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 横井 玉子   安政2年(1855)9月12日〜明治36年(1903)1月4日
 明治期の教育者。女子美術学校の創立者。

<生い立ち> 
 熊本藩の支藩新田藩の宿老原尹胤(まさたね)の二女として、江戸築地鉄砲州に生まれ、13歳まで江戸で暮らしたが、慶応4年(1868)熊本に戻った。

<結婚> 
 明治5年(1872)、17歳の玉子は、アメリカ留学から戻っていた横井小楠の養子横井時治(左平太)と結婚した。
 左平太は横井小楠の兄・時明の長男で、慶応2年(1866)に弟の太平とともに渡米し、アナポリスの兵学校に学んだ。アメリカではジョン・フェリス博士の世話になった最初の留学生であった。フェリス博士親子は日本人留学生の世話をよくしたことから父のように慕われた。現在のフェリス女学院の「フェリス」は、フェリス博士に対する敬意を籠めて名づけられたのであった。

 左平太と太平兄弟は、帰国後、日本の文明開化のためにはぜひとも静養の文物を輸入せねばならないことを建白して、熊本洋学校の開校に尽力した。太平は胸を患っていたため、明治4年の開校を見ることなく22歳の若さで亡くなった。

 左平太は再度、アメリカに渡ったので、玉子は横井家に残った。
 そのとき横井家には姑のきよ、明治2年に暗殺された小楠の妻つせと時雄とみや子(後の海老名弾正の妻)の二人の子がいた。時雄は洋学校の寄宿舎に入り、玉子はみや子徳富(湯浅)初子の二人とともに洋学校に通った。そこで、アメリカ人教師ジェーンズから英語を、夫人からは洋裁と西洋料理を習った。

<21歳で寡婦> 
 夫の左平太は帰国して元老院権少書記官となったが、胸を患っていた。玉子は明治8年(1875)9月に上京して看病をしたが、同年10月3日に死去した。21歳で寡婦となった。しかも、実際に生活した月日は僅かであった。

<受洗> 
 同12年(1879)宣教師ワーデル(Waddell, Hugh)によって露月(芝)教会で受洗した。

<教員生活> 
 14年小笠原家の高等女礼式を学んだ。17年吉島滝音から筝曲の免許を得た。
 18年築地の海岸女学校の教員となり、礼式を教えた。同年10月築地の新栄女学校事務監督となり、礼式と裁縫の教授を兼務した。

 19年東京師範学校で高等裁縫と高等女礼式の教授資格試験に合格した。浅井忠に水彩画と油絵を学んだほか古流茶道、華道も修めた。22年(1889)新栄女学校と桜井女学校が合併して女子学院となると引き続いて寄宿舎監督となり、兼ねて礼式、裁縫、洋画、料理を教えた。

 矢島楫子の影響なのか、玉子は、明治26年(1893)12月2日の東京夫人矯風会年会において「賤業婦救済方法の研究」委員として選出された。

<女子美術学校を設立> 
 玉子は、33年(1900)8月女子美術学校設立とともに舎監兼幹事となった。
 同34年11月28日、東京日日新聞が「第一回の展覧会成功」と、女子美術学校の<女子美術協会>として開催した展覧会の評判の高かったことを報じた。また、翌35年(1902)3月28日の時事新聞には「開校間もなく教室狭隘に、近く増築」とニュースになった。

<逝去> 
 胃がんを患って入院中だった玉子は、明治36年(1903)1月4日午後7時半、湯島順天堂病院でなくなった。女子美術学校を創立するときから玉子は、すでにわが身の長くないことを悟って、全身全霊をもって学校経営に全力を傾注、過労のため48歳で死去した。黒田清輝が日記に「今夜横井玉子女史ノ訃ニ接ス」と記した。

 この間、日本基督教婦人矯風会会員をもつとめた。

 玉子のことは、死してなお郷里でまた教育機関で語り継がれ偉業を称えられている。
 平成6年には熊本県の近代文化功労者としてリストに掲載された。

 玉子の開設した女子美術学校同窓会は、玉子の功績を語り継いでいる。
 平成14年(2002)11月14日には女子美術学校100周年を記念して横井小楠の曾孫に当たる横井和子がピアノ・リサイタルを開いた。平成16年(2004)10月に玉子生誕150年を記念して胸像が建立する計画のために同窓会ホームページに案内を出し、同時に玉子に因んだ講演会をも同時に行うこととした。
出 典 『植村1』 『植村5』 『女性人名』 『明治ニュース事典6』 『明治ニュース巣事典7』 『矯風会百年史』

女子美術大学 http://www1.joshibi.ac.jp/fuzoku/index.html ,http://www.joshibi.ac.jp/index_fl.html
同窓会の歴史 http://www.joshibidosokai.net/history/his01_1900.html
近代肥後異風者伝 http://www.kumanichi.co.jp/ifuusya/ifuusya27.html
黒田記念館 http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/k_diary/japanese/1903/dy9030104x.html
県近代文化功労者被顕彰者リスト http://www.higo.ed.jp/kyodo/kourou5.htm
フェリス女学院 http://www.ferris.ed.jp/ayumi.html
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