3/26/2017/SUN
書影の森―筑摩書房の装幀1940‐2014、臼田捷治、みずのわ出版、2015
印刷博物館で見た「世界のブックデザイン2015-16」で見つけた本。
印刷図書館へ何度か行き、印刷や製本について知るようになると、ふだんは自分は本の細部を気に留めていないことがわかる。意識して気に留めていなくても、後で本の内容とともに装幀の記憶が鮮明に残っていることがある。
細部は気に留めていないと言いながらも、CDで言うところの「ジャケ買い」のように装幀を見て借りてみることも少なくない。
森有正『遥かなノートル・ダム』(1967)が掲載されていた。装幀は石岡瑛子。
同書はまずちくま学芸文庫で読んだ。こちらの写真もいい。写真とデザインは間村俊一。そのあと、古書店で1971年発行の第5刷を500円で購入した。本を包む薄紙まで付いていて、保存状態は良好だった。
森有正のハードカバー本は、無機質で硬派な印象のものが多い。遺著となった『遠ざかるノートル・ダム』の装幀も簡潔。
『遥かなノートル・ダム』の写真の下に石岡のコメントがある。
エディトリアル・デザインを正当に試みようとするとき、私たちは神話に満ちた日本の出版の現実に突き当たる。(中略)デザインの仕事をする者からみて、出版物は商品として扱いにくい点が多いが、それは出版物の性格がそうである面があるにしても、もっと他の理由からのようである。つまり、出版産業のほうに、本が商品であるという現実の部分から目をそむけていると思われるところがある。それが、本をつくるということをめぐって濃厚な神話が存在している原因ではないだろうか。実際にブック・デザインなどをしていて、経済的な問題で考え方がくい違い、困ることがある。
(『PIC 著者と編集者 ]1972年2月号「私のデザイン作法 13」(創紀房))
切り取った文章なので文意が今ひとつわからない。出版業界は本は商品であるという意識が低いため、デザインの重要性を理解していない、それゆえ、デザインにかける費用が他の分野に比べて少ない、ということだろうか。
この発言から45年経た今日、本は商品として扱われることが多くなり、文化の器という一面はないがしろにされている気さえする。
「知の巨人」など、帯に付くセンセーショナルな宣伝文句にタレントでもない研究者や作家の顔写真。「何某が絶賛」「現代の必読書」などの常套句。さらに書店が飾る、これまた常套句にまみれたPOP。
売上高が減少する一方で出版点数は増えているという倒錯した事態が、本の過剰な商品化を進めているのは間違いない。
45年前も2017年も、装幀は本の一部分という認識は高くない。かつては本を包む装飾でしかなく、今は注目を引く宣伝の一部になっている。
もちろん、今もいい仕事をしている人はいる。ブックデザインの展示を見ると、本の中身へ誘う前奏曲のような見事な装幀は現代の本にもたくさんある。ただ、そういう本はとても高価なので、なかなか購入することはできない。
書店で買う本は少なくなった。美術館や博物館では展覧会の図録をときどき買う。会期中しか買えないし、美術展の場合、図録やその装幀が展覧会の一部として豪華なしつらえになっているものが多い。人気の展覧会では図録の売れ行きもよいらしく、それがまた豪華な図録を製作する原資にもなる好循環になっている。
筑摩書房で思い出深い装幀は、ちくま少年図書館シリーズ。残念ながら本書には掲載されていない。写真の二冊は図書館の廃棄資料からもらってきたもの。リサイクル図書の棚で背表紙を見て、すぐにわかった。
写真は、小金井公園、江戸東京たてもの園、北側に広がるヤブランの群生。