明治〜大正期の小説家
<生い立ち>
福島県に生まれた。本名はテイ。
兄に歌人で国文学者の躬治(もとはる)、姉に医師の服部ケサがいる。「服部三兄妹」として名を今日に残している。服部家は、須賀川城主の家来二階堂四天王の一人で、母も長沼の士族出身であったことから、強い志を抱く家風といえよう。
明治38年(1905)須賀川裁縫女学校を卒業した。
文学少女として『少女界』『女子文壇』などに投稿し、40年に『文章世界』に水野仙子で登場することしばしばあった。
42年2月に『文章世界』に「徒労」が発表されると田山花袋の目に留まった。42年3月上京して田山家に下宿して指導を受けることとなった。やがて今井邦子らと共同生活をやりながら創作に励んだ。
<結婚>
田山門下生の川浪磐根と結婚した。
創刊時から青鞜社社員、読売新聞記者として身の上相談に応じていたが肋膜炎(結核)を発病して姉の服部ケサが働く草津で療養した。有島武郎とも交流があり、その思想に影響があったが、病気回復が思わしくなく、静養先の草津で32歳で死去。
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