はじめにお読みください
1.80年代という時代背景
1980年代というのは、ある意味で岩手県に劇的な変化をもたらした時であると言えるでしょう。82年に東北新幹線が盛岡まで開業。このとき東京側は大宮までの暫定開業ではありましたが、盛岡と東京は3時間余で結ばれることとなりました。 これが観光客を東北地方へ誘う契機となり、新幹線の終点である盛岡は、岩手、青森、秋田の北東北3県の玄関口の役割を果たすことになります。
並行して東北自動車道の延伸も続きます。岩手県内では既に77年に一関−盛岡南間が開通しており、その翌年には東京と直結していましたが、83年に県内区間が全通しました。
こういった高速交通時代へのバス会社の対応には目を見張るものがありました。貸切バスの強化がはかられ、定期観光バスの新設も各地で行われました。 内陸都市と沿岸都市を結ぶ特急バスは、新幹線からの乗り換え旅客を沿岸都市へ短絡する「リレー特急バス」として再構築が図られました。
盛岡から隣接県へは東北自動車道を利用した高速バスが新設されます。82年の東北新幹線開業当初には、「みちのく号」(盛岡−大館)、「とわだこ号」(盛岡−十和田湖)の2路線が開通しています。
85年に東北新幹線は上野まで開業し、盛岡と東京は最速の通称「スーパーやまびこ」によって3時間以内で結ばれることになります。 これを受けて、「ヨーデル号」(盛岡−弘前)が開通します。この「ヨーデル号」の好調さに影響され、東北地方の各社は高速バスの新設にしのぎを削るようになったのです。
2.84〜88年という私的な時代背景
1984年4月より、私は岩手県での生活を始めました。それ以来4年間1988年3月まで岩手県におり、岩手県のバス事業の変化を目の当たりにしてきました。
当サイトがこの期間を対象としているのはそのせいです。ちなみに、この期間以外に私が岩手県を訪れたのは、1983年に1回と、1988年7月に1回の計2回だけです。
(注:この文章は、サイト開設時の2002年に書いたもので、2016年以降、岩手県に足を踏み入れることを個人的に解禁し、その後何度か訪れています)
3.”その頃”の定義
したがって、当サイトで言う“その頃”というのは、私が岩手県にいた期間、1984年4月から1988年3月までの期間です。 それ以降、岩手県のバスがどうなったかを直接目にする機会は、私にはありません。 文中の表現も、“その頃”に書いたのと変わらないように記述しています。
4.写真について
当サイト内の写真は特記以外は私個人が撮影したものです。
営業所内での撮影などは、承諾を得て撮影しています。(駅構内や公道上、一般者が慣例的に立ち入り出来る場所などはその限りではありません)
また、一部にフィルムの傷などがありますが、そのままを伝えるため原則的に修正等はしていません。 当時は白黒フィルムを使った撮影もしておりましたが、それもそのまま掲載しています。
5.無断転載の禁止について
当サイト内の写真、記事などはすべて無断転載をお断りします。また、画像への直接リンクもお断りします。
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6.資料について
文中の記述は、当時の実地調査に基づいています。一部参考にした文献は、こちらをご覧ください。 また、時代背景等では岩手日報を調査資料としていますが、特記はしていません。
資料は写真も含めて、時間が経っているため散在しており、一部は紛失している模様です。 今後もし発見されれば、内容が加筆される場合もあるかと思います。
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