サルベージ隊、信州へ(事前調査編)
東日本大震災後、活動を再開したサルベージ隊が最初に訪問したのが信州でした。「林道の奥にはボンネットバスの廃車体がある」 ある日、海和さんがそうつぶやいたのがきっかけでした。2009年のサルベージの経験から、林道脇に旧営林署の置いたボンネットバスが残されている例が他にもあるはずだというのです。
そして発見されたのが、長野県の東端に位置する川上村。高原野菜が有名なこの村の更に奥にある林道に、ボンネットバスの廃車体があったのです。
(撮影は、すべて2011年7月10日)
林道の奥へ進め
林道を進む
2011年7月10日。海和さんと伏見さんはこのボンネットバスの実物を確認するため、現地を訪れました。
事前に調べてはいたものの、林道の入口が分かりづらく、レタス畑で農作業をしている人に聞きながらのアプローチとなりました。
何とか入口を発見し、林道を進みますが、ボンネットバスはなかなか見つかりません。少しずつの上り坂で、汗が噴き出します。
草木に埋もれるバス
ボンネットバスは、林道の入口から1kmほど入った所にありました。林道からはちょっと下を見下ろす位置にあり、脇を流れる沢の支流をまたぐように置かれています。
この季節だと草木に埋もれていて、錆びた塊にしか見えません。
トヨタの顔だった
沢に下りてゆき、ボンネットバスの顔を拝みます。
一般の人が見れば、不気味な廃墟にしか見えないこのボンネットバスですが、海和さんはまっさきにシャーシメーカーを特定します。古い割には丸みのあるグリルの形は、終戦後1950年代初頭のトヨタ車を示しています。
ボンネットの蓋は片方が欠落していますが、その間から覗き込んでいる伏見さんがコーションプレートを発見しています。
車両の素性はすぐに判明
いつもこういう古い廃車体は素性を特定するのに苦労しますが、人目に晒されない場所にあったせいか、プレート類が残されており、簡単に知ることが出来ました。
コーションプレートはエンジンルームの中にあり、見た目の通り「トヨタ号」とあります。1951(昭和26)年式のトヨタFYであることが分かりました。
また車内には、ボディメーカーの銘板もあり、愛知県の刈谷車体の製造であることも分かりました。刈谷車体は後のトヨタ車体で、系列メーカーでボディの架装を行ったことになります。
エンジンも健在
ボンネットの中にはエンジンも健在です。
プレート記載事項からみると、6気筒エンジンで3870cc。馬力の所には30.1と読める数字があるのですが、後で書籍を確認するとトヨタFYは95馬力とのこと。この辺は更に勉強が必要です。
山梨交通らしきマークを発見
元事業者を表す斜めラインの塗り分けが見えていましたが、よく見ていくと中央部に交通の「交」を模ったマークの痕跡がありました。場所柄、お隣の山梨県の山梨交通のようです。
前のほうには「自家用」の表記痕もあったので、山梨交通から営林署に転用されて、その後ここに置かれたものと推察できます。
非常口が二つある
1951年式なので、バスに非常口が義務付けられた最初の年式になります。しかし、横と後ろの2ヶ所にあるのはなぜでしょう。
どちらかが後の増設という可能性があります。
足取りも軽く
ボンネットバスを調べ終えた二人が林道を戻ります。
「これならサルベージ、簡単だべ」と伏見さん。上り坂だった行きに比べて、帰りの足取りは非常に軽く、ハイキングをするように歩いていきます。
伊那ローメンを食べたりしながら
その後二人は、名古屋廃バスクラブの皆さんの案内などもあり、長野県内のボンネットバスの廃車体を見たり、撤去されてしまった跡を見てがっかりしたりしながら、夕方には長野県南部のB級グルメ「伊那ローメン」のちょっと早い夕食をとり、その日のうちに仙台へと帰ったのでした。