた以上、運命に流されることなく、決して悔いの残らぬ人生を送るように全力を 尽くすべきだが、だからといって、そのことにこだわることなく、人生をあるがままに受入れて心に何も残さぬカラリ とした毎日を送るべきだということか。
 今から二十数年前、会社の経営が思わしくなく、いろいろと悩んだあげく、藁をもつかむ思いで「神宮館開運暦」 という高島易断の本を買った。
 そこに書かれていた私の今迄の運勢が意外に当たっているのに驚くと同時に、七赤金星の庚午五月生の男は、中年期には 浮き沈みが激しく苦労するが、晩年には良運を得ると書かれているのを読んで、何か救われる思いをしたものだ。
 その易に気を良くしたわけではないが、それ以来、年末になると必ず易学の本を買って、新しい年の運勢と毎月の運勢を 新しい手帳に書き留めるのが習慣になった。
 去年の私の運勢は低迷運、いわゆる厄年で、完全運休して発展的要素や進展の気などが完全に失われ、万事が塞がって 通じない気運ととあり、今年は育営運、労力なければ安定なしとあった。
 また今年の年時運占断によると、国運はもとより日本経済・社会情勢・景気・株価動向。農業等いずれをみても 芳しいことは何一つ書かれていない。
 だからといって座して死を待つわけにもいかず、何としても「年年是好年、日日是好日」と乗り切るしかないと思った。
 以前私の親しい馬乗りの先輩から「卦は卦面に非ずして解心にあり」という言葉を聞いたことがある。
 易経は筮竹(ぜいちく) を操作して算木を並べ「卦」を作り、その形を易経に照らして解釈することで吉凶や運勢を判断するときく。
 その時の() の形を卦面といい、その卦面をどう解釈するかを解心というところから、この言葉は、並べられた算木の形、 即ち卦面が重要なのではなく、それをいかに解釈するかが問題だというのだ。
 情報社会と言われて久しく、巷には情報が氾濫している。確かな情報をいち早くキャッチすることも大切だが、その情報 という卦面を如何に解くかという正しい解心がなければ、せっかくの情報も、「猫に小判」というもの。
 古典落語の熊さん八っつあんが正月に横町のご隠居から何か目出たい俳句をつくれと言われ、「家中を福の神がとりまいて」 とやったまではよかったが、下の句を「貧乏神の出処がなし」というのがあった。
 貧乏神の出処のない程八方塞がりの今年の卦も、考えようによれば、とにかく家の周囲を福の神がとりまいてくれたのだから、 いずれ貧乏神も尻尾をまいて逃げ出すに違いないと解心することにしよう。
 現に私の去年の運勢も、卦面上破砕悪の厄年ということで、それだからこそ去年一年本腰をすえて自己啓発し、研鑽、 錬磨につとめようと思っものだ。
 そして今、去年一年を振り返ってみても、まんざら悪い年ではなかったように思う。
 客観的な情報というものは、非情なもので、私達には如何とも為しがたいものだけれど、その情報をいかに有効に活用して 自分の運命を切り開いてゆくかは、その人その人の心構え一つにあると思う。
 1995年(子年)の正月、私の親しくお付き合いさせて頂いている染色家の丸山扇丘さんから大変嬉しい年賀状を頂いたことがある。
 彼女の手になる舞台衣装は板東玉三郎や山田五十鈴が好んで着ているが、和紙でつくられた観音開きのその年賀状は、表に「福の神 の御定宿、西村家」とあり、それを開くと三匹のネズミが内出の小槌をかついで、「オーイ親分!忘れちゃだめだよ」と言っている。
 それに対する親分(大黒天)の返事は、「いいんだよ、そりゃ西村にやったのさ」。
 私より一まわり上の午年生まれ、ちゃきちゃきの江戸っ子の彼女の和服の発表会には、決まって江戸火消の、いなせな 若い衆が七、八人、木遣りの良い(のど)を聞かせてくれる。
 同じ午年生まれで馬が合うのか、よくいろいろなところへお誘いを頂いたものだ。
どこをみても不景気風の吹くお寒い昨今、せめて彼女のようなユーモアで今年一年明るく楽しく過ごそうじゃありませんか。

(1999.1)