最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

大江戸線 飯田橋駅

6/16/2016/THU

21世紀日本の格差、橘木俊詔、岩波書店、2016


21世紀日本の格差

昨年の「ピケティ狂騒」以後の社会経済の状況を冷静におさらいした研究。橘木俊詔の本を読むのは、三冊目

書かれていることはどれももっともなので、取り立てて異論はない。

本書の主張を一言で言えば、「格差の問題は貧困の問題」ということ。本書は、経済に議論を絞っているが、政治の面で見れば、貧困の問題を解決しなければ富裕層への憎悪が高まり、治安が悪化する。教育が幅広く行き届かなければ地域や国家、さらに世界全体で生産性は低下し、技術革新も遅れる。

老後破産に介護殺人や孤独死、宗教対立を装っているテロも、底辺に貧困問題がある。

虐げられた人たちの怒りと憎しみが飽和しそうな時、扇動が巧みな指導者が登場すると貧しい人々が抱える負の感情は暴走し「革命」が起きる。

Tracy Champmanが“Talkin' about the Revolution”を歌い、貧困の問題をポップ・ミュージックの世界で警鐘を鳴らしたときから30年以上経つ。

事態は改善されるどころか悪化している。「革命」はまだ現実には起きていないけど、もっと非道で、無秩序なテロリズムが頻発しはじめている。


そういうことを、なぜ、富裕層は危険に感じないのか、それがわからない。自分たちの住宅地を塀で囲めば済むと思っているのだろうか

貧困を無くすことは、長期的には富裕層にとってもプラスにこそなっても、マイナスになることはないはずなのに。

If a free society cannot help the many who are poor, it cannot save the few who are rich.

ケネディ大統領の就任演説の一節は、今でこそ、脚光をあびるべきと思う。


富裕層に危機を気づかせるにはどうしたらいいのか。私には妙案はない。本書でも指摘されているように、富裕層は自分たちは努力をして富を得たと思い込んでいて、努力しなかった人が貧困に堕落したと勘違いして、さらには貧しい人たちを努力をしない怠け者と見下している

最近、ある新聞記事を読んで驚いた。家庭で勉強をしない富裕層の子の方が、家庭でも勉強をする貧困層の子より、良い成績をとるという。目に見えない文化資本——テレビでニュースをみるとか、食卓で政治が話題になるとか——そういうことの違いが目に見える違いにまで拡大している。

この事態は異常としか言いようがない。政策としても文芸や映画、音楽を通じた文化の主題としても、抜本的な対策が求められている。


蛇足の追記。

ずっと前から、本書の著者である経済学者、橘木俊詔と橘玲とを混同していた。名前が似ている上に、橘が、作家と名乗っていても、社会経済の問題にも積極的に発言しているからで、二人のアプローチはまったく違うけれども、言わんとするところに大きな相違はないように見える。

だからといって、二人の人を混同していていいわけはない。


さくいん:橘木俊詔労働