ながれを追った日本の歴史8

時代の流れと 記憶にのこるエピソード重視

戦国時代

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戦国時代へ 1467年~                 

1467「人世虚しい応仁の乱」     ~1477年
8代将軍[足利義政]の後継者争いがきっかけ

[足利義政]は、妻[日野富子]と結婚。美男美女ともてはやされたが、 [足利義政]は、妻[日野富子]の実家が政治に口出ししてくるので、政治から遠ざかり、わび・さびの芸術に夢中になった。政治は家臣の「細川家」「山名家」にまかせきりで、後任は弟[義視]に任せるつもりだった。しかし1465子[義尚]が生まれ+ると、妻[日野富子]が我が子を将軍に、と思うように。そんな後継者争いと、管領の権力争いから、土地の奪い合いへと広がって、10年にもおよぶ戦いの結果、京の町はすっかり焼け野原。当時の書物や建造物はほとんど焼けて残っていない。[日野富子]はその争いの最中に、敵・味方に費用を貸し出し、大金を稼ぐというあざとさ。しかし、大金を敵に貸して戦を早く終わらせようとした、との見方も。結局、勝利し我が子[足利義尚]が9代将軍になったが、23歳で病死。実権を握っていた富子は、その後の後継者も言いなりにし、関所を作って通る人からお金を取り立て、その税金を自分のものとしたり、財産を70億円ためこんだ。足利家の信頼は薄れ、権力は弱まり、有力な守護大名が実権を握り、戦国大名となっていった。

この頃から各地で戦いがおこり、戦国時代に突入したといわれる。下剋上で、各地の力のある大名が権力を拡大していった。

1470「一向一揆」90年後に[豊臣秀吉]が平定。

1493年~1549年 細川政権の武家政権。京兆専制とも呼ぶ。
7歳の細川政元が父細川勝元の後を継ぐ。

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このページでは、諸説ある中から気になった歴史の流れを掲載しています。

私の知るところ、歴史サイトは、面白く細かい点まで伝えるものと、おおまかに短く伝えるものとに分かれていて、その中間がなかなかありません。
本サイトは、その中間をめざしてまとめていますが、それでも長くなってしまうものですね。

参考文献が不十分な点、事実ばかりではなく、諸説あるうちの一つだという点をご了承ください。