学部、修士課程と続けてジャン=ジャック・ルソーを研究した。「研究した」とはおこがましい。先行研究を整理するのが精一杯で独自の視点を打ち出すことなどできなかった。
それから25年。政治思想史を専攻していたとはいえ、今では政治思想史の専門書はまるでちんぷんかんぷん。ルソーに関する入門書を読んでも理解がおぼつかない。本書も、ルソーの章を読み切るだけでも苦労して、ほかの章は手もつけられなかった。
本書で新しいと感じたところは、1756年に勃発した七年戦争が祖国愛(パトリオティスムあるいはナショナリスム)や世界市民(コスモポリット)という概念の論争に影響を与えているという視点。反英感情から、フランスでの思潮が世界市民から祖国愛へ傾いていったという理解は新鮮に感じた。
ルソーは世界市民についてどのように考えていたか。著者は次のように結論づけている。
もっとも、『社会契約論』で描かれる共和国において、果たして、その構成員が『エミール』で描かれる意味での「人間」であり得るかどうかは、また別の問題である。少なくとも、それはきわめて困難な道であろうと言わざるをえまい。結局のところ、「人間をつくるか、市民をつくるか」というあまりにも先鋭な問いかけには、ルソー自身が答えを見出しかねているかのようである。(「4 市民の教育、人間の教育、国民の教育」「第5章 ジャン=ジャック・ルソーにおける戦争と平和」)
『エミール』で人間(世界市民)の育成を企図して、『社会契約論』では市民(愛国者)の創出を構想し、両者を結合させることはできなかった。このような解釈はこれまでに多くのルソー研究で見てきた。ルソーのテクストに忠実な解釈をとれば、そうなるのだろう。
私の読みは違っていた。エミールは理想的ではない「あるがままの」国家でも世界市民的に生きることができるだろうし、『社会契約論』で構想された市民は、国家というタガを超えた境地を獲得できるだろう。そのように私は考えた。しかし、こうした読みは読み手の思いが強過ぎていてテクストに忠実とは言えないかもしれない。
私の解釈は私独自のものではない。トドロフ(Tzvetan Todorov)の『はかない幸福――ルソー』(及川馥訳、法政大学出版局、1988)の受け売り。
道徳的個人は社会に住むでしょう。しかし"一つの"(原文傍点)社会に完全に自己を売り渡してしまうようなことはしません。彼はその国家を尊敬しますが、人類に身を捧げるでしょう。いやすでに見たように、世界の反対側の、見も知らぬ悩める国民たちではなく、身近な人々に対してです。(「英知」)
現代社会において、身近な人々は同胞とは限らない。場合によっては、外国人の方が身近に感じられることもあるだろう。多国籍企業で働いていた私にはそういう実感がある。遠くの国の戦争が物価や食糧難という形で日常生活にも影響を及ぼす現代社会では、誰もが「見も知らぬ人」と関わりを持っている。私たちは、「世界の反対側」からも逃れられない社会に生きている。
「人間をつくるか、市民をつくるか」という著者の問いは、「(世界市民〉と(愛国者〉は両立するのか」と問い直すこともできるだろう。この問題は現代まで議論が続いている。
ルソーは「両立できる」という確信は書き残していないかもしれない。でも、彼の文章から「両立できる」と読み取ることはできるだろう。それが、トドロフから学んだルソー理解。
こうした視点は、政治思想史という学問の範囲から逸脱しているのかもしれない。それは、学問から離れた私にはもはやどうでもいい。
問題は、現代的な意味において「身近な人々」に対して身を捧げるような生き方が、私はできているか、というところにある。
その問いに対し、私は積極的に肯定することができない。私は自分自身のことで手一杯と思い込んでいるし、時には自分自身でさえ制御不能になっている。世の中に絶望するときさえある。長く患っているうつ病の寛解も遠い。
そういう意味では、いまの孤独と疎外を強く感じているいまの私は、ルソーの著作では『エミール』や『社会契約論』よりも『孤独な散歩者の夢想』に共感してしまう。
言行不一致と言われても、仕方がない。
さくいん:ジャン=ジャック・ルソー、ツヴェタン・トドロフ、うつ病