河内山 江戸前の粋 2007.11.30 W202

11月30日、南座顔見世の初日夜の部を見てきました。

主な配役
河内山 仁左衛門
出雲守 翫雀
和泉屋清兵衛 東蔵
後家・おまき 竹三郎
北村大膳 團蔵
家老 左團次
浪路 孝太郎
宮崎数馬 愛之助

「河内山」のあらすじはこちらです。

南座顔見世初日は、主な役者さんの奥様方もほとんど顔を揃え、ロビーも華やかな雰囲気でした。仁左衛門の河内山は3年ぶり。前回の記憶よりも江戸前の台詞に磨きがかかり、べらんめえの啖呵を思いっきり気持ちよく聞かせてくれました。

松江候に「さぁ、さぁ、・・・」と詰め寄るところで、ついヤクザな地金が出てしまっているのにはっと気がついた河内山が、お使い僧のすまし顔に戻るところのおかしさ。出された食事を空腹でないからと断り「願わくば山吹色のお茶を・・」という時の流し目のたくみさ。所望したとおり運ばれてきた金を見ようとした時、突然鳴り出した時計にびっくりしてひたすら念仏をとなえる件。

大膳に頬のホクロを見咎められ、化けの皮がはがれた時の変わり身の鮮やかさなどなど、仁左衛門の河内山は飛び切りキレが良いのが身上です。仁左衛門の江戸の芝居には言葉にどうしても抵抗を感じるという方もいらっしゃるようですが、今月の河内山はそんな不満は微塵も感じさせない見事な出来だと思いました。

いっそ手討にしてくれという浪路の孝太郎には凄みがありましたし、数馬の愛之助には不義を犯しただろうと言われても不自然でない色気があってよかったと思います。北村大膳の團蔵は「大男総身に智恵が回りかね」と侮られるには少し鋭すぎる感じを受けました。家老の左團次は実直そうで、おまきの竹三郎、和泉屋の東蔵もぴったりと役に合っていました。

夜の部の序幕は幸四郎の「梶原平三誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)―「石切梶原」。

―ここは鎌倉八幡宮の社頭。平家の大名たちがいるところへ大庭三郎景親と俣野五郎景久の兄弟が参詣しようとやってくる。そこへ兄弟とは折り合いの悪い梶原平三景時も姿を見せる。梶原の勧めで大庭兄弟はその場で盃を交わす。

ここへ青貝師六郎兵衛とその娘梢が大庭にかねての約束どおり刀を買い上げてもらおうとやってくる。すぐに300両という大金で刀を買おうとする大庭にむかって弟の俣野は、もっと刀を吟味するべきだと言い出す。そこで大庭は刀の目利きとして名高い梶原にその役目を頼む。

梶原が丁寧にその刀を見ると、まぎれもない名刀と判明する。梶原は大庭に買うことを勧めるが、俣野はその場で試し切りをしてからの方が良いと兄に言う。そこで梶原は死罪と決まった囚人を二人連れてくるように言いつけるが囚人は一人しかいない。

それでは二ツ胴の試し切りはできないとなると、六郎太夫は昔二つ胴をしたという証明書が家にあるので、娘をとりに行かせるという。なんとなく不安な気持ちで梢が家にもどっていくと、六郎太夫は証明書があるというのは嘘で、ぜひ自分を試し切りに使い、金は娘にやってほしいと頼む。

大庭が承知すると早速俣野が試し切りしようと勇み立つが、梶原はそれは目利きをした自分の役目だとにらみつける。そこへ梢がもどってきて、この有様を見て驚くが、六郎兵衛の意思はかわらず、梢は失神する。

梶原が試し切りをすると、上の囚人はまっぷたつになっていたが、六郎兵衛は無傷だった。大庭や俣野は梶原の目利きがいい加減だったとあざ笑いながら去っていく。だれもいなくなると、梶原は二人に初めて本心を明かす。

今は平家につかえているが、もともと源氏の武士だった梶原は石橋山で絶体絶命の頼朝を救い、いつか源氏の世になることを信じて待っているのだと言う。刀に八幡太郎と銘が入っているのを見て、六郎太夫親子が源氏に縁のあるものだと思い、わざと二ツ胴の試し切りを失敗させたと話す。

六郎太夫は源氏の武士を夫にもつ梢のために金を調達しなくてはならなくなり、それで刀を売ることにしたのだと梶原に打ち明ける。そして梶原はその刀を300両で買い上げることを約束し、三人は意気揚々と梶原の館へと向かうのだった。―

手水鉢を切るところは後ろ向きの、吉右衛門型。六郎太夫と梢親子は手水鉢の両側に立って「二ツ胴」の代わりをせず、やや下手に並んで座っていました。刀で大きな石をまっぷたつに断ち切るというもともと荒唐無稽な話なのですから、梶原が正面を向いて切ったあと割れ目から飛び出してくる羽左衛門型のほうがやっぱり面白いなと思いました。梶原がどうしても策士に見えてしまうのは、高麗屋の持ち味なのかと思います。

それはそうと実際「二ツ胴」と銘が刻んである刀もあり、刀の切れ味を試すために罪人を切ることが行われていたのかと思うとぞっとしますが、実際は生きた人間を切ることはご法度で、死体に限ったのだそうです。それなのに芝居では生きた人で試し切りをするのは、武士階級に対する風刺なのでしょうか。

次が「寿曽我対面」。道具幕の前で大名たちが渡り台詞を言い、幕が振り落とされると工藤の富十郎が最初から上手手前に置かれた台の上に座っているところから始まり、最後まで工藤が立ち上がることはありませんでした。しかし富十郎の工藤は堂々としていて立派でした。

錦之助の五郎と聞いて、荒事にまで手を広げて大丈夫なのかと思いましたが、そんなに若くはない分コントロールされた五郎という感じをうけはしたものの元気な五郎で、剥き身隈が美しく似合っていました。

十郎の菊五郎はまさにはまり役。舞鶴の時蔵はたおやかで存在感がありました。近江の松緑の顔がなかなか良く、八幡の愛之助とともに絵になっていました。

劇中錦之助襲名披露の口上があり、富十郎と菊五郎が代表で口上を述べました。

三幕目は藤十郎の喜寿記念と銘打たれた「京鹿子娘道成寺」。聞いたか坊主は出てくるものの、道行はカットされて、前もって知らないと話としては全く意味不明です。しかしながら正面から登場した藤十郎は凛として若々しく、足腰のねばり強さは77歳とは思えません。手拭をまく所化が花道に出てこず前の方だけにまいていたのはどうしてなのか、たかが手拭とはいえ、できるだけたくさんの人にチャンスをあげるべきだと感じました。

最後は踊りが二つで、松緑と菊之助の軽妙な「三社祭」と翫雀と扇雀の「俄獅子」。おそらく初日なのでのびたのでしょうが4時20分からたっぷりと五演目見て、終わったのは10時ちょっと前でした。

この日の大向こう

初日ということで、とてもたくさんの声が掛かっていました。大阪の初音会の方も3人ほどいらしていて、京都の大向こう・来洛座さんも二幕目まできておられました。

「石切梶原」で見事に手水鉢をまっぷたつにした平三の「剣も剣」、六郎太夫の「切り手も切り手」の後、今日はどうかなと思っていましたら「や〜くしゃもやくしゃ〜」と糸にのらないでどなたかが掛けられました。前回聞いたのはきっちりとリズムに合わせたかっこいい「役者も役者」でしたが、あえて糸にのらないかけ方もあるのだというご意見は聞いたことがありました。

このお声の方は声は悪くなかったと思いましたが、若干躊躇されたのか間のびしてしまったのは残念でした。どうせならズバッと掛けていただきたかったです。

半世紀以上歌舞伎を観てこられ、大向こうも実践なさっている方に この掛け声について伺ってみました。

―「役者も役者」は役者、竹本との後に、更に大向こうが割って入るわけで、 掛け声が糸に乗らず、単に棒読みのようになって終わってしまう危険が多々あります。間がある場合は良しとしても役者によってはこの掛け声を嫌って その間を与えないケースもありますね。

非常に高度なテクニックが要求される掛け声ですから私は あそこであの掛け声は掛けません。 巧くいっても、チャリ掛けと紙一重で多分客席に笑いが起きるのではないでしょうか。

このところ私自身は幸か不幸か東京ではあの掛け声に遭遇しませんね。 時々ご年配の一般の方でしょうか、掛ける方がいると聞きますが過去は知らず 現在の会員の方は どなたも掛けないんでは?と思うのですが如何でしょうか。―

「河内山」の名台詞の始まり「こういうわけだ、聞いてくれ、よ〜」で「よ〜」を待たないで「待ってました」が掛かってしまったのは私としては残念でした。役者さんの苦心が現れるところだと思うので、ちゃんと最後まで聞きたかったと思います。

ところで「道成寺」で、まだ藤十郎さんの姿が見えないうちに「山城屋」と何度も掛かったのには、ちょっと驚きました。「恋の手習い」でこちらも「まってました」と声が掛かっていました。

南座顔見世夜の部演目メモ

「石切梶原」 幸四郎、愛之助、我當、家橘、錦吾、高麗蔵、亀鶴、薪車
「寿曽我対面」 錦之助、菊五郎、富十郎、秀太郎、時蔵、扇雀、團蔵、亀鶴松緑、愛之助
「京鹿子娘道成寺」 藤十郎、亀鶴、薪車
「河内山」 仁左衛門、翫雀、竹三郎、東蔵、松之助、孝太郎、愛之助、左團次、團蔵、
三社祭」 松緑、菊之助

「俄獅子」 翫雀、扇雀

目次 トップページ 掲示板

壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」