7/23/2017/SUN
思い出のマーニー、米林宏昌監督、Joan Gale Robinson原作、スタジオジブリ制作、2014
先日、テレビで映画『思い出のマーニー』を見た。映像と音楽が美しい作品だった。
ただ、物語は映像と音楽に釣り合っていないように思えた。結末が性急で説明の台詞が多いのが気になった。
アニメ作品なら「アニメーション」で表現してほしい。そうでなければ、音楽か会話で伝えることはできないものか。
一人語りで謎を解く演出はじれったいばかりで、余韻も残らない。
犯人が動機を一人語りする安っぽいドラマの結末のようになる。『千と千尋』や『崖の上のポニョ』を見たときにも、同じことを思った。
この物語は主人公が見た幻想がモチーフなのだから、結末もあまり現実的なものでない方が似合うと思う。
映画の感想をネットで見ると、「幼い頃に世話をしてくれた人の名前を忘れているのはおかしい」という指摘をいくつか見かけた。おかしくはない。そういうことはあり得る。
人は大切な存在を突然に衝撃的な出来事で失ったとき、その人の思い出がふだん使っている記憶の器からこぼれ落ちないように、自分でも気づかないうちに、その人の思い出や名前さえも、記憶の壺の奥底に埋めてしまう。
忙しく過ぎていく日常生活の中では忘れている名前を、ふとしたことがきっかけで思い出す。それから、さまざまな思い出が雪解け水が山肌を流れ落ちていくようにおもむろに心に染み渡る。そういうことはある。
それを「マドレーヌ現象」と呼ぶフランス文学者もいる。私は「ムクの蘇り」と呼ぶ。
杏奈が幼少時を回想する時、全体はモノクロなのに、抱いているマーニーにそっくりの人形だけには色があった。この人形が鍵になるかと注意していたところ、最後まで何にも使われない。
この人形を活かして余韻のある結末にできなかったか。私が思いついた筋書きを書いておく。
杏奈は、マーニーが大切にしていた人形に似ていることに気づく。杏奈は人形を探す。
叔母さんの家の納屋を探すと、人形と一緒にアルバムが見つかる。1ページずつ見ていると幼くして両親を亡くした自分を世話してくれた祖母の写真を見つける。さらに見ていくと、祖母の若い頃、前の晩に会ったマーニーの写真がある。
「私のおばあさん」、という台詞はあってもなくてもいい。
マーニーが杏奈にとって特別な存在だったことが見ている人に伝われば十分。血縁者かどうかは関係ない。
補足:この結末は、映画『病院坂の首縊りの家』にヒントを得た。
『マーニー』を見ていて、末吉暁子『雨ふり花 さいた』を思い出していた。
二つの作品には共通する点が少なくない。主人公の性格と置かれた状況。旅先での思いがけない出来事、忘れていた大切な人の記憶、タイムリープ⋯⋯。結末も似ている。でも仕掛け方が違う。
『雨ふり花 さいた』はオーディオ・ドラマがすでにある。声と音楽での表現ができている。あとはアニメならではの表現を加えることができれば上等のアニメ作品になる。
舞台は東北、狂言回しは座敷童子、次々と起こる不思議な出来事と思春期の少女の心の旅⋯⋯。誰か映像化に興味を持ってくれないか。