仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.65 199812

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銅のテーマ~米代川劇場の顔見せ興行

7世紀末に遡る日本最古の銅貨〈富本銭〉の発見のニュースからまもなく、北秋田では深夜密かなミーティングが行なわれた。127日と後日HHJの質問に山田福男さんが答えたことの概略を書く。

―去年の暮れ安倍洋直宮司から聞いたことだが、大日如来と五大尊の面の他に獅子面がある。12月中に獅子舞いを行なう。これは最も古い面で、非公開だ。舞楽が行なわれる12日に大日堂に飾る。それを普段持ってる部落はどこだったか…

大日堂の正式な名称は大日霊貴(オオヒルメムチ)神社と言い、アマテラスを祭る。舞楽は大日堂周辺の小豆沢・大里・長嶺・谷内の4集落の人達〈能衆〉が演ずる。2日の本舞は権現舞(小豆沢)、工匠舞(大里)、烏遍舞(長嶺)、鳥舞(大里)、田楽舞(小豆沢)、駒舞(大里)、五大尊舞(谷内)である。具体的なことは実際に見てから書こう。

―権現舞いには必ず獅子頭が付く。

権現とは化身の意味である。五宮権現が稚児1人と4人の脇立とともに舞う。非公開の獅子面は、歌も踊りも伴わないとすれば、スワイフウェ神話に出る魔力を引き出せなかった仮面を想い出させる。仮面の複製を作ってオリジナルを湖に返したという異説があった。

―アズキというのは砂鉄の鉄製錬でできる鉄粒のこと。トンボの古語アキヅ(秋津)の転化で、鹿角市史には小豆沢の地名の由来だとある。

トンボの眼は小豆と形が類似する。長者のだんぶりという名はトンボのことだが、トンボに導かれて発見したのは民話によれば黄金で、ぼくの仮説では銅である。アズキの意味は漠然と覚えていたので、山田さんに確認した。ぼくは学生の頃〈旅〉編集長の岡田喜秋が書いたエセーに影響を受けたことを打ち明けた。山田さんはかつてないほどびっくりした声を上げて、一緒に佐渡に旅行したことがあるよ、と言った。そのエセーとは、古代出雲におけるヤマタノオロチ伝説=製錬鉱害説である。ところが、数日後探していた天然銅のカラー写真を手元の百科事典で偶然見つけた。形状と色は小倉あんを赤っぽくしたものに似ていた。阿仁の民話〈夢買い長者〉に出る小豆餅とは、何か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                    

            

                       

月山神楽面

岩手県浄法寺町 桂観音天台寺

パンフレット提供 : 山田福男

家屋文鏡

奈良県佐味田郡宝塚古墳出土

日本の歴史2 田中琢 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 


  

                     

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―比内の地鶏は昔、羽を武具に使った。肉は鷹の餌だった。伝承はないなあ。

文献では戦国時代より前に遡れないという。ぼくは大日堂舞楽の鳥舞と関連があると見る。これは長者が飼っていた鶏の舞いと言い伝えられている。古墳時代の青銅鏡の中にもニワトリを彫ったものがある。なお声良鶏は鹿角が発祥地だという。

―平泉政権の隠し金山は尾去沢と北上川上流の糠部(ぬかべ)一帯だ。

―桂清水というのは、桂の木は不浄の水を浄化する作用があり、下にはきれいな水が湧くから、必す観音信仰と結び付く。桂清水神社は、浄法寺町(岩手県)と比内前田(大館市)にある。老犬神社(大館市)も元は観音信仰だった。

大日堂舞楽では、金剛界と胎蔵界の大日如来2面が桂と金箔の結合、普賢・文殊・昆沙門・不動の4面が桂と漆の結合だという。仮面の素材と15という配合比の変形には深い意味が込められている。特に問題なのは桂と金の組み合わせだ。

―スワイフウェ仮面の下顎は地嶽、地下世界を表わすと考える。仮面はマンダラのような宇宙の表現だ。

―(銅板の丁字型との類似物について)昔この地方にあった三角凧の骨組みだな。

銅板とは、クワキウトル族が仮面と別に所有する呪術道具でT字型の仕切りが付く。

顔見せ興行はこの辺で幕にしよう。

 

 

 金剛界大日如来

 

胎蔵界大日如来

舞台を囲む観衆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ プロローグ

1    仮面の起源

2        仮面の可能性

 

◇ 第1

1        スワイフウェ仮面の言語的表象

2        仮面を付けた人物の墓碑柱

3        理想的な表現

 

       2

 銅のテーマ~米代川劇場の顔見せ興行

2            クウェクウェ仮面の赤い舌

3            向かい合う仮面

4            銅と太陽のアナロジー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


  

 

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 クウェクウェ仮面の赤い舌

            ☆《仮面の道》でレヴィ-ストロースは〈銅に変わるという鮭〉というキー・ワ一ドに関心を示さなかった。〈意味というのは、特定の単語が含む意味、およびその単語がまさに選択されたことによって排除され、潜在的にその単語に代替しうる他のすべての単語の意味、というその両面から生じるのである。〉精神分析流のこの極端な定義では〈銅に変わるという鮭〉は網の目から逃げてしまい、〈銅〉か〈鮭〉かでなければ網に掛からない。しかし、表現する者が見ているのは名詞以上にそれらの関係の時間的な変化である。あるものが他のものに変わるということに驚き、そこに時間の存在を認めると、文字を持たなかった北アメリカインディアンでも歴史意識が芽生える契機となるだろう。リロ工卜族の墓碑柱の作者が執念を燃やしたのも時間的な変化を描くことであって、人体をリアリズムで彫りながら、仮面の表現には20世紀初期の絵画や日本の絵巻に見られるような異時同時の手法を発明して三つの名詞を一つに融合させる。人類学者がやはり墓碑柱の表現にも注目しなかったのは、事物を時間の外に固定した名詞中心の言語学モデルを美術の領域に適用しようと試みた方法論の限界だ。といっても、対比構造系(Paradigme)の中で説話や仮面および祭儀が互いにメッセージと造形を変様させるという解釈は間違っていない。バラディグムとは、ラルース辞典によれば〈exemple 範例〉〈modéle 型〉という意味で、言語学では語形変化(表)を指す。これが知の枠組みという意味に用いられるのは、人間の脳は社会に共通した言語のシステムに合わせて個人の現実のさまざまな知覚を認識する、言い換えれば分節するようにできているからである。単語と同じく、〈一つの仮面は、その傍らに常に存在するものとして、それの代りに選ぶことのできるような現実の、あるいは可能性としての他の仮面を前提しているのである。…(略)…一つの仮面とはまずそれが表わしているものではなく、それが変形するもの、つまり表わさないことを選んだものである…(略)〉

 対比構造系という枠の中では表現の間に交流がなければならない。〈それらはある一つの組織的体系を構成する部分的要素であって、その体系の内部で、それらが互いに変形し合うのである。神話について言えたように、仮面というものも、仮面の始源を根拠づける神話と、仮面が具体的に姿を現わす祭儀と共に、それらを統合している諸関係を通じてのみ理解可能なものとなるのだ。〉統合の諸関係とは、言語の文脈や環境世界の状況のことである。選択可能な領域にある単語の中から一つの単語を決める調整(コーディネィション)を想い浮かべればいい。組織的なのは、全体をまとめる超越的な意思が働くからではなく、物質の存在から来る。アナロジーについての中村雄二郎の記述を引用すると〔1〕、構造主義理論は〈簡単に言って、物質(質料)それ自身のうちに

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 現代哲学事典: 山崎正一、市川浩 編  講談社文庫

 

 

 

 

赤い舌

(→疾患)

クウェクウェ仮面

リロエト族の墓碑柱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

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かたち(形相〔2〕)の自己組織化を〉見て人間や社会の事柄の解明に際して、〈「存在」の各次元における固有性を明確に認めつつ、それらの間にまさに「類比」的な対応関係を認める〉というものだ。生成する自然は確かに自己組織力が強いが、物質がひとりでに道具や製品になるわけではない。人がその可能なデッサンを分節して環境世界という条件の中で目的に適合させながら現実化する〔3〕…。したがって、交流のない地域でも創造や社会の在り方に類似する面が生じる。仮面と説話にもそんな普遍的な形相があるとしても、不思議ではない。

 仮面は、それ自体がさらに一つの物語のような多くの要素を含んだ集合である。再びリロエ卜(Lilloet)族の墓碑柱に戻って輪郭をなぞってみると、それは鱗のある魚と銅というダブル・イメージを同時に仮面の舌の位置に描き出すことで、固体的な概念の溶解と変化を表現している。この曖昧な舌はこの場合ダブル・イメージと因果関係にあって、吐き出した食べ物や苦痛に歪む内臓、要するにツィムシアン(Tsimshian)族神話の赤カサゴのメタフォールが裏打ちしたように銅製錬が引き起こした鉱害による疾患を意味する。墓碑柱の仮面が否定して他の仮面が選んだ意味、つまり潜在的な意味はない。墓碑柱ではダブル・イメージの記号はそれらが暗に指示する対象(舌)と分離しないで、表わすべきメッセージはすべて一つのフォルムとして表面に出ている。作者はちょうど絵描きが一本の曲線でさまざまなオブジェを描き出すように、話せば長い不可解な物語を刻んだのである〔注〕。〈銅に変わるという鮭〉との類似や仮面の装着から、製錬作業者と考えることもできる。そのメッセージが潜在的あるいは隠蔽的な表現と見えるのは観賞者の怠惰のせいだろう。反対に墓碑柱以外の仮面は、死者の仮面とツィムシアン族神話がなければ、人類学者の言うように真実に迫れない。このことは極端な意味論がいくつかの例外を除いて正しいという証明になるだろうか?レヴイ-ストロースの研究論文やぼくのエセーは、単語がそれ以外の意味を指示するということがありうるなら、そう言えるだろう。しかし、文学的なレトリックを除いてそんなことはあるはすがない。適用はノイローゼや精神分裂症などの病的な表現にのみ限られるだろう。

ヨーロッパの人類学者が手掛かりを欠いて考察しなかったクワキウトル(Kwakiutl) 族のクウェクウェ仮面の舌は、その最も過激な例だ。これまでの分析から自然に開示されるように、仮面の赤い舌は銅鉱石と人間との係わりが引き起こした一連の悲惨な事実の象徴なのである。人類学者の言い方を借りれば、赤い舌の意味を明らかにする排除された裏面とは、表現者の意識に潜在していた赤カサゴという魚の性質とそれが登場する忌まわしいストーリーである。赤い舌は〈表わさないことを選んだもの〉として、言い換えれば、図で見るとおりそれが否定する要素によって多義的な意味を構成する象徹記号として存在する。

 しかし、クウェクウェ仮面はすでに触れたようにスワイフウェ仮面を原型とした否定的な創造である。仮面の赤い舌が本当に何を語るかということは、スワイフウェ仮面との相関関係からも考えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  eidos(エイドス)の訳。

3 分節については〈あん ぱさん〉参照。 

4 足尾鉱毒事件: 森長英三郎 日本評論社

 

 

 

 

 

 

 

 

注:近代以後の銅精錬では主に青色の硫酸銅が水質汚染の有毒物質である。戦時中

の尾去沢鉱滓ダム決壊や足尾鉱山の鉱毒事件が有名な例。1885(明治18)年の朝野新聞は足尾鉱山下流の渡良瀬川の鮎が激減、疲労・遊泳不能・浮き死の状態を記す。〈丹礬(たんばん 硫酸銅)〉の流出が原因と人々は考えた。学者の調査では死産が増加したが、他の健康被害の具体的なデータは見当たらない〔4〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


   HHJ VOL.66 19992

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向かい合う仮面

               ☆リロ工卜族の墓碑柱の仮面とクウェクウェ仮面の考察から、仮面の表現は銅鉱石と人間との係わりによって引き起こされた一連の出来事がモチーフであると結論していい。原型と言われるスワイフウェ仮面は、これを肯定するだろうか?

 ヴァンクーヴァー島のクワキウトル族がスワイフウェ仮面の模倣に際して否定した要素には抽象的なフォルムの舌があった。この幾何学的な硬いフォルムの変形は、対岸のサリシュ族のメッセージ(意味内容)に合致しなくなった状況が起こしたものに他ならない。クワキウトル族は、スウイフウェ仮面を現在の自分たちの在り方と内面にぴったりするように適合させたのである。パリ・モードのオリジナルを神戸のレディがコピーするのと同じ流儀だ。彼らは当然スワイフウェ仮面の舌が何を表わしているのか、理解していた。そのメッセージは表現の手法から見てリロエト族やツィムシアン族のダブル・イメージと同じではない。しかし、原型もやはり銅鉱石と人間との係わりが引き起こした一連の悲惨な出来事を語っているかもしれない。それは屈折としてサリシュ系マスキーム族のスワイフウェ仮面と神話・伝説に現われているということは、すでに直観的に見たとおりである。仮面の屈折は口から下の部分にあって、位置関係から舌のように見えるが、それだけ切り話してみれば何なのか想像もつかない。両側に細い溝が付いて中央が黒い造形もあれば、溝がなくて茶色の舌を持つものもある。クウェクウェ仮面が選び取らなかったのは、その奇妙なフォルムと、それと共存する鳥の頭や羽、綿毛、草花などの自然の叙情性である。草花は植物のロマンであり、鳥には人の病気や怪我の苦痛を取り除く呪術的な役割を担う一面がある。スワイフウェ仮面は、銅鉱石と人間との係わりの幸福な様相を語っているように思える。そうすると、口から下の抽象的なフォルムは、自然環境の中に存在する銅精練と関係がある何かではないか?クウェクウェ仮面のダブル・イメージの横に同じ図形を並置して、モデルとなった仮面の空白部を想像してみる。クウェクウェ仮面の赤い舌は、

それと類似する何かが内部から外に出る流動を保存したメタフォールだろう。否定は対象に依存するが、消去される要素と保存される要素がある。スワイフウェ仮面の口から下の部分は、熱で溶けた銅が炉から流れ出る幸運な展開を表わしている。

 抽象性と見えたものは、実際に使用された炉を正面から写し取ったフォルムである。帯状の粗銅の色は、カラー写真で見るかぎり、溶銅の状態で白い縁の付いた赤茶色や黒である。重要なのは、スワイフウェ仮面が銅などの産物で人間を富裕にする経済的効力を持つという神話・伝説の意味論的な機能に、造形の解釈が一致することである。

 

 

スワイフウェ仮面          クウェクウェ仮面

 

炉口

 

 

 

溶銅

 

 

 

下顎

赤い舌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

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スワイフウェ仮面の神話・伝説は銅精錬については全然触れない。だが、さりげない屈折があることは前に見た。仮面を発見した主人公は自分が仮面を付けることはなく、しかも、歌と踊りで〈役割(フォンクション)を果たす術〉を知らなければ、仮面の魔力を引き出すことができないのだった。仮面の魔力を引き出すとは、銅鉱石から亜硫酸ガスを発生させないで粗銅を製錬すること、および粗銅か天然銅を純度の高い銅に精錬することだろう。歌と踊りはその驚異的な技術を意味する。スワイフウェ仮面は、印象からしても自然の幸福な叙情性を持つが、人工的で異様なフォルムには自然の贈物が引き起こす犠牲に対する恐怖も潜んでいる。仮面の下顎の位置に精錬炉を付けたことは、激しい嘔吐を想起させる。硫黄分を完全に無害な煙に変えるのは、困難だったに違いない。神話・伝説および非宗教的な祭儀にはその被害が暗示されている。主人公の若者や民衆が得体の知れない病を患う神話は前に述べたので、アメリカ合衆国との国境の南に居住したサリシュ系ルンミ族の祭儀を例に挙げる。〈上半身裸の踊り手は、野生山羊の毛で作った腰蓑、白鳥の剥皮製の脚絆を付け、手にはすでに述べたような型のガラガラを持っている。仮面を横領するものは誰であれ、潰瘍だらけの顔面になるとされている。舞踊には、儀式道化が一人加わることになっていた。彼が付ける仮面は半分が赤、半分は黒く彩られ、□を歪め、髪はくしゃくしゃに乱れている。見物たちは彼の格好を見ても笑ってはならなかった。笑ったら最後、彼らもまた身体および呼吸器系統を潰瘍で侵されるのである。この儀式道化は仮面を付けた踊り手たちを追い回し、とりわけ例の大きく飛び出した目を漬そうとするのが常であつた。〉1

 クワキウトル族は、スワイフウェ仮面が自然の陰に隠した暗い反面をクウェクウェ仮面で表現しようとした。両方の造形を並べてみると、クウェクウェ仮面はちょうど精錬の炉の前にいる人物の顔のように見える。サリシュ族が視野に入る外界(客体)だけを描くことに後者は反対して、それと向かい合う主体の側に焦点を向けたのだ。その理由は〈仮面の可能性〉に書いた。 〈(レヴィ-ストロ−スが言うように)対外関係の悪化かメッセージと現実の間の分裂が起きたとき、神話的表現はその反対に自分たちが生きるべき固有な可能性を探っただろう。アイデンティテイ(自己同一性)の危機が意識される状況においては、特にその傾向が強まった。〉対外関係の悪化はメッセージと現実の間の分裂が原因だと考えられる。北太平洋岸のインディアンの部族間でその分裂を引き起こしたのは、製錬を含めた銅精錬による環境破壊の大きさだった。クウェクウェ仮面はスワイフウェ仮面の誇大宣伝に文句を付けたのである。

 サリシュ語系部族は大陸のフレーザー河下流域とヴァンクーヴァー島東部に住んでいた。この河はヴァンクーヴァー市と対岸の細長いヴァンクーヴァー島に挟まれた狭いジョージア海峡に注ぎ、北に向かう海流に混じる。サーモンの宝庫として名高いフレ−ザ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スワイフウェ仮面     マスキーム族の仮面    

     (Swai-Xwe)                                          

 

1 仮面の道 La voie des masques ; C. Levi-Strauss

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

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ー河に鉱山から排出される有害物質が流れたとすれば、当然海峡の生物も汚染を免れない。漁業で生活するインディアンの惨状は容易に想像できる。重要なことだが、スワイフウェ仮面の発祥地はサリシュ族の伝承ではフレ−ザー河上流で、その先は分からない。銅精錬を造形化した呪術的仮面なのだから、他の諸部族に独占的に銅を売っていたとされるアタパスカン族の住む源流地帯が発祥地だったと考えられる。ところが、アタパスカン族には仮面がなかった。最近見つけたカナダ西海岸の地図でフレ−ザー河源流を下ると、意外なことに南に隣接したリロエト族の領地が湖と沼の多い高原地帯である。フレーザー河上流のほとりに同名の町が残っているので、カタストロフ神話を持つリロエト族はたぶんその辺に住んでいたこともあったのだろう。例の墓碑柱の仮面は下流域のスワイフウェ仮面の原型だった可能性がある。墓碑柱の仮面は製錬作業に使われたマスクではないかと前に書いた。仮面と銅と鉱害は一緒に河を下ってきたに違いない。これは川の流れが証明することである。サリシュ族の指導者たちはやがて銅精錬をみずから試みる。島のクワキウトル系ニムキシュ族には〈よい踊り〉つまり銅精錬の極秘技術をサリシュ族の領地に盗みに行くという興味をそそる伝説がある。しかし、自然環境の破壊には耐えても、精錬作業者と部族民の犠牲は小さいものではなかった。スワイフウェ仮面は痙攣や皮膚病を癒す効力を持つので、説話の中の人物たちには救いがあるが、クウェクウェ仮面にはそんな効力がない。クワキウトル族が硫黄分を除去して恐るべき煙の毒性を消すことに成功したか、疑わしい。クウェクウェ仮面が演劇的な祭りにおいて〈ばら撒かれる贈物(最近では硬貨)を子供が拾うのを妨げ〉るような吝嗇な性格に変化するのは、銅精錬の失敗が多かったせいだろう。クウェクウェ仮面の赤い舌は、自分や他人の間抜けさを軽蔑する日常的な仕草と異なるところがない。とはいえ、そこにはツィムシアン族の神話で解釈を試みた悲惨な《魚釣り》が暗示されている。

仮面を知性の発展形態として見るなら、クウェクウェ仮面は重大な転回をしたことになる。作者は、スワイフウェ仮面の自然性と対決する自立した人間の顔を創造したのである。しかし、それは依然として特権階層の所有物であり、スワイフウェ仮面の目と舌の造形的特徴を持つ両義的な存在である。クワキウトル系ニムキシュ族の神話はその本質を簡潔に語る。若者が島の北端で祭りの夢を見る。クウェクウェ仮面を付けた4人の踊り手が板屋貝のガラガラを鳴らしながら現われると、女たちは赤い魚に変わり、仮面(=銅)が消えると、赤い魚は女の姿に戻った。女と赤い魚はダブル・イメージであり、仮面と女は共存性がない。クウェクウェ仮面は〈恐ろしい者どもよ、出て行け〉と忌み嫌われる自然環境破壊者である。現代彫刻顔負けのゾノクウ仮面については、クウェクウェ仮面への隷属を断ち切って民主的に精錬作業者の表情を再現したと言うだけで十分だろう。

 

仮面の分布図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.69 19998

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銅と太陽のアナロジー 1

☆クワキウトル族は仮面の他に銅板を持っている。これはヨーロッパで精錬された銅を買って加工したものだが、スワイフウェ仮面の経済的機能と同じく所有者に富を恵む効力がある。実際にその価値に匹敵する額の〈公共の貸し付け〉を利用することができ、不動産のように〈その全部か一部を売るか与えるか〉することもできた[1]

 銅板は同じ形態で、写真で見るとおりT字型の印が全体を三つに分けている。上半分と下半分の比率はどれもほとんど同じだが、そればかりか、《仮面の道》に引用されたポール・S・ウインガートの指摘によれば、この比率はスワイフウェ仮面の上顎の水平線を軸にした上下の比率と同じである。スワイフウェ仮面の下顎に関する解読は、T字型の線の意味を明らかにする。富と幸運、輝かしい将来を約束する記号なのである。T字型が分ける面は、仮面の考察を始める前から注意を引いたが、一つの存在から互いに正反対の性質の二つのものが生じることを表わす自然哲学の表象である。銅は富と恐柿をもたらす極端に両義的な存在なので、人間の精神に世界観を刻印するまでに至ったと言える。クウェクウェ仮面は、自然の中に素朴に生きていた人間を自然から引き離して、自然と対立する存在としての自己意識を確立した。T字型の上半分は始源の世界であり、下半分はそこから生成した自然界と人間界を表わす。ヨーロッパの人類学者はそのT字型を〈一種の楯形紋章のように見える〉と言う。これは人類初の銅製錬をしたアラビア辺りが起源かもしれない。錬金術で用いられる化学記号は金を円()、銀を三日月()、銅を垂直線が少し突き出たT字型の上に円(♀)と象形文字風に書き表わしている。円形は常識的に太陽のイメージだが、円形がT字型の上に位置するのは、銅が溶けるときに発する強烈な白熱光を太陽と同一視したからだろう。比内地方に昔あったという三角凧は太陽との構図で意味を持つ。

《銅の文化史》は、銅精錬の実際について貴重な事実を教える。〈ますます強力なふいごのお世話にならなければならない…(略)…というのは、純銅の融点が1084℃なのに、彼らが薪を燃やして到達できた火力は、仕込んだ粗銅を十分に溶かすほどのものではなかったからである。この溶融点近くにもなると、銅は赤い高熱体というより眼のくらむような強い白熱光を放つ。作業者はかまどの中を裸眼で凝視して、銅の焼け具合を見計らうのに苦心したに違いない。不幸なことに、炎の色も、呟しく融けた銅の光も、しばしばかれらの眼力を損なう原因となった。そればかりか、ふいごの風が強すぎれば、余分の酸素が、せっかく生成した還元銅をまた酸化してしまう。〉

 北アメリカインディアンの説話は銅と太陽のアナロジーを語る。仮面を持たなかったトリンギット族では最初の銅は太陽の息子たちの持つ銅だけでできた舟から得られ、カトラメト族では魚がイメージの触媒となって〈最初の銅は水の表面を漂っていて、水面で太陽のように輝いていた[1]。〉天空と水は、後者が雨として降ってきたことと空を映すことから循環的な同化しやすいイメージになる。サリシュ系部族のスワイフウェ仮面は湖や川で

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1トリンギット族とハイダ族も類似の銅板を持つが、仮面はない。

 

 

クワキウトル族

ハイダ族

富本銭部分 イラスト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

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釣り上げられたが、それは天から降りてきた高責な存在なのである。クワキウトル族がクウェクウェ仮面の出現に雷を伴わせるのは、そういう中間的状態を語っている。現実に戻してみれば、銅が呟い白熱光線を放つと、小さな太陽が生まれたようなものだっただろう。銅という金属が神聖な存在と信じられたのは、唯そのときの驚異的なイメージに由来する。これが世界の夜明けと結び付くのは自然なことだ。トリンギット族の別の神話は、造物主が太陽の閉じ込められた容器を開くと、区別しがたい原初的な生物が名前のある動物や魚になったと伝える。

銅と太陽のアナロジーが分かれば、スワイフウェ仮面の突き出た目が何を表わすか、簡単に理解できる。精錬作業者は、銅が放つ呟い白熱光を通して銅の焼け具合を見なければならない。そのとき肉眼で凝視するとしたら、白熱光の他には何も目に入らない。しかし、細長い筒を目に当てて覗けば、光の反射を防ぐことができる。試しに100Wの電球をそうして覗いてみると、ガラスに記された文字が光の中に鮮明に浮かび上がって楽に読み取れる。作業者は、スワイフウェ仮面の目に似た一種の双眼鏡か望遠競を付けたのかもしれない。それは、ガリレオが発明したレンズの付いた望遠鏡よりもはるかに宇宙の神秘を捕らえる力があると信じられた知性の道具だっただろう。

レヴィ-ストロースは銅の呟い輝きが構造体系の普遍の特徴を成していると考え、ゾノクワ仮面との対比からスワイフウェ仮面の目が〈かき乱されることなき視力を暗に意味している〉という解釈を事実で裏付けた。北太平洋岸のシャーマン(巫者)は多くの場合筒状の〈魂を捕らえる罠〉という道具を用い、五大湖地方のメノミニ族は〈太陽が正午にその運行を止め、長い銅の円筒から地上を眺める〉と言い伝える。内陸部のサリシユ系族は、風の精霊が大きな頭と飛び出した目を持つと想像する。このイメージは古代日本で作られた鹿皮のふいごを連想させるが、仮面の目は皮袋の口に取り付けた長い筒をも表わすと考えていいだろう。

 銅の神聖さは、その金属が利用される方向を決定付けた。《仮面の道》で見るかぎり、現地産の銅は呪術的な性格を帯びた道具以外には使われない。特権階層の錫杖のアクセサリー、仮面の部分的裏当て、短剣。五大湖地方では銅の筒とその縮約形のパイプ。北アメリカの遺跡から大量に出る円筒形の銅の小片。対照的に紀元前30世紀に栄えたインダス河流域のモヘンジョダロなどの都市では青銅(ブロンズ)が壷や鍋といった生活用具に加工され、紀元前16世紀の黄河中流域の商(殷)では祭儀用の道具の他に武器・鏡・古泉(銅貨)・食器・楽器などがやはり青銅で作られた[1]。この違いは単に銅資源の量と精練技術の質的水準の差から生じた。簡単に手に入れば、銅は物質以上の意味と価値を失う。しかし、古代日本では銅の呪術的な性格はなかなか消えなかった。青銅で作った鏡と剣が神器として天を支配する太陽神アマテラスの象徴というか国の霊的な護符になり、銅は宗教的用具に使用された。富本銭のニュースで知ったのだが、呪い(まじない)銭という銅貨もその一例である。銅貨の中央に正方形の穴が開けられた動機は、基本的な要素の一致から見て、北アメリカの円筒形の銅の小片や筒そして太平洋岸の仮面の突き出た目と同じだろう。四角は筒状の望遠鏡を通して炉口を見たときのイメージに似ている。炉からは太陽が出現する。

 

 

 

 

 

 

 

1        銅の文化史:藤野明 著 

古泉という言葉その本にあるが、語源の説明はない。

注:和銅開珎は唐が621年発行した銅銭をモデルに作られたとされる。7世紀末の富本銭もそうだろう。百科事典で見るかぎり金貨と銅貨には例外なく穴がない。

銅との合金硬貨だけが古来正方形の穴を持ち、円形の穴は明治以降のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.70 199910

P 33  34  P 35

銅と太陽のアナロジー 2

           ☆クウェクウェ仮面はスワイフウェ仮面の意味論的な否定だから、驚異的な視力を持つ至高の存在者らしい性格は失われている。生身の人間の目玉が飛び出た瞬間を固定したかのような造形は、千里眼的な望遠鏡とふいごの形と痛ましい疾患に基づくに違いないが、それと矛盾するような滑稽な表情を持つ。一見して道化か特権階級か分からない人間の顛である。この仮面が状況を忠実に反映しているということは、〈向かい合う仮面〉で書いた通りだ。クウェクウェ仮面は、最初に直観したとおり《混乱》の表現なのである。

 ついでに他の地域にある類似する形象にざっと触れてみる。三星堆遺跡で発掘された青銅製の巨大な仮面は、銅と人間との関係が作り上げた構造体系を当てはめると、スワイフウェ仮面と同じく驚異的な視力を持つ支配者を表わす。しかし、紀元前47世紀の遺跡の仮面は鼻の下に細長く裂けた抽象的な形の口があるだけで、舌は出していない。北アメリカインディアンや大日堂舞楽の仮面が銅をテーマにした物語を持つのに銅で作られなかったのと対照的に、青銅そのもので作られている[1]。これは重要な違いで、前号で論じたように前者には銅の怒るべき神聖さという観念があったことに由来する。中国で鹿の角を頭に付けて舌を出した呪術的な木彫りの像が現われるのは、紀元前9世紀黄河上流で栄えた周の時代で、それ以前の情報はない。紀元4世紀古墳時代の日本に伝えられた大量の青銅鏡には様式として舌を出した獅子の浮彫が付く。これは獅子舞いの原型と思われ、意味論的にはスワイフウェ仮面の舌と同じ冨と幸運の呪術的な表象である[2]

銅と太陽のアナロジーの認識は、スワイフウェ仮面の抽象的な舌と目の造形が実は銅精錬の装置を再現したものだということを明らかにした。他の金属との合金を作ることをも含めて冶金と言うが、光の乱反射を防ぐ〈望遠鏡〉とふいごとは冶金には欠かせない必要にして十分な装置である。銅を溶かして型に流し込む鋳造でも、事情は変わらない。しかし、〈望遠鏡〉の使用を文字や絵で残した文献資料はないようだ。佐竹藩の加護山製錬所絵図は平賀源内が教えた南蛮吹きの工程を描くが、従事する男女は農作業と変わらない格好である[3]。それを暗示する記述を探すと、日本書記と太平記に天目一筒命(アメノマヒトツツツノミコト)という名があった。作金者(かなだくみ 鍛冶の神)で、民俗学の権威谷川健一の説ではギリシア神話のキュクロプスのように目が一つの神と考えられている[4]。古事記の校注者倉野憲司によれば筒は星(ツツ)の借字で、その理由は不明だ。北アメリカインディアンの伝説にあるように太陽(星)の呟ゆい光と筒が密接な関係にあることを認識すれば、筒という漢字が用いられた必然性を理解したはすだ。

 現代人の誤解をなおさら強めたのは青銅という日本語だろう。銅製品が緑青を吹くところから作られたブロンズの訳だが、銅と錫の合金による完成品は配合比によって色合いの違いはあれ黄金色や銀色に近く、10円硬貨の銅の色とはほど遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 ただしクワキウトル族は例外的に銅で裏打ちされた開閉式のゾノクワ仮面がある。

2 錦木の西方にある月山神社祭典の赤い舌を出した獅子舞いの面も同列に置いていい。

3 ニツ井町歴史資料館展示 

南蛮吹き:粗銅から銀を取り出す技術。

4 銅の文化史; 藤野明 

 

三角縁神獣鏡

大阪府国分市茶臼山古墳出土

[裏はHHJが入れた。]

日本の歴史 2 ; 田中琢

富本銭

 

文化庁の

パンフレット

通説によれば、点は星の表象である。

HHJからのコピー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Atelier Half and Half