黒・白・赤、1;5 [1] ☆突き出た目と舌を持つクウェクウェ仮面に塗られた色彩は、黒・白・赤というコントラストの強い3色だけである。米代川上流の鹿角に伝わる二つの伝説と古事記の継体天皇の章の記述に関する考察は、黒・白・赤の配色とは何なのかという問題を提出した〔1〕。〈ところで、古事記が述べる継体天皇の人生に現われる色彩と錦木伝説の色彩は、麻色の場合は明白に照応するが、数において一致する。これは、712年完成の古事記が錦木伝説から色彩の配合比を写し取った結果である。地方の伝承からストーリーを消し去ったこういう手法は、古事記の中に他に例がないだろう。しかし、記述のコンセプトは明快である。鉱物から色さまざまな金属と物質を取り出した驚異的な技術を応用して、天皇の画期的だが問題の多い銅製錬事業の象徴としたのだ〔1〕。その理由は繰り返さないが、象徴主義的なクウェクウェ仮面と共通の黒・白・赤の配色が古事記にもあることを記憶に留めたい。〉 古事記の5色は、金・白髪(銀と水銀)・黒・白・赤である。銀(白金)と水銀が比喩的に書かれた理由は、この章と関係することだが、水銀が銅と似た災いを連れて来るからだ。黒・白・赤が金と銀の次に並ぶ金属である銅を暗に指示する色ではないかと推察しても、論理的な軋轢は生じない。そのうえ、日本書紀で継体天皇の大后の名前が古事記の手白髪(たしらが)命から手白香(たしらか)皇女と変様するのは、ツィムシアン族神話における銅鉱山経営の挫折と香りの木の関係に並行する。したがって、クウェクウェ仮面は銅製錬の富と幸運を表わすスワイフウェ仮面と向かい合う位置関係にあるので、炉の前の作業や周辺事情を観察すれば、黒・白・赤が銅とどんな関係にあるか、理解できるに違いない。北アメリカインディアンの銅製錬の方法は以前日本の封建的な工程から化学的に推理して素描した。2酸化硫黄(SO2)の黄色っぽい白煙は出るが、黒・白・赤は発生しそうにない。そこで、自然界にある鉱物の化学変化で黒・白・赤の色の物質ができると仮定して、その鉱物を探してみた。適合する条件はその鉱物からの生産物が特権階級に有益なものであること、しかし、恐るべき副産物が伴うこと、当時の技術で生産可能であること、その鉱物が当の地域で産出したか輸入されていたこと、銅製錬(精練)と関係があること。それらの条件を満たせば、その鉱物がクワキウトル族の仮面と鹿角の二つの伝説と古事記に通底していると考えていい。こんな調査結果が出た。 ◇ 辰砂(しんしゃ)…黄銅鉱(CuFeS2)と同じ硫化物の一つ。水銀と硫黄から成る。量的にみて、水銀(丹)のほとんど唯一の鉱石。 1 仮面について~6理想的な表現 [C] 1 仮面について~6理想的な表現 [C] *ダブル・イメージ:異質な二つの事物(=仮象)の同一性・類似・近接・可変・ 転化・移行を表わす。これが暗示する実体としての現象が、表現するイメージを 限定する。 実体(あるいは現象) 五色の木の枝 [金]・白髪 継体天皇 銅
(→硫黄)
黒・白・赤 錦木伝説 古事記 狭布(麻布)
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◇硫黄(S)…自然硫黄、鉄・銅・鉛・亜鉛などの金属と結合した硫化物として、また火山ガス・鉱泉・温泉の中に硫化水素・亜硫酸ガス・硫酸として存在する。無害。 ◇水銀(Hg)…有史以前から使われた。水銀蒸気は有毒で、皮膚障害や内臓障害を起こす。有機水銀中毒はミナマタ病を引き起こした。天然には辰砂として産出。製錬は簡単で、5,600度に加熱すると、水銀蒸気と2酸化硫黄に分解する。化合物の朱は古くから寺社建築の顔料に、他の化合物は医薬として殺菌・消毒に利用される。 ◇朱‥天然には辰砂として産出する。溶融した硫黄に水銀を加えて黒色硫化水銀(HgS)を作り、これを強熱すると、赤色硫化水銀(HgS)が昇華する。黒と赤の粉末は顔料に利用される。 辰砂は天然に大和地方に多く産出した。日本では縄文時代から生命の象徴として辰砂の朱が土器などに塗られたが、いつ頃か、その鉱石から水銀を取り出す蒸留技術が大陸から伝わる。寺や神社の建物に朱を塗ったのは呪術と殺菌のためだ。適量の水銀は新陳代謝を促すので、中国や日本では延命の丹薬として盛んに服用され、死者も出た。水銀化合物では、6世紀以後の錬金術の発見とされる無色の昇汞(しょうこう 塩化第2水銀)が防腐薬の他に水溶液として皮膚消毒に用いられた。奈良時代の713(和銅6)年には中国製品をまねて鉛製と水銀製の白粉(おしろい)が貴族のために作られる。三重県伊勢地方の勢和村には9世期初め唐留学を終えた空海が鉱山の生産拡大に貢献したとされる伝承と蒸留器などが残る〔1〕。伊勢参りみやげの御所白粉(塩化第1水銀の白い粉末、軽粉〔2〕)は、室町時代以降民間で顛を白くする内服薬や下剤として利用されたという。黒の顛料は寺院建築に朱とともに使用されたと思うが、具体的な資料は手に入らない。銅との関連を考えると、水銀は何よりも銅の仏像に金メッキを施すために不可欠な物質である。そして、辰砂には黄銅鉱などの銅鉱石と同じく硫黄が含まれ、水銀を作る過程で水銀蒸気の他に銅製錬と同じように硫黄と酸素の化合から恐怖の煙が発生する。とはいえ、黒・白・赤の色彩がイメージとして辰砂に結び付かないのは、仏像や鐘の素材となる銅の神聖さに負うところが大きい。 クウェクウェ仮面の黒・白・赤の色彩は、どうか?クウキウトル族が水銀を作ったかどうか知らないが、硫黄化合物による製錬従事者の悲惨な状況とー致する。白い顛面は職業病の治療薬を塗ったように見える。素朴な治療の段階に止まっていたなら、白い色は消毒効果のある石灰だったかもしれない。赤い色は鼻の呼吸器官部とロと舌に塗られ、濃い頬髭とロ髭と太い眉の黒い色は硫黄が引き起こす多毛症を、鳥の羽毛を並べた髪は大気汚染を表わす。古代日本で黒・白・赤が魔除けのように表を飾ったのと反対に、北太平洋の東では黒と赤は疾患を、白は病の治療を表わしたと言える。 クウェクウェ仮面の黒と赤が忌まわしい災いを示すことは、大陸のルンミ族が証言する〔3〕。祭儀では乱れ髪の道化が赤と黒半々に塗り分けられた仮面を付けてスワイフウェ仮面を追い回す。観衆は〈笑ったら最後、彼等もまた身体および呼吸器系統を潰瘍で侵される。〉そして、神話では夢の中で赤い守護霊と黒い守護霊という超自然的な力の意味に転化した存在が主人公に赤い鮭と黒い鮭を食べることを禁じる。その一対の色はレヴィ-ストロースに道化の仮面を想起させたが、ヨーロッパの伝統的な祭りでは赤と黒半々のコスチュームがよく使われる。 1 NHK 歴史誕生6 追跡~謎の水銀ルート: 角川書店 空海:773年~835年 真言宗の開祖 2 軽粉と同音のカルコは黄銅鉱(CuFeS2)の略称で、硫黄が含まれている。 3 仮面の道:Claude
Lévi- Strauss新潮社 参考---小学館と平凡社の百科事典 化学変化 硫黄[S]+水銀[Hg]→黒色硫化水銀→(加熱)→赤色硫化水銀 ↓ 辰砂[HgS]→(加熱)→水銀蒸気[Hg]+亜硫酸ガス[SO2]
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HHJ VoOL.72 2000年2月
黒・白・赤、1;5 [2] ☆この工セーを書き進めるにつれて、20世紀前半の毒ガス兵器と放射能に関する雑多な記憶が意識に干渉するようになった。クウェクウェ仮面の黒・白・赤の配色はナチス党の旗と同じなのだ。黒・白・赤の逆卍(まんじ)の旗は、ナチス・ファンの一婦人が考案したものだと本で読んだことがあるが、毒ガスが使用された第1次世界大戦と原子爆弾で終りを告げた第2次世界大戦の間に狂乱の風を受けて翻った。クウェクウェ仮面と状況は似ている。既成の世界観の崩壊。新しいテクノロジーにする期待と不安。目に見えない化学物質の恐怖。肉体の再発見。そういう現代史を参考にすると、黒・白・赤の組み合わせは虚無と非存在と生命という《人間存在の三原理》の象徴のように見える。黒は存在の終りであり、白は現実的にはまだ存在しない存在の始まりである。赤はそれら対立するものの中間で、どちらからも不安な侵出を受けながら対抗的に存在するよう強いられている。 黒・白・赤の起源は中国の陰陽五行説の五色にあると載念的に片付けると、その五色(黒・白・赤・黄・青)がどこから取られたのか見失ってしまう。五行説では色彩と五大要素物質の対応関係は、黒→水、白→金、赤→火、黄→士、青→木である。この自然哲学はそれで万物の生成と運動を説明するが、異なった環境世界では人間の感性と想像力が記号と意味を微妙に調整する。比内町独鈷の大日堂の社殿前に並ぶ五色の旗は黒色が紫色に置き換えられていた。清浄さが唯一の教義のような神道では、黒色が忌むべき色とされたのだろう。昔見た平安神宮の緑・白・朱の建築にも同じことが言えそうだ。日本の葬祭で使われる黒白の幕と赤白の幕も、ヴァリエ−ションである。しかし、考えることを恐れたり疲れたりして呪術に堕落した東洋的精神に引っ掛かるのは止めて、前号の結論が正確に当てはまりそうな黒・白・赤の事物がないか、探してみよう。黒・白・赤は銅という神聖な実体を宗教的に指示するための配色だった。最初に注意を引いたのは百科事典の鳥居の項で、色の種類が黒木(皮付きの原木)、白木〈皮を剥いだもの〉、丹塗りを原則とすると記されていた。それから、小豆(あずき)の種類がやはり黒・白・赤の3種類あることに気づいて、農民に確かめた。実際の色にほとんと関係なくそう呼ばれたのは、配色の必然性を知る人々がいたからだ。だが、それを言い伝えるルンミ族の知性的な伝説に似たものは日本には残っていない。 黒・白・赤の鳥居の存在を知って、ぼくは鳥居とは何なのか、気になった。そう言えば、スワイフウェ仮面の頭には鳥が2羽付いているじゃないか!…プーシキンの《スペードの女王》で憂欝症の主人公ゲルマンが秘法の3枚の切り札に賭けるようにぼくは〈黒・白・赤〉を頭の中で何度もかき混ぜた[1]。鳥居の起源について手がかりを与えたのは、錦木塚の伝説を詠んだ歌だった。 錦木の悲劇は、平安中期から都で文学化された。南北朝後の室町の世になると、世阿弥が何に心を動かされたか、京都の能舞台に二人の霊を蘇らせた。雪深い北国の伝説は今でもなかなか忘却を許そうとしない。平安中期の11世紀前半、現地を訪ねて溜め息を 1
A・S・Pushkin:
19世紀初期のロシアの詩人。 伯爵夫人の亡霊から聞いた切り札は3・7・1だが… 1
神明鳥居 2 鹿島鳥居 3 春日鳥居 4 明神鳥居 5 稲荷鳥居 6 両部鳥居 7 日吉鳥居 8 三輪鳥居 9 三脚鳥居
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ついた能因法師の歌は有名で、ぼくにもおぼろな記憶が残っていた〔1〕。
錦木は立ちながらこそ朽にけれ けふの細布(せばぬの) 胸合すとき [色とりどりの木は立ったまま朽ちてしまったのだなあ 狭の細布で作った胴着の ように胸が合わないとは 若い男女が胸を合わせるときに ]訳:HHJ 平安末期の大江匡房(くにふさ)の歌は、鹿角市史て初めて読んだ〔2〕。
思いかね今日立ち初むる錦木の 千束(ちづか)も待たで 逢ふよしもがな [想像しにくいことだ 今日立ち始めた錦木が千束になるのを待たないで 会う手 段があれぱいいのだが ]訳:HHJ 木々が立ち枯れしたのは煙害のせいだろう。〈思いかね〉とは掛詞で、古事記のオモヒカネ(思金神)を暗示するレトリックだと気づけば、視界が急変する。天の石屋戸(いわやと)にアマテラスが隠れたときに天の香具山の〈鐡 まがね〉〉で鏡を作ったのは、人間の智力の神格化とされる思金神だった。金という漢字は金属・鉱物の総称で、黄金よりもむしろ銅と貨幣を意味した〔3〕。考古学的には鏡は青銅製で、後に三種の神器の一つとなるこの鏡の原料の〈鐡〉とは銅のことである。14世鑑後半の室町時代に書かれた太平記の同じシーンでは〈思兼神〉が鏡を作り、はっきり〈銅〉という漢字が記されている〔4〕。最初に作った鏡は失敗作だった、という記述は銅製錬に必然的に伴う挫折と苦痛の記憶である。リアリズムの精神から遠い古事記と日本書紀の記述にはそんな素直さはない。鎌倉末期の歌人は神話のエピソードを重ね合わせる目的を持っていた。 原文は含蓄に富んだ表現を可能にする平仮名で書かれているので、読者の意識に合わせて想像的な記憶が現われる。冒頭の掛詞のもう一つの表象が今度はいわばコードのように〈ちづか〉という言い回しの意味を多重化する。塚は小高く盛り土をしたものや墓を言い、同音異義の束(つか)は、わずかな量、屋根を支える棟木と梁との間などに立てる短い列柱、の意味である。鳥居の束は、頭上に見える2本の横木の真ん中に立っている。鳥居は古墳時代に始まる神社に固有の門だが、奉納された鳥居も区別なく付け加えるという特徴がある。例えば、伏見稲荷神社の鳥居は朱塗りの柱で下部に黒塗り板を巻き、トンネルのように立ち並ぶ。基本的な造りは神明鳥居のように円材の2本柱と横木2本の組み合わせで主としてヒノキが使われ、束柱を付けた様式や銅などの素材もある〔5〕。構造だけを取り出してみれば、鉱山の坑道で天井を支える木組みの変形である。〈ちづか〉は無数の枯れ木、血の束と墓、千の束と墓、そして鉱山の暗黒にさりげなく案内する表現と考えていいだろう。嵯峨の道端で荒れた小屋のような野々宮神社の原初的と言われる小さな鳥居を見たことを想い出す。苔蒸した黒木で、人が普通に歩いて通り抜けるほどの高さはなかった。坑道から取り外したかのように。 こうして2000年の1月2日朝、八幡平駅に降りると、ちょうど4集落の能衆が小豆沢大日堂の庭場に集まったところだった。ぼくは堂内の広々とした空間を眺め、正面奥の本殿と舞台の間に白木の神明鳥居が扉の枠組みのように建っていることに静かな驚きを感じた。本殿の帳の蔭にはアマテラスお気に入りの鏡が浮かんでいた。 1 後拾遺集:白河天皇勅撰 2 詞歌集:崇徳上皇勅撰 3 角川大字源 4 小島法師の作とされる.錦木の悲恋が引用される会話もある。 5 奈良峰山寺。独鈷大日堂の鳥居は銅板を巻いている。 ロシニョールのスキー トレード・マーク 硫黄 水銀 錬金術の化学記号
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HHJ VoOL.73 2000年4月
黒・白・赤、1;5 [3] ☆昔の県道に面した大鳥居はコンクリート製で、興醒めだった。境内には五色の幡(はた)がなく、御守り札を売る巫女の純白と緋色の衣装が最初に目を引いた。大日堂の豪壮な建物を見上げると、正三角形に近い屋根の天辺に百葉箱のような小塔が付いていた。煙抜きのためだろう。庭場に勢揃いした能衆たちが道路の側の白木の鳥居の前で輪を作った〔1〕。額束(がくづか)と呼ばれる束には地蔵尊と書かれ、形が崩れた小さな石の祠(ほこら)があった。賽銭が載っているが、お地蔵さまの姿はない。 そんな舞いがあるとは知らなかったが、これから地蔵舞を行なう、とアナウンスが響く。新しく建て換えた鳥居の前で、笛と太鼓の伴奏が響き、一人が神妙に背負う杉の箱から能衆が紺色の麻の布包みを取り出して開く。五の宮大権現の獅子面が現われ、小豆沢能衆による舞いが始まった。太鼓には稲妻のメタフォールらしい鎌の形をした3枚のプロペラがあり、黒い風の精霊を動かす。リズムを響かせる鼓手は、太い爪の付いた毛皮の熊の手を巻いている。 布に包まれた仮面は、スワイフウェ仮面群の神話で語られる特徴の一つである。主人公は水中から釣り上げた仮面をきれいな刺繍をした布に包んで運ぶ。その行為が意味することは、ただ銅と太陽のアナロジーからのみ理解される。太陽の子に譬えられる神聖な存在の誕生。古代日本で言えば、神聖な存在とは天皇とその継承者の皇子だろう。地蔵舞は本番では初めから面を出した権現舞として舞台に上がり、五の宮(継体天皇の子)の化身であるという伝承と意味論が一致することを確かめた。白い紙の御幣(みてぐら)は両方に出るが、外での舞いには貴人であることを示す傘が付く。 獅子面は、先がカールした細い紙で作った五色の鬘(かつら)で口以外すっかり蔽われている。黒い漆塗りの面だが、丸い鼻穴の内側は赤く、むき出しの歯と口は金色に輝く。桂材だから、非常に重いという〔2〕。紺色の布はのれんのように縦に裂け、白い直線が何本も平行に走る。面から下は白い縮れた蔓状植物か煙が無数に垂れている。舞い方は単純で、左右に何度か揺らしてから大きな口を開けて連続的に飛びかかる。子どもが尻尾を振る。その繰り返しの後、五色の小さな鬘を頭に載せた6人の脇立ての一人が白地に赤い日の丸の付いた扇を獅子面の口にあてがう。動さはゆっくりした上下運動になり、太鼓の音が何か起こりそうなスリリングなリズムを響かせる。まもなく動きが止まり、脇立てが扇を取り去ると、体を小刻みに揺さぶって再び勢いよく口を開けて飛び上がる。この舞いの表現に意味を与えるのは、銅製錬のプロセスである。特徹的な構成要素について挙げてみる。もっとも、大日堂舞楽は718(養老2)年大日堂再建のとき大和の平城京から遺わされた音楽博士が始めたと言い伝えられている。 1 稲荷様式に似る。2 安倍洋直宮司 談 大日堂と4集落
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*白地に赤い日の丸の付いた扇←白熱光、太陽=溶銅。 *獅子面と口←製錬炉と炉口。 *五色の鬘←五行説の五大元素物質の生成運動。亜硫酸ガスや水銀蒸気などの猛毒を含んだ煙の発生が富と幸運の象徴になるのは、蔓状植物との結合による。鬘が煙のメタフォールであるというのは、大日堂舞楽の特色かどうか知らない。獅子がなぜ鬘をかぶるのか、これは不安な疑問である。 *蔓状植物←銅鉱石に含まれた硫黄と酸素との化学反応で発生する亜硫酸ガスから酸素を奪う還元作用で毒性を弱めるために必要不可欠な陸上植物。本当は灰の主成分の炭素の働きなので、その辺の雑草や北アメリカインディアンの伝説が語るように木の葉でも役立つ。蔓状植物は、その形状が煙の曲線的なフォルムと類似するために選ばれたイメージだろう。同じ煙でも、浄化された煙である。これが原因と結果を同時に表わす合理的で巧みな呪術的表現だ、と古代社会の演出者には思われたのかもしれない。後で、それに似た飾りを付けるのが駒舞の馬と鳥舞の鶏だけということが分かる。 煙のメタフォールに関する考察は、大陸のスワイフウェ仮面のよい踊りを盗むユーモラスな冒険伝説とスワイフウェ仮面の解読が契機になった。先にそれについて語るのが自然だが、道草と思って簡単に触れた。水銀蒸気や亜硫酸ガスといった有毒の気体が白髪に結び付くのは、妄想的ではないだろう。女性の手の白髪とは、哀れみをそそるイメージである。 神仏混交の地蔵舞が終わると、小雪の中、4集落の能衆が庭場を3度回る幡揃えが行なわれる。予備知識では堂の周囲か回廊を巡ることになっていた。いよいよ社殿の入口に揃い、花舞を行なう。全員が古風な礼をして敷き板を踏み鳴らし、それからまた五色の鬘の獅子が舞う。赤い太陽。思いがけないことに、そのあと堂内で小豆沢の若衆たちによる農作業の籾(もみ)押しという舞いが同時進行する。カメラマンを当惑させたこの意味ありげな展開は、念入りに書き留めなけれぼならない。若衆は奥の方からー列になって、(よおうよおうえ)と声を上げながら入口の近くに来て折り返す。舞台前から反対側に回るために。10代と20代の青年と思うが、黒のズボンと法被(はっぴ)を着て片脱ぎした右半分から白いシャツを出して、右手の指でシガレットのように緑・白・赤の3鍾類の細い紙のリボンを挟んで天を指しながら進む〔1〕。宙を舞うトンボの群れ、か。伝説のトンボは若い農民が夢を見ている間に口に尾を入れるか、あるいは鼻穴に出入りする。しかし、白と黒の整然とした動きは幸運の兆とは反対の緊迫した胸苦しい空気を漂わせている。トンボが鼻穴から鉱脈の穴ヘ飛んで行くことが、 1 一人だけ左の片脱ぎ アメリカのタバコ 籾押し
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それを説明するだろう。おかしなことに、小豆沢の伝説が語るそのイメージをクワキウトル族の地震神の仮面に見ることができる。両目は突き出ていないが、その代わり目玉を付けた小さな〈双眼鏡〉が口の上にある。トンボと銅あるいは広い意味での鉱山との繋がリは、スワイフウェ・クウェクウェ仮面とリロエ卜族の墓碑柱の廷長線上で理解される。トンボの目と形が似てその古語アキヅの転化と言われる小豆には、黒・白・赤の3種類あった。トンボは、銅鉱脈の発見とそれに続く製錬あるいは冶金による一連の痛ましい犠牲の象徴なのである。ぼくはトンボという言葉でフランス語のトンボー〈tombeau 墓〉を想いい出す〔1〕。VTRでやっと認識したのだが、トンボの飛来の間に行なわれている獅子舞には日の丸の扇が出ない。今度は二人の能衆は面を支えるだけで、その後扇持ちの能衆が袖の奥からトランプほどの大きさの白紙2枚を取り出して片方に1枚手渡し、もう1枚は息をしないように自分の口にくわえる。その展開が表わすのは銅鉱脈の出現だろう。 次は幡上げである。舞台上の伴奏で、若衆が南北の梁の上に各集落の幡を投げ上げ、行進のときに上に登っていたグループがそれらを受け取って梁から吊るす。梁は中二階構造で、屋根庇のように傾斜している。そのクライマックスに合わせて、花舞を終えた能衆が足早に入場して、それぞれ南北の楽屋に入る。谷内(たにない)の金剛界大日幡と小豆沢の大小龍神幡・胎蔵界大日幡が北側に、長峰と大里の大龍神幡・小龍神幡が南側に垂れ下がる。金剛界大日と大龍神3枚の幡の上には奇妙な飾りがある。撮影のアングルが悪いが、共通項を上げると、どれも白地に黒と赤を基調として頭部が丸みを帯びたフォルムに人間的な目玉が付き、口の辺りから長く伸びた白い角棒に黒い直線と赤い直線が交互に入っている。棒の根元には白紙の房飾りが付いている。鳥の翼か魚の尾ひれに似たものと濃い眉毛を持つのは小豆沢と長嶺の大龍神幡である。何という生き物か、認識は難しい。しかし、長嶺の幡飾りは金色の目玉を鱗の輪郭の中に描いたように見えるので、魚と蛸と鳥と人を混ぜ合わせたイメージかもしれない、と後でVTRを見ながら気づいた。メッセージの奇怪な寄せ集め。クウェクウェ仮面を傍らに置いてみれば、鉱山と製錬所の周辺事情がはっきりする。水道がなかった古代社会では、貴賎の誰もが水質汚染を深く憂えたに違いない。米代川では岩魚が重要なモチーフとなる竜伝説が唯一の証言だが、小豆沢大日堂のそれは鉱害による水生生物の犠牲を物語る象徴的な伝承と言える。それらを川の上流に遡らせる演出の狙いは、結果を原因に巻き戻すストーリーの逆転再生である。トンボが若い農民夫婦を酒の泉に導く富と幸運の物語の発端が、その場面に重なる。これは伝説を象徹している。有害な物質で侵された生き物が川を汚染した山奥の鉱山に遡行するのは、怨念からではなく、原因を知ることが被害者の慰めとなるからではないか?この幡上げには、たぶん鎮魂の意味があるのだろう。 1 例えば、鮭(saumon)には鉛や錫などを鋳造した塊という冶金学的な意味もある。 参考: 布留(ふる)川に一振りの剣が川の流れとは逆に流れていた。取ろうする人 は、手足を切られたり肺や肝臓を貫かれたりした。しかし、貧しい女が川で布を洗 っていると、その布に剣が留まったので、大和布留の社(石上神宮)の御神体にし た。スサノヲの剣十握剣(とつかのつるぎ)と言われる。名の由来は長さが十束あ るから。この縁起譚では魚の生命力が剣を動かす。麻か木綿(ユウ)の布は浄化力を持つ蔓状植物の白い煙のメタフォール。十の束については想像に任せよう。 ・・・太平記:三種の神器来由の事 幡揚げ
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HHJ VoOL.74 2000年6月
黒・白・赤、1;5 [4] ☆こういう暗合に気づく。 1 幡上げは、結果を原因に巻き戻す。 2 手白髪という形容は、結果(現在)と原因(過去)を一語で同時に表現する。 3 堂内の籾押しは社殿前の花舞(獅子舞)の途中から並行して演じられ、幡上げの 終局に合わせて能衆の列が入場した。 4 同時代の古事記は日本で最初に文字で書かれた神話的歴史だが、それより歴史書 に近い叙述形式と内容の日本書紀は同じく天武天皇の命令で同時期に並行的に編 纂作業が始まった。伝えられた歴史を信用すれば、進行状況は図表の通りだ。 第1章で書いたように、〈日本書紀で継体天皇の大后の名前が古事記の手白髪命から手白香皇女と変様するのは、ツィムシアン族神話における銅鉱山経営の挫折と香りの木の関係に並行する。〉古事記と日本書紀は、そんな風にツィムシアン族神話をモデルに取れば、前編・後編の関係にあるかもしれない。それを手掛かりにして改めて考えてみると、手白髪命と手白香皇女の間にはダブル・イメージがある。これは実体としては継体天皇の大后を指示するが、現象としては手白髪から手白香への変様は水銀と銅の社会的応用のために起きた悲喜劇的な前編・後編のプロセスの象徴である。変様とは全体的な枠組み(パラディグム)の変化を言う。 この文字で書かれた前編と後編の成立過程は、花舞の獅子舞と籾押し・幡上げの進行関係とよく似たパターンである。成立の記述と伝承に従えば、朝廷の音楽博士が北国の舞楽に朝廷の神話歴史書の相互的な進行関係を転写したことになる。大日堂舞楽と神話歴史書は、北アメリカインデイアンの仮面・祭り群と神話・伝説群のように銅の存在が社会の中で構造化した一つのシステムと考えれば、ある呪術的な理由で相似的に作られた構図かもしれない。密接な関係のある重要な活動は、仕上げのタイミングを計る。それが間違いでなければ、大日堂舞楽の《舞台裏》で書かれた神話歴史書の時間的継起と ダブル・イメージ 手白髪命 継体天皇の大后 手白香皇女 1 続日本紀などによれば、〈太安麻呂〉も中心的な役割をを果たした。 花舞の獅子舞 籾押し・幡上げ 古事記…太安万侶の序によれぱ天武天皇の命令。中断。 日本書紀…681(天武10)年中臣大島ら作業開始〔1〕。 天然銅…708(和銅元)年秩父で発見。伝承では尾去沢でも。 古事記‥771(和銅4)年元明天皇の命令で作業再開。 古事記…712(和銅5)年完成。 大日堂…718(養老2)年再建。音楽博士が舞楽を伝える。 日本書紀…720(養老4)年完成。 舞台での舞い
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並行関係は歴史的事実だったと結論していい。 この2書はなぜか他方の存在については全然触れない。これも能衆と若衆の関係に比較できる。籾押しの間、一部の能衆(4人の楽人)が雷光のない太鼓とともに舞台に腰を下ろしているが、一見無関心な様子で何もしない。音楽の伴奏がないのは、北アメリカインディアンの神話が説明するように仮面が魔力を発揮する以前の状態を意味する。 ところで、籾押し・幡上げは伝説のアレンジである。トンボ伝説には前編が欠け、後編のストーリーの陰にそれとなく折り込まれていることはすでに見た。日本書紀は暗示的ではないが、それと同じ構造である。古事記という前編と重複した内容の創世神話から始めて、古事記は推古天皇の代(593年〜628年)で終わるが、日本書紀はそれからさらに現代史へ、天武天皇の后の持統天皇の代(687年〜697年)まで続く全体的な叙述の後編である。これは神話歴史を編年体で異説も含めて詳細に書き綴り、近世まで〈勅撰の歴史書〉として重んじられたという〔1〕。大日堂舞楽には非公開の獅子面があることを想い出してほしい。 二つの神話歴史書の存在理由と相関関係は、古代史で論議の的らしい。研究者たちの方法論の弱さはともかく文字記号に対する認識のなさを悲しむ。漢字はその起源が環境に存在するものを抽象化した絵である。古代人の素朴な意識では記号とそれが指示する対象が完全に分離していない。例えば、鳥という漢字は生きた鳥を写した映像的な記号だから、鳥よりも本質的な実在性を帯びた。鏡と写真が現代人にそんな錯覚を引き起こすときがある。漢字は話し言葉と違って物質的な形のある記号である。その形象を媒介にして万物照応のシャーマニズムのように他のさまざまな事物に働きかけることができると信じられた。天武天皇が病気で死に瀕した686年〈改元して朱鳥(あかみとり)元年という。そうして宮を名付けて飛鳥浄御原宮といった。〉とあるのは、漢字を通して呪術的に環境世界を好転させようとした例だろう〔2〕。銅と水銀の精練過程での化学変化で明らかになったように赤い鳥は犠牲から守護霊的存在に転じた。人の病気や苦痛を移されて身代わりになる生き物である。民間の俗説にもあって、明治生まれの祖母が怪我をした孫に聞かせてくれたことがあった。〈痛いところは烏の頭に飛んで行け〉…赤い色はどこからか来た忌まわしい記号である。そうして赤い鳥が飛び去れば、天皇の病気と皇宮は浄められる。手白髪という送り名の理由も、それで明白になる。手白髪という ツィムシアン族神話の前編・後編モデル 神話的(銅発見、鉱山経営の挫折)←→ 歴史的〈香りの木と製錬再開〉 スワイフウェ仮面 ←→ クウェクウェ・ゾノクワ仮面 尾去沢伝説・銅木塚伝説 ←→ トンボ伝説…(前編)・後編 花舞 ←→ 籾押し・幡上げ 古事記…前編 ←→ 日本書紀…(前編)・後編 [手白髪] ←→ [手白香] 非公開の獅子面 ←→ 権現舞の獅子面 注:尾去沢伝説ついては理想的な表現[C]を参照。語り伝えられた年代によれば、トンボ伝説の方が前編より古いが、内容にしたがってて分類しておく。図表は必ずしも時間の流れの前後関係ではない。後編が先に作られた場合も考えられる。 1 《古事記と日本書紀の謎》より古代史学者直木考次郎の講演 2 日本書紀:
小学館 ダブル・イメージ 手白髪命 継体天皇の大后 手白香皇女 1 続日本紀などによれば、〈太安麻呂〉も中心的な役割をを果たした。
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象徴的記号は目に見える形をそのまま写した映像ではないが、水銀と銅の製錬で生じる硫黄化合物の恐るべき煙を自由に処理して心理的にも恐怖から解放されることを祈願する呪符である。呪力を発揮させるためには、どのように形を描くかということが非常に重要だと考えられた。〈目〉という漢字が縦に長く描かれたのは、古蜀の縦目の青銅面と無縁ではないだろう。身近な例では、《年代豊凶録》の幕末の記事に、大館で麻疹が流行したとき城主の馬小屋の飼い葉桶をかぶれば伝染病除けの呪(まじない)になるという風聞が広がり城に大勢の人々が押しかけたという出来事がある〔1〕。〈咒〉という漢字は呪の俗字とされるが、後者よりも視覚的な効果が強い。それはスワイフウェ仮面の漢字版である。〈酉〉という漢字も同じイメージを持っている。浅草竜泉寺町鷲(おおとり)神社の有名な酉の市は元来農具市で、鉄製品だから、隅田川源流の秩父鉱山と関係があっただろう。浅草寺の由来は7世紀推古朝に魚釣りが金の観音像を隅田川で釣り上げたことである。〈酉〉という漢字は酒器を表わす象形文字で、鶏の意味に転用されたという。トンボ伝説やオロチ伝説では〈酒〉が重要なモチーフだが、その漢字には〈酉〉が潜んでいる。〈酉〉は夜明けと反対に西の方角と日没の時刻6時前後を表わす。富本銭の角型の穴の上に彫られた〈富〉は、獅子面の抽象形と見るべきだろう。 〈本〉の字を構成する〈大〉と〈十〉は、どちらも現代に通用するが、呪術的な記号として描かれている。それらは、意味内容(概念)を指示するとともにそのフォルムの映像性を記号システムから切り離して認識させる多義的な象徹記号である。その意味を分節するかどうかは、一般的に言って見る人の関心次第だろう。実存論的には、過去・現在・未来の指示対象や意味とは行為する人間から眺めた記号の方向性である〔2〕。銅銭の特徴的なデザインで見たのは、レトリックで言う隣接関係に基づくメトニミー(換喩)の表現というよりも記号とそれが方向付けられた事物との密着に他ならない。〈望遠鏡〉の円形が記号であり、その丸い穴に映る炉□が指示対象である。こういう造形は特殊だと思うが、記号の方向性を表わす社会的な好例にパリのリヨン駅がある。始発駅では心はもう南フランスに、というわけだろう。 漢字の呪術性は、文章と書く行為にまで浸透した。しかし、素朴な記号であれ、漢字は環境世界を分節する記号システムを構成する。それは共通の考え方や感じ方まで大雑把に限定する。表記されれば話し言葉と違って身体器官に依存しない自立性を持ち、知性は身体と環境の中間で客観的に単語の組み立てができた。記号システムの自立で、人間は初めて環境の呪縛から解放された。表音文字の地中海世界ではそれによって記号と指示対象が明確に分かれた、とぼくは想像する。因果関係など事物の間にどんな関係付けの線を引くかは、合理的な知性の自由で、存在の可能性である。過去の記憶と環境に パリ リヨン駅
リヨン市 □-----------------------------------→ Gare de Lyon Lyon 参考:〈原始人にとっては、記号は表示されたものと一致しています。記号自身が表示されたものを代理するという意味で代表できるばかりでなく、記号自身がいつも表示されたものであるというふうに代表できるのです。〉〈この合致は、あらかじめ隔てられていたものの同一化ではなくて、記号で印されたものから記号がまだ分かれていないということです。〉 …存在と時間〈指示と記号〉:ハイデッガー 1 年代豊凶録 長谷川貞顕、屋政 共著。麻疹は乳児の病気はしかだが、本当はどうだったか? 2 ハイデッガー(M.Heidegger)は《存在と時間》で帰属性という言い方をしている。 ダブル・イメージ 手白髪命 継体天皇の大后 手白香皇女 1 続日本紀などによれば、〈太安麻呂〉も中心的な役割をを果たした。
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生物のように密着していた機械的な意識は、かなり柔軟に自然と社会の不安定な動きに対応するようになっただろう。この変化は、歴史的事実かどうかは別にして中国では青銅鏡から象形文字への移行に比較できる。鏡の映像は、古代人の意識には初期のテレビ以上の魔力があったに違いない。漢字はヴィデオ・カメラ付きコンピューターのインターネットのような装置である。環境と頭の中に存在するものを写し取り固定保存して、その記録を他の人々に時空を超えて伝えることができた。これが現実よりもリアリティを持つ経験になると、漢字の映像的な魔力をはるかに上回る。新しい漢字を作る作業をも行なった天武天皇の宗教的知性は、それが統治に役立つことを十分認識していただろう。二つの神話歴史書は呪術性が強い漢字の記号システムを応用した試みである、と考えられる。 参考: 〈(南アメリカのナムビクワラ族の)酋長の天分は一目で文字が彼の支配に援助をもたらすことを見抜き、その用い方を知らないでその制度の根本にまで達し、それを無上のものと見た。〉…悲しき南回帰線〈文字と権力〉:レヴイ-ストロース
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