河内山 豪快な一喝 2003.9.24

18日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
河内山 吉右衛門
松平出雲守 梅玉
北村大膳 芦燕
上州屋おまき 吉之丞
浪路 芝雀
和泉屋清兵衛 又五郎
高木小左衛門 我當
宮崎数馬 歌昇

「河内山」のあらすじ
上州屋質見世の場
江戸の下谷長者町(したやちょうじゃまち)、質屋の上州屋店先へやってきた札付きの悪、お数寄屋坊主の河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)は、「紀州家からの拝領品の木刀を質草に、50両貸してくれ」と無理難題をふっかける。

番頭がそれを断るのと、後家のおまきに直接談判しようとする河内山。しかしこの家にはなにか問題が起こっていて親戚が集まって相談中だという。

そこへおまきが姿を見せ「実は娘の藤が、浪路として腰元奉公している大名の松江家で殿様の妾になれと言われて、これを断ったために屋敷内に幽閉されてしまったので何とか助けたいと、親戚が集まって相談している」と話す。

それを聞いた河内山、自分が一肌脱ごうともちかけるが「礼金ははじめに百両、娘が帰ったら百両、合計二百両」とふっかけるので「信用できない」と番頭が大反対。

「いつもひじきと油揚げしか食っていないやつらに碌な工夫もできまい」と河内山が帰りかけると 、親戚の和泉屋清兵衛が出てきて「その金は自分が出すから、娘を助け出してくれ」と頼む。

金を受け取った河内山は「おそくても明後日までに娘を取り戻す」と約束して帰っていく。

松江邸広間の場
一方松江邸では主人の松平出雲守が、意にしたがわない腰元浪路を手討ちにしようと追いかけ回している。それを近習頭、宮崎数馬が止めるが、重役の北村大膳は「数馬が止め立てするのは浪路と不義を働いているからだ」と言い立て濡衣をきせる。

二人は窮地においこまれるが、家老の高木小左衛門が殿様をいさめる。そこへ上野寛永寺からのお使い僧がやってきたとの知らせ。寛永寺の門主は将軍の親戚で、大変な権力をもっているので一同は「さては浪路のことがお上の耳に入ったか」と緊張する。

緋色の衣を着て頭を綺麗に剃った、お使い僧北谷道海(きただにどうかい)、よく見れば河内山の化けた姿。手付けにもらった百両で支度を整えやってきたのだ。

しかたなく対面した出雲守へ、最初は穏やかに浪路を返すように言うのだが、言う事を聞かないので、「このことを老中に伝えるがいいのか」と切り出し、とうとう浪路を返す事を承知させる。

談判の後次々と出されるご馳走を前にして「相なるべくは山吹色の茶を一服所望」と金を要求するしたたかな河内山宗俊。

松江邸玄関先の場
首尾よく浪路を取り返し帰ろうとすると玄関先で、北村大膳に「高頬に大きな黒子があるからには、お数寄屋坊主の河内山に違いない」と見破られる。

河内山はもはやこれまでと開き直り「つきだせるものならつきだしてみろ。河内山はご直参だぜ」と玄関にどっかと座り込んで啖呵を切る。

そこへ家老の高木が進み出て、「騒ぎ立ててはお家の恥」と言って、北村大膳の非礼を詫びこの場をおさめる。河内山は大膳と奥から顔を出した出雲守にむかって「馬鹿め」と一喝して悠然と引き上げていくのだった。

天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)は河竹黙阿弥の作。河内山はその前半のエピソードです。原作ではたくさんの登場人物がいろいろないわくのある金をやりとりしますが、「河内山」として上演される時は浪路の一件だけにわかりやすく絞られている様です。

初演は九代目團十郎で、初代吉右衛門がそのあとをついで当たり役としていたそうです。今月は初代吉右衛門の50年忌なので初代ゆかりの演目として当代吉右衛門が演じました。

当代吉右衛門の河内山、悪党然としたところはあまりないのですが、柄が立派で堂々としています。

上州屋での人をくったような物言い、出雲守の屋敷でのお使い僧にばけてのとりすましたしゃべり方、それから正体を見破られた後の開き直った啖呵。吉右衛門はそれぞれに違った味を出しながら、黙阿弥のせりふの面白さをたっぷりと聞かせてくれました。「悪に強きは善にもと〜」の名台詞、最後のほうはだんだん声を呂に落としたのも凄みが出て良かったです。

一番印象に残ったのは最後の場面で花道を引っこむ時、「馬鹿め!」と思い切って時代に張った大音声。これで溜飲がさがりました。

近年では幸四郎が河内山をやりましたが、時代に張るということをあまりしない台詞回しで、黙阿弥の七五調の台詞の魅力が出ていたとは思えず、すっきりしない気分が残りました。

吉右衛門は初代の録音を繰り返し聞いてこの役を研究したそうですが、CDで聞く初代吉右衛門の河内山は当代よりも声が高く、軽くいなすようなせりふまわしで、なるほど「上手い、聞かせるなぁ」という感じです。

ところで私は十一代目團十郎の「玄関先の場」をCDでいつも聞いているのですが、十一代目の河内山には鉄火なところがあり、世話にくだける感じが、いかにも江戸っ子といった風で胸のすくような思いがするのです。役者それぞれの持ち味でまったく違った趣になるのが、歌舞伎の面白いところです。

梅玉の松江候は立派な殿様で、意のままにならない腰元を手討ちにしようかというような危ない人物にはちょっと見えません。

最後に玄関先に姿を見せた時にも、短気でわがままな殿様なら、河内山にまんまとだまされてご執心の腰元をとりあげられ地団太踏んで悔しがるかと思ったんですが、なんとなく憂鬱といった風情だったのはちょっと解りませんでした。

久しぶりに登場した和泉屋清兵衛の又五郎、声はやはり弱々しくて聞き取りにくかったのですが、「あの男も悪党としての名前もあるから悪いようにはしないだろう」というような一言で、一筋縄ではいかない商人の貫禄をみせたのはさすがでした。

他の演目は梅玉の六助、時蔵のお園で「毛谷村」と舞踊「六歌仙容彩」から芝翫の業平、福助の小野小町で「業平」と、富十郎の喜撰、雀右衛門のお梶で「喜撰」でした。

この日の大向う

この日は声を掛ける方がとても少なかったです。会の方も一人もいらっしゃいませんでした。「毛谷村」では最初2〜3人掛かっていた掛け声がなぜか途中から掛からなくなって、最後の方は寂しかったです。

「河内山」で上州屋から引き上げる河内山が花道七三であれかこれかと算段しながら、はっと名案をおもいついて膝をぽんとたたいた時、「二代目」と声が掛かったのが良い感じでした。

正体がばれて「こういうわけだ。聞いてくれ。よ〜っ」の後で「まってました!」「たっぷり」と声が掛かり、客席がどっと沸きましたが、こういう場面では「たっぷり!」というのはまさにぴったりの掛け声だと思いました。

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