仮面について Sur Les Masques
HHJ vol.61 1998年4月
スワイフウェ仮面と言語的表象 ☆スウイフウェ仮面はどれもファンタジックである。基本的な特徴は、下顎が仮面の3分の1のところで欠け落ちたような形で、その中央に抽象的な直線で浮彫りの舌か赤い色に塗られた舌が垂れ下がっている。鼻は、ない場合もあるが、多くは鳥の頭が付いている。目玉は円筒形に突き出しているが、先端にそれを表わす円が描かれない仮面もある。共通するのは、踊り手がその眼を通して外を見るようには作られていないということだ。仮面の眼は普通穴が開き、そこに人を畏怖させる魔力があるのだが、これは皮肉な造形で、しかもレヴィ=ストロ−スが注意しなかった特徴である。仮面の頭部には複数の鳥の頭が角のように付き、さらに白鳥や鷲の羽飾りが揺れるものもある。そして、硬い羽根か刺繍した布で作られた襟飾りが仮面を囲む。可憐な花や幾何学模様の刺繍は、叙情性が感じられる。この幅広い襟飾りの形は、米代川のべらぼう凧を知っている者の目には無意味な装飾でないように映る。材料は、木目が浮き出た古い墓碑柱から類堆すると、豊富なカナダ杉かと思えるが、写真の仮面はどれも塗料に埋もれて木目が見えない。色鮮やかな塗料は何なのか、気になるところだ。カヌーやログ・ハウスの材料として人気の高いカナダ杉は今、原生林が伐採で著しく減少しつつある。 レヴイ=ストロースによれば、それぞれの類型の仮面には神話が結び付き、語り伝えられた言語的表象の間には仮面群の中にある変形関係と同じような関係が見られる。仮面の基本的な造形を理解するためにストーリーを追ってみることにしよう。 多少の違いはあるが、フレーザー河中下流域の部族は同じ物語を伝えている。ある所に一種の癩病を患う若者がいて、自殺しようと湖に身を投げた。湖底に住む住民たちはみんな得体の知れない病に苦しんでいた。若者は、なぜという説明はないが、病気が直り、お礼に住民の病を治療してそこの娘と結婚する。そして、スワイフウェ仮面、板屋
部族不詳 高さ(羽毛付き) 81.3p 幅 27.7p おそらくマスキーム族 部族不詳 引用;
仮面の道 新潮社
仮面について Sur Les Masques
貝のガラガラ、踊り手の衣装などを見た。地上に戻ると、若者は妹と一諸に湖に行き、 釣糸を垂らして水の精霊を捕らえ、仮面とガラガラを籠の中に入れた。あるいは綺麗な布で包んだ。仮面は、最初の所有者に痙攣や皮膚病を癒す能力を授けるもので、そのうえ〈何だろうが、いとも簡単に集まってくる〉しかし、最初の所有者は不思議なことに仮面を付けることはしない。一説によれば複製を作って、若者が役割(フォンクション)を果たす術を知らなかったので、従兄弟に公衆の前で被らせ、オリジナルは湖に返した。役割とは何か、説明はない。しかし、フレーザー河下流系の説話に、敵が仮面を盗んだが、仮面に魔力を発揮させる歌と踊りを知らなかったので、大事に至らなかったというストーリーがある。プレーヤーとレコードの関係に似ている。アメリカ合衆国との国境の南に住むルンミ族の神話では、若い主人公は村人たちの前で近親者から選んだ二人の逞しい若者に二つの仮面を被らせ、仮面の歌を歌い、他の村からも披露してほしいと依頼されて裕福になる。役割とは仮面に生命を吹き込むことと考えていい。仮面の発見・所有から仮面の魔力を引き出すときまで、その間に見える屈折はさりげない。なぜ主人公は仮面を発見してその所有者となり自分で仮面を付けて歌や踊りを演じて幸福になった、というストーリーが出来ないのか? ぼくが《仮面の道》を読んだのは、人類学者と同じく仮面のおもしろさに惹かれたからだった。神話・伝説は仮面の突き出した目と垂れ下がった舌について何一つ直接語らないので、大して興味が湧かなかった。例外は、スワイフウェ仮面が釣られて水中から出現する超現実主義的な《見世物》だった。米代川ドキュメンタリーの撮影は、もう一度その本を開かせた。米代川源流の廃鉱近くで目にした謎の白い泡は、その下流域鹿角花輪のだんぶり長者伝説の《米のとぎ汁=石灰水流出による水質汚染疑惑》に発展して、さらに下流の小坂川・大湯川との合流地点錦木で古から歌人を魅惑した悲恋伝説と化学反応を起こした〔1〕。銅精錬による亜硫酸ガス煙害と環境俣護運動が哀れな物語の背景に隠れているという解釈。問題は上流部の伝説の原色絵巻と下流部の傷だらけの白黒フィルムとの際立った対照性である。ストーリーを比較すると、同じ要素が一方では幸福に他方では不幸に展開する。川を流れる米の白い液体は富裕の象徴であるが、錦木では空を飛ぶ黒い鷲が子どもたちをさらってパニックを起こす。長者の娘は都の天皇の 注 記 最近の丁∨番組(テレビ東京、テレビ朝日)で、スウイフウェ・クウェクウェ仮面の特徴を持った造形が流れた。東南アジアから長崎を経て伝わったという合津唐人凧、ニュージーランド原住民の仮面、ネパール奥地にある寺院の守護神どれも舌が垂れ下がっているが、目玉は突き出していない。東南アジアの仮面は人類学者も一言触れている。 1参照:HHJ1993年9月〜11月VOL21〜23
仮面について Sur Les Masques
后になるが、錦木では都から来た代官の娘が村の青年の求愛を拒むよう強いられて、結局二人とも死ぬ。こういう意識的な変換が対立を前提とするのは、言うまでもない。 いつの世でもある事柄について保守的な人たちは全体の明るい面だけを切り取り、進歩的な人たちは切り捨てられた暗い部分を主題化する。表と裏、前編と後編がそうして互いに関係がないかのように語り継がれる。だが、煙の隠喩である黒い鷲は長者の娘が生んだ五の宮皇子の名を持つ山に棲むという接点がある。ぼくは相互補完的な造形のクウェクウェ仮面とゾノクワ仮面の写真を想い出した。神話・伝記の構造に注意を向けてみると、大陸クワキウトル族の北方に住むツィムシアン族の神話の中に前編と後編の関係ほど分裂が明瞭でない屈折があることに気づいて、鹿角の伝説探究の終わりに短く紹介した。 言語的表象のそんな特徴は仮面の造形に反映しているだろうか?スウイフウェ仮面が上顎の下3分の1を切り落とされたような形で、下顎と舌らしくない造形が上部の自然味のあるファンタジーと異質な固いい抽象性を帯びていること、そこに構造的な屈折が潜んでいるように思える。この屈折もやはり、銅の存在が引き起こす極端な状況から必然的に生じたものである。