貸切バス
標準床車
“その頃”の岩手県交通の貸切バスの主力は、まだ標準床車でした。ただ、1979年からほぼ毎年新車の導入が進み、質的に統一された状態にはなっていました。ここで取り上げるのは、それら新車として導入されたグループと、それに合わせて整備された岩手中央バス引継ぎ車両です。
しかし、業界標準がハイデッカーに変わりつつある中で、順次中距離路線に格下げが始まっていました。
いすゞBU15KP(1974年式)
岩22か511
撮影:大船渡営業所(1985.8.25)
岩手中央バス時代に購入した貸切車。岩手観光バスにも同型車が存在します。
同じ形の車両で貸切用と乗合用とがあり、貸切車だったものは、県交通成立後に新車に合わせて整備がなされました。外装は県交通カラーに変更され、社紋や社名だけでなく、いすゞのエンブレムも新しく付け替えられているのが分かります。
1986年頃に乗合に格下げられ、一関−気仙沼間の特急バスに投入されたようです。
(注1)
いすゞCRA580(1979〜81年式)
岩22か1288
撮影:矢巾営業所(1986.5.1)
スタンダードな貸切車として、1979〜81年の間に大量に増備されました。県交通全エリアで見ることができました。
“その頃”には、1979年式の2両(岩22か1287、1289)が既に乗合に格下げられており、早坂高原線(盛岡−岩泉間)で使用されていました。また1981年式の岩22か1626は1985年に高速バス「ヨーデル号」続行便用に格下げられました。
本格的な格下げは1985年からで、盛岡−大船渡間はじめ長距離路線に順次転用されました。
いすゞP-LV219Q(1985年式)
岩22か2199
撮影:矢巾営業所(1986.5.18)
岩22か2199
撮影:都南車庫(1986.7.22)
1985年に5両が導入された最後の標準床車。ボディメーカーの川重で標準床車のみモデルチェンジを行っていなかったため、この年式でモノコックスタイルとなっています。もっとも、岩手県では、秋北バスの高速車や国鉄バスでも似た車両がを見ることができ、特に珍しくはありませんでした。
マスクが角型ライトに変わっているほか、フェンダの形状がハイデッカーのものと同じになっています。
貸切新カラーになっていますが、モノコックボディでのこのデザインもこのグループだけです。