書名の通り、中井久夫の「人と仕事」がよくわかる評伝だった。膨大な仕事、それも論文だけでなく、臨床での活動の多さに圧倒された。
中井久夫の素晴らしいところは、何と言っても温かな眼差しによる人間観察にある。病気を悪と決めつけない。緩やかな寛解を目指し、完治を目標にしない。過剰なPTGを求めない。こうした姿勢はすべて患者の立場に立っているからこそできる。
なぜ患者の立場に立てるのか。それは、彼が精神疾患についても、また犯罪についても、「自分もそうなるかもしれない」という危機意識を大切にしていたからだろう。その想像力には畏怖するしかない。言うまでもなく、こうした姿勢は患者にとって非常にありがたい。
阪神淡路大震災との遭遇と、後に続いたPTSDの研究や「こころのケア」の旺盛な活動は、誤解を恐れずに言えば、ある意味、運命だったのかもしれない。
私が『徴候・記憶・外傷』で中井久夫と出会い、心境に大きな影響を受けたために、なおさらそう思うのかもしれない。統合失調症の専門家のままであったなら、中井との出会いはなかっただろう。
印象に残った引用を一つ、転記しておく。
私はヨーロッパに行かなければならなかった。そうして、頭の中でふくれあがっていた「私の西欧」と、「やはり実在していた現実のヨーロッパ」との照合を行わなければならなかった。(第4章 考える患者)
戦前生まれの人にとって、西欧を見ることがどれほど重要性を持っていたかがよくわかる。高度成長期以降に育った私は「頭の中」というより、初めての海外旅行は「テレビの中」の西欧の実在を確認する作業だった。カルチャーショックがなかったとは言わないが、少国民世代とは受け止め方がまったく違っているだろう。
軍人も少なくなかった親戚や、書籍から西欧の情報を豊富に得ていた中井でさえ、いや、だからこそ「実在のヨーロッパ」との照合は衝撃的だったと想像できる。キリスト教とフランス語文化のなかで育った森有正でさえ、「実在するヨーロッパ」との遭遇で大きな衝撃を受けたことを想起しないではいられない。
ふと、姉が中井のような献身的な名医に出会えていたら、ということを考える。彼女が出会った精神科医は中井と同じように本をたくさん出版する有名人ではあったけれど、医師としては名医とは言えない人だった。私的な連絡先を教え、かえって姉の医師に対する依存度を高めてしまった。これはよくないことだった。非常に残念に思う。
晩年、中井がカトリックで洗礼を受けたことを不思議に思っていた。本書にあった言葉を読んで謎は氷解した。ある宗教に入信するには、内的な理由と外的な理由、すなわち親しい人の誘いがあることをあらためて思った。中井の入信には加賀乙彦の助言もあったという。
私の場合、キリスト教に関心があることは否定しないけど、内的な要因は知的欲求以上のものではないし、積極的に勧誘してくる人も近くにはいない。それに、先方ではまだ私を拒む教義を堅守しているので、教会の敷居を越えることは当面ないだろう。
最後に中井久夫の家庭生活について。多忙を極め、単身赴任もしていた中井の家族は中井をどう思っていたのだろう。医師が多忙であるのは中井ばかりではない。本書には家族とのエピソードもいくつか書かれているもの、いずれも幸福な家庭の一ページというものではない。
周囲から期待され、かつそれに応える責任感や使命感が強い人は、家庭生活にはなかなか厳しいのではないか。実際に、中井の家族が幸福な家庭生活を送っていたかどうかはわからない。それは本人たちの問題であり、私の問題ではない。
蛇足を承知で書けば、私は周囲から期待されてないし、周囲から期待されたときでさえ、使命感も責任感もないので、自分の時間と家族と過ごす時間を第一に考えてきた。そのため職業人としては失格に終わったけれど、後悔はない。
優秀で多忙な人のなかにはパワハラ的な体質であったり、破綻した人格の持ち主も少なくない。それくらい強烈な性格でなければ、一つの世界で名を成すことはできないから。
ところが、中井久夫については、本人を知らないのでほんとうのところは知らないけど、周囲の人は一様に、温厚で思いやりのある人だったと述懐している。
こういう人は非常に珍しいと思う。