京鹿子娘道成寺 玉三郎の美の世界 2003.1.11

10日の歌舞伎座昼の部を見てきました。

「京鹿子娘道成寺」のあらすじ
ここ道成寺では、鐘の供養が行われようとしている。むかし清姫と言う娘が熊野詣の途中で立ち寄った安珍という僧に恋をして、強引に結婚の約束させた。だが安珍は修行のために清姫から逃げ出し、約束を果たそうとしなかった。

怒った清姫が追いかけて来たので、安珍は道成寺の鐘の中に逃げ込んだ。すると嫉妬の炎をもやした清姫は蛇体となって鐘にまとわりつき鐘を焼き尽くして安珍を殺したという言い伝えがあり、そのための鐘の供養なのだ。

所化たちが供養しているとそこへ美しい白拍子が舞を踊らせてほしいとやってくる。供養のために踊るのなら良いだろうと許された女は踊っているうちに蛇の本性をあらわにして、鐘の中に入ってしまう。この白拍子こそ実は清姫の霊だったのだ。

玉三郎が「道成寺」で完璧な美の世界を見せてくれました。

「京鹿子娘道成寺」と言う踊りは安珍清姫伝説による大まかな筋はあるものの、それと関係ない場面が次々と出てくるので、実を言うと私は「この踊りは何度見ても面白くない」とずっと思ってきました。

外国でこの踊りを上演した時、その時上演した演目について人気投票をしたら「京鹿子娘道成寺」はワースト2だったそうです。(2001年東京大学出版会 河竹登志夫著「歌舞伎」より) ちなみにその時一番人気があったのは「忠臣蔵」だったとか。

「衣装を何度も取り替えるのは、この主人公が本当は大蛇で脱皮しているのだ」とあちらの解説書に説明してあったので、「踊る人は着替えるたびに何%くらいづつ蛇に変るのか」と言う質問が出て、「なるほど西洋ではどうにかして合理的な説明をつけたがるものだ」と河竹氏は納得したそうです。

「『ドラマが深く潜行しているところ』が、300年間の鎖国で培われた日本文化独特の洗練された美意識で、そこが外国の文化と最も違う点ではないか」と河竹氏は考察しています。しかし外国人でなくても、現代の日本人にだって話の筋のはっきりしないこの踊りは理解されにくいだろうと私は思います。実際「初めて歌舞伎を見る日本の若い人と外国人の反応は、何ら変るところがない」と河竹氏は書いています。

この踊りは話の筋を追うのではなく、一人の踊り手が娘心のさまざまなパターンを衣装や小道具を何度も替えながら踊り分ける、その繊細で微妙な味わいを楽しむものなのだそうです。

しかし例えばこの踊りの「恋の手習い」というところは、特殊な江戸の文化を繊細に表現したもので「吉原に通った事がある人じゃないと本当の味はわからない」と今の三津五郎の祖父、八代目三津五郎は言ったとか。江戸時代から既に135年たった今、その繊細で微妙な世界はもう普通の日本人にとってかなり遠いものになってしまったのではないでしょうか。

ところが玉三郎の「京鹿子娘道成寺」は、どの場面、どの一瞬をとっても常に美しい絵になっているので、分らないからつまらないとなどと言う事がありません。衣装が替わる時も、単に着ているものが替わったというだけではなく、はっきりと踊りの雰囲気全体が変わるので、見物はその魅力に魂を奪われるように玉三郎の創り出す美の世界に引き込まれてしまうのです。

玉三郎の踊りはその持ち味がきわめてユニークなので、一人で踊る時に100%その良さを発揮できるのではないかと私は思います。仁左衛門と踊った「二人椀久」はそれぞれの良さを生かせたと思える例外的作品です。玉三郎の世界はすべてが彼独特の美意識によって隅々までコントロールされているので、異質な他者を受け入れる事がなかなか出来ないのだと思います。三津五郎の「喜撰」にお梶で出たときそのことを強く感じました。

引き抜きなども他の役者がやった時と明らかにちがい、美しくコントロールされていてそれは見事なものでした。
他の役者がやるとどうしても完全に引き抜く前に、上の着物と下の着物がずれてばらばらになってしまったりしますが、玉三郎の引き抜きはそういう裏の作業が全くと言って良いほど見えず、本当に一瞬にして替わってしまうのが驚きです。それには後見の坂東守若の手腕がすぐれていて、玉三郎との息がピッタリ合っているからだろうと推量できます。

守若の動きは玉三郎にあわせて優雅でそれでいて全く目立たず、引き抜いた後も静かに何事もなかったかのようにいなくなるのが、後見とはかくあるべきなのだと思わせました。いつもは腰元の一人で特に目立たない守若の、思いがけないあざやかな芸を見た思いでした。こういう地味だけれど大切な役目を立派に務めることのできる役者が、いつまでも歌舞伎の世界に絶えないよう願いたいものです。

「矢の根」でも三津五郎の後見をした三津之助が、太い襷を見物の見ている前で手際よく掛けたのに、盛んな拍手が起こりました。

三津五郎の五郎は、ちょっと柄は小さいながら荒事の稚気を上手く表現していて新鮮でした。「浜松屋」では團十郎が南郷力丸を好演。最近團十郎は顔つきが前より引きしまって、壮年の魅力が増してきたのは喜ばしい限りです。

この日の大向う

掛け声の一番掛けやすい「白浪五人男」にどんな声が掛かるか、興味津々で見ていました。

ですが「どこの馬の骨か、知るものか」と「知らざぁ、言って聞かせやしょう」の間に掛かった「まってました!」は菊五郎がそこにあまり間をとらない為に、ちょっと窮屈な感じがしました。菊五郎の場合は「知らざぁいって聞かせやしょう」の後に「まってました」を掛けた方が綺麗にきまるのではないでしょうか。

「どうなっているんだろう?」と思ったのは例えば「稲瀬川の場」で「賊徒の張本、日本、駄右衛門」と名乗る時、「駄右衛門」の前で声は掛けるものだと思っていましたが、ほとんど全員が「駄右衛門」と言い終わってから掛けていました。ここは間で掛けた方がずっと粋で格好いいのにと思います。

しかしそれぞれの役者がどのくらいそこで間をとるかが判っていないと、本当に「極まった!」と思える掛け声をかけることは難しいなとあらためて思いました。

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