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 服部 ケサ        明治17年(1884)7月19日〜大正13年(1924)11月22日
 大正期のハンセン病救済活動に尽力した医師。

<生い立ち》>
 福島県岩瀬郡須賀川町で、父・真太郎(なおたろう)と母・セイの次女としてケサは誕生した。
 父・真太郎は「ランプ釜屋」という燈油や石油の卸業と呉服反物雑貨商を営む旧家の主であるが、商いよりも好きな上り絵を描いたり句作に励んだり、ときには手作りの薬を人々に分け与えるなど、自分の好きな暮し方をしていた。子どもたちにも「女だから」という区別をすることなく自由に好きな道を選択させた。

 その結果、兄躬治(もとはる)は歌人で国文学者、妹のテイは水野仙子で知られる女流作家で、「服部三兄妹」として名を今日に残している。服部家は、須賀川城主の家来二階堂四天王の一人で、母も長沼の士族出身であったことから、強い志を抱く家風といえよう。

 妹の水野仙子は、明治21年12月3日生まれ。明治38年(1905)須賀川裁縫女学校を卒業した。文学少女として『少女界』『女子文壇』などに投稿を続け、40年に『文章文壇』に水野仙子で登場することしばしばであった。「徒労」が田山花袋の目に留まり、42年3月上京して田山家に下宿して指導を受けることとなった。田山門下生川浪磐根と結婚、青鞜社社員、読売新聞記者として身の上相談に応じていたが肋膜炎(結核)を発病してケサの働く草津で療養した。有島武郎とも交流があり、その思想に影響があったが、病気回復が思わしくなく、静養先の草津で、大正8年(1919)5月31日32歳で死去した。

 ケサは、須賀川高等小学校卒業後、付属裁縫専修科を出たものの、日々、裁縫ばかりしている自分に疑問を抱き、兄・躬治の影響を受けて文学の道に進みたい思いが強まり、上京した。与謝野鉄幹・晶子の主宰する「明星」や河合酔茗の『女子文壇』に投稿するなど、早熟な文才と情熱には周囲が目を見張るほどだったと言われている。

<医師になる決意> 
 しかしその後、郷里に戻り体の弱い両親や姉の看病、そして東京で兄嫁の看病に当たっているうちにケサは医師になろうと決心した。このことを父に打ち明けると「せっかく医師になるならばもっとも重い患者の友となるように。そうでなければ医者としての値打ちはない。人の真似のできない医者になれ。自分も実は医者になりたかったんだ」と、喜んでケサを励ました。

 ケサは、ひそかに「らい患者のために働きたい」という志望を抱いて上京し、明治38年(1905)8月、21歳で東京女医学校(現在の東京女子医科医大学 創立者吉岡弥生)に入学した。

<受洗>
 東京女医学校在学中に独立教会・駒込基督会(徳永徳麿牧師)の熱心な求道者となって、明治43年(1910)に受洗した。教会では東京女医学校の学生のため、毎週、聖書研究会がもたれた。

《召命》
 ケサは在学中、赤痢に罹り、腎臓病を併発して生死の境をさまよい、百余日病臥状態であった。奇跡的に快復したケサは自分に与えられた地上での使命と神の導きによる召命を感じてハンセン病救助に生涯をささげる決意を固めて、大正3年(1914)医師の資格を得たが、女医の門戸が狭い上にハンセン病患者の施設も普及していなかった。

 兄の助言もあり、創設間もない三井慈善病院(現在の三井記念病院)に、医師としてではなく、看護婦として就職した。ここで、終生の信仰の友であり同労者三上千代を知った。三上は中田重治の神学校を出て伝道師になっていたが、ハンセン病患者に出会ったことを契機に三井慈善病院の看護婦講習所に入所したのであった。

<ケサの死>
 草津・鈴蘭園開院22日目の、大正13年(1924)11月22日、ケサは亡くなった。棺の前で三上千代が「愛人にでも別れたように涙し、祈った」姿を、初めてキリスト教式葬儀に参列した小倉兼治は強烈な印象を受けたのであろう。その出来事を記録に残した。追悼会の席上、三上千代は語った。「池の中に投じた小石はもはや浮かび上がることもないが、その波紋は必ず岸辺に達します」と。

 草津の服部ケサの墓の横に三上千代もまた並んで眠った。

 ケサの亡くなった翌日、全生病院長・光田健輔を訪問した「イエスの友の会」メンバーに、ケサの同労者三上千代から「ジギョウケイゾクシタシオタスケクダサイ」との電報を披露した。一行は、多大な感銘を受けて全生病院を後にした。
文中に「らい患者」と出てくるが、ケサの過ごした時代は、まだ「らい」と言われていた。
出 典 『女性人名』 『足音は消えても』
郷土資料(http://www.fks.ed.jp/DB/kyoudo/index.html
須賀川市人物読本(http://www.fks.ed.jp/DB/kyoudo/20.sukagawa3/html/00109.html

至誠と愛に生きる(http://www.twmu.ac.jp/TWMU/Yayoi.html
聖バルナバ医院 http://homepage2.nifty.com/jmm/legh/hospital.html