埼玉県の謎のキャブオーバーバス(海和さんの苦悩編)
埼玉県から宮城県の基地に運び込まれた謎のキャブオーバーバス。海和さんの緻密な調査は、その翌日から始まりました。しかし、シャーシメーカーや型式を突き止めるための「車台番号」の確認は容易ではありません。錆と摩耗がひどく、フレーム部分に刻印された記号番号を判読することができないのです。
「今度こちらで一緒に調査しましょう」 そんな誘いを海和さんから受けた私は、3月の第3日曜日にでも宮城県を訪問しようと、海和さんとのメールのやり取りを始めました。ところが・・・。
調査の開始
サルベージの翌朝
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
謎のキャブオーバーバスは、宮城県内にある秘密基地に運び込まれました。
近くには、見覚えのあるボンネットバスの姿も見えます。
エンジン
上信電鉄キャブオーバーバスのエンジンです。
昭和の車保存会の見解として、トヨタのエンジンであろうとのこと。
下に挙げたトヨタBM型に搭載されているB型エンジンとは、確かによく似ています。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
(参考)トヨタBMのエンジン
2005年にサルベージし、復元された元塩釜交通のトヨタBM型キャブオーバーバスのエンジンです。
レストアされた後の姿ですので、部分的に新しい部品も使われています。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.20)
エンジンのプレートには
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
エンジンについているプレートに番号が打刻されています。
「神9135神」と打刻されています。この「神」は神奈川県の「神」で、当初このバスは神奈川県で使用されていたものと推測されるそうです。
つまり、上信電鉄の所属になる前に、このバスは神奈川県内のバス事業者で使われていた可能性があるのです。
ちなみに、元塩釜交通のトヨタBMは「呂」だったとのこと。「宮城県」の場合「宮」を「宮崎県」にとられてしまい、「呂」だったそうです。
書類の切れ端が・・・
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
車内から発見された紙の切れ端です。
手書きの文字で「富岡」と書いてあります。左にも文字が見えますが、門構え以外はよくわかりません。
印刷部分には「封印」「記号番号」「シート員数」「ロープ員数」という文字が見えます。
海和さんはこれを「運行許可書」ではないかと推理し、群馬県富岡まで陸送した際の書類だと考えます。
その後、浦田慎様より鉄道貨物で輸送する際に貨車に掲示される「貨車車票」であるとご教示いただきました。岐阜県の関駅から貨物で陸送されたことが判明しました(注1)。
車台番号を解読する
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
次に、いつものようにフレーム部分に刻印されている車台番号を解読する作業に入ります。
最初は汚れていたフレーム部分をこすってきれいにし、数字を読み取ります。光に当ててみると、この写真でも「70」というような数字が見えるような気がします。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
そしてこの写真は、海和さんが解読した結果をご自身で解説した画像です。
車台番号は「8LB-40170」だと読めるとのことです。
トヨタだけでなく、当時のバスの型式にはBを含むものが多くあります。
(参考)BXD20の車台番号
撮影:海和隆樹様(宮城県 2009.7.12)
ちなみに、車台番号の解読は基本的に車両の型式を確定することにつながります。
この写真は、2009年にサルベージしたBXD20型ボンネットバスのもので、「BXD20-2101732」と書かれているのが分かります。
しかし、謎のキャブオーバーバスのほうの調査には、行き詰まりを感じ始めました。そんな海和さんからは「仙台までこれの調査に来ませんか」というお誘いを受けました。そして、私は3月19日を調査日とすることで、海和さんと計画を立てました。
ところが・・・。
東日本大震災発生
2011年3月11日の15時少し前、太平洋の宮城県沖を震源とするM9.0の大地震が発生します。
この地震で、仙台市は震度6強を記録、その揺れは東日本全体に及びました。さらにその地震は津波を発生させ、宮城県、岩手県の沿岸地区に大きな災害を引き起こしました。
激しい引き波が車や家屋を海に引き込んでゆく映像、田園地帯に津波が這うように上陸してくる映像、そんな映像を断片的に見せられながら、今、岩手県や宮城県に住む知人たちがどうなっているか、やきもきする以外にできない数日間が過ぎていきます。
やがて電子メールがなんとか通じるようになり、海和さん、伏見さんをはじめとした保存会のメンバーの皆さんは、無事であることが確認されました。しかし、無事だとは言っても、通常の生活が送れる状態ではありません。生活物資や食料品などが不足しており、また連絡が取れない知り合いもあり、バスの調査どころではありません。
「何かほしいものはありますか」との問いに「タバコがほしい」という海和さんの言葉に、ちょっとほっとした私でした。
(画像は、震災から約20日後に大船渡市でねこも様が撮影した画像です。)
シャーシとボディの謎を解読する
確証バイアスが働く
海和さんがフレームを観察して読み解いたLBという記号。
これをもとに書籍等を当たってみると、トヨタにはBLという型式のバスがあったことが分かりました。1950年前後に製造されており、このバスのボディの製造時期とほぼ一致します。
LBとBLでは文字の順序が違うではないか・・・というのは小学生でも分かるのですが、この時は「確証バイアス」が働き、このバスはBLというバスである可能性が高いと推察した私でした。
トヨタの75年史を見ていると
そんなある日、トヨタ自動車が創立75年を迎え、トヨタ自動車75年史というWebページをアップしていることを知りました。
幸い、かつて生産されていたバスについての記述もあり、これまでサルベージしてきたのと同じ型式のトヨタBMやトヨタFYについての記述もありました。そしてトヨタBLにも触れられていました。
ここでもう一押しすればよかったのですが、私はまたここで時間を無駄にします。
終戦前後のトヨタのバス
型式 | 製造年 | エンジン型式 | ホイルベース | 備考 |
---|---|---|---|---|
DA | 1936〜40年 | A型 | 3,594mm | |
DB | 1939〜41年 | B型 | ||
LB | 1942〜43年 | B型 | 3,594mm | トラックシャーシ |
KB | 1942〜44年 | B型 | 4,000mm | トラックシャーシ |
KC | 1943〜47年 | B型 | 4,000mm | トラックシャーシ |
BM | 1947〜51年 | B型 | 4,000mm | トラックシャーシ |
BL | 1949〜51年 | B型 | 4,370mm | |
FL | F型 | 4,370mm | ||
BY | 1951〜54年 | B型 | 4,370mm | |
FY | F型 | 4,370mm | ||
BB | 1954〜55年 | B型 | 4,370mm | |
FB | F型 | 4,370mm | ||
この表は、Webサイトトヨタ自動車75年史をもとに作成しています。 |
今回、終戦前後のトヨタのバスシャーシをまとめるため、上記の表を作成しました。その際、再度Webサイト「トヨタ自動車75年史」をくまなく見ていたところ、トラックのシャーシにLBという車両があったことが判明しました。
この時期、トラックのシャーシにバスボディを架装することは珍しくはなく、このバスも同様な手法で作られた可能性があります。
ただし、LBの製造期間は戦時中の1942〜43年。ボディのほうは、終戦後の1949年前後と推察されるスタイルです。このズレについては説明がつきません。
正面スタイルの謎
撮影:海和隆樹様(埼玉県 2011.2.12)
次にボディの謎の解明です。
このバスに出会った時、まず最初に私が勘違いした「富士重工製」をイメージさせる正面スタイル。これは果たしてどこのメーカーの作品なんでしょう。
側面や後面のスタイルは確かに川崎航空機製のボンネットバスと同じであることは、色々な書籍を当たっているうちに分かってきました。
しかし、川崎航空機製のキャブオーバーバスというのがなかなか見つかりません。
川崎航空機製のキャブオーバー画像を発見
そんな時、別の目的で購入したモータービークル臨時増刊「日本のバス1990」という本の中で、1949年式の川崎航空機製キャブオーバーバスの画像を発見しました。
その正面スタイルは、アメリカの影響か6枚のガラスをHゴムで固定した視野拡大窓風のデザイン。終戦直後にしては斬新すぎます。
正面窓を内側から
撮影:海和隆樹様(宮城県 2011.2.13)
ここからは想像ですが、この独特のスタイルを何らかの事情で改造する必要が生じ、流行していた富士重工のテレビ型を真似たスタイルにしてみたのではないでしょうか。
そう思いながら見ると、正面窓の窓枠は、ちょっと華奢な作りです。
トヨタ車体の泥除け
撮影:海和隆樹様(埼玉県 2011.2.12)
関係ないかもしれませんが、このバスの泥除けには、「トヨタボディ」の文字が入っていました。
このボディの改造に、トヨタボディが何らかのかかわりを持っていたのか。それについては知る由もありません。
運転台側面窓の謎
もう一つ私の興味を引いたのが、運転台側面の窓の形です。
ここの部分だけ、なんだか改造痕が残っているように見えるのです。その理由の一つが、上部の固定窓の存在です。どうしてここだけ窓寸法が違うのか、そしてまたHゴムを使って固定しているのか。
もしかして、何らかの改造を受けたのではないかと考えたのです。
撮影:海和隆樹様(埼玉県 2011.2.12)
そんな時、これも別の目的で入手した昔の絵葉書に、川崎航空機製ボディのボンネットバスの写真を見つけました。
その運転席側面窓の形状が、このキャブオーバーバスと非常によく似ています。この窓の上部をHゴム固定にすれば、そっくりです。
つまり、上信電鉄のキャブオーバーバスは、川崎航空機製のキャブオーバーバスとして生まれた後、何らかの事情で前面スタイルの改造を行い、その際に固定部分をHゴム支持にするなどの付随改造も行ったのかもしれません。
画像:絵葉書より拡大
謎を整理すると
撮影:海和隆樹様(埼玉県 2011.2.12)
これまでの調査を整理して推理すると、下記のようになります。
- トヨタLBトラックシャーシを使ったボンネットバスとして製造(1942〜43年)
- 川崎航空機でキャブオーバーバスのボディに更新(1949年頃)
- 正面窓を中心とした前構改造(1950年代中盤?)
まだまだ、謎は多く残されていますが、いずれにしても、キワモノの車両であることに変わりはありません。