4. 元気は頭から出ると知れ

 早いもので1998年もあと一ヶ月を残すのみ。
 政治も経済も年内の好転は望むべくもなく、逆にその混乱は深まるばかり。リーダーシップを発揮することを僭越と 考えているボキャ貧首相のいる限り、来年に対するますますの悲観論を払拭することはできない。
 今から十数年前、縁あって私の次女を渋沢栄一の孫の渋沢多歌子女史(有名な慈善団体を主催し、また優れた随筆家 でもあった)の養女にしたことがあった。
 「したことがあった」と過去形で書いたのは、その養子縁組を二年程で解消したためだが、解消後も私ども夫婦は 渋沢女史と非常に親しくお付き合いを続けさせて頂き、数年前の夏、軽井沢で私に自分の手料理を御馳走したいからと (渋沢多歌子・飯田深雪・朝吹登水子の三女史は美食家として有名)招待された。
 その時「私もこの年で交通事故では死にたくないからベンツにしたのよ」等とたわいもない話しをしながら美味しい 食卓を囲んだその翌日、渋沢さんは関越道の花園インター近くで交通事故で亡くなってしまった。
 原因は運転手のハンドル操作ミスによるものらしく、高速道路から下の農道に転落したもので即死だという。
 生きておられたら私もいろいろと学ぶことがあったのに、まったく惜しい人を亡くしたものだ。
 そして今年十一月十四日、新宿のホテルで故人と特に親しかった人達が集まって「渋沢多歌子さんを偲ぶ会」を催したが、 その席上、社会福祉法人・衆善会、和敬学園理事長・樋口弥生さんより一冊の古い雑誌を手渡された。
 大正十年二月一日発行の「衆善」(衆善=多くの善事)を開くと、その冒頭に子爵、渋沢栄一として数編の論文が掲載されていた。
 その中の一編「元気は頭から出ると知れ」を渋沢多歌子女史に代わって紹介させて頂き女史の冥福を祈りたいと思う。

     『元気は頭から出ると知れ』         子爵 渋沢栄一

 とかく老人というものは俺の若い時はと言いたがる欠点がある。然し其の様な心持を充分に割引して考えてみても私達の 若い頃と比べて今日の青年の方がどうも劣っていゐるやう思はれる。
 成程、昔の青年の乱暴で粗野の(そしり) は免れない、今日の青年は、昔の若い者より洗練されて居るが其の反面には憂うべき 欠陥が蔵されているやうに見受けられる、今日の青年の間には、享楽主義とか云った思想が流行する、刹那を楽しみ今日を 楽しむのはなにも悪いことではなく、それで其の人間の一生が幸福に送ってゆかれ、社会も何の迷惑を蒙らないならば、 此れに越した事はない、然し人生は或る意味に於て一種の洗浄である。文弱に流れ、刹那の快楽に耽溺(たんでき) する者が強健にして 努力奮闘の士に追い越されるのは、何時の(しゅ) にも見受けられる事で、昨日の幸福者、今日の劣敗者となり、人を呪い 世を恨み落莫たる人生を送るに至るのは余りに享楽主義に反した現象ではあるまいか。
 () うなったのは、魂のない現在の教育方針も確に責任の一半を負わなければならぬ、今日の教育は梯子段教育である、 トントントンと登ればよいと心得てゐる、上っていく人間にどんな魂を吹込んだかは問題ではない。学生も其の通りで、 後から後から詰め込まれて、とんとん式に学校を放り出されて、それで徳器を成就し知能を啓発したと心得てゐる、 真逆(まさか) それ程でないとしても、兎も角、一人前になった(つも) りで、眼前のチッポケな享楽に耽溺してゐる。
 何れにしても現在の教育は、魂を吹き込むことを忘れてゐる、魂を有たぬものは、他の形式が如何に上品に立派に完全に 取り揃へてあっても、それは人間ではない、それは人形である、人形には意気に感じ利害を無視して活動する元気がある筈はない。
 人形はヴィタミン量がどうだの、通風がどうだ、採光はどうだ、睡眠は八時間以上でなければ駄目だの、何だかんだと 所謂文化的生活条件を竝べてそれが悉く満足されなければ新時代の新元気は出るものではないと心得てゐるが、これが 大きな問題である、元気の真の源泉はこれ等の物質的条件にあるのではない、元気は頭から出るものである。強健なる魂から 生れるものである、健全な精神は健全な身体に宿るといふ言葉があるが、健全なる身体、必ずしも健全なる精神に宿すとは 限らない、脆弱なる体躯に驚天動地(きょうてんどうち) の大元気を蔵してゐる実例が(しばしば) ある、六尺近い図体でノロノロして追い越されてゆく のがある五尺に足りぬ小兵でピンピン爽快に跳ね廻ってゐるのがある。
 元気は頭から出る、昔の教育は此元気頭(このげんきあたま) 養成専門であった、処が現在の教育は他の色々な頭を詰込むが、この肝腎の元気 頭は詰め込まない、だから不元気の人形が出来上がる、だから世の中が元気がなくなる、そして日本が困ってくる、お互い 因縁があって此の国に生まれ、此の国の御恩を蒙って此の国に成長した以上は、唯一人だって庫の国が弱って、構わない、 亡んで(しま) っても差支えないと考へる者はあるまい、誰でも日本を少しでも、よくしたいに(きま) ってゐる。その定ってゐる考えで八方詰りの我国の現状を観察したならば、日本は今眼前(がんぜん) の享楽に耽溺している時ではないと知って奮起一番大元気を出して大活躍をしなければならぬに定ってゐる。その定ってゐる ことがさっぱり実現されなくなって国情、日々(にちにち) 非なるは即ち国民に元気が著しく欠如しいゐる証拠である。

(原文のまま)

 七十五年後の今日の日本、渋沢栄一の眼には一体どのように映ることだろう。
 まさに八方塞がりの我が国の現状、この国に生まれ、この国の恩を蒙っている以上、来年こそ奮起一番大元気を出して この難局を打破したいものだ。
 渋沢多歌子女史を偲ぶ会の当日、私のテーブルは細川佳代子、冷泉貴美子、樋口弥生の三女史であったが、この雑誌に目を通す 暇がなく、残念ながらその内容を話題にはできなかった。
 渋沢栄一の書いたこの外の論文「仕事に魂を入れよ」、「余が好む青年の性格」、「人格の修養法」等を読むにつけ、 今の日本に渋沢栄一の如き人物が現れてリーダーシップを大いに発揮して国のために死ぬ気で働く政治家の出現を期待する のは無理というものなのだろうか。
 どうやら渋沢栄一の言う「梯子段教育」の付けが今頃になってまわってきたのかもしれない。
 年末にあたり「来年が良い年でありますように」と言う型通りの挨拶がどことなくはかない夢の如く響くのは私だけなのだろうか。

(1998.12)