ながれを追った日本の歴史7
時代の流れと 記憶にのこるエピソード重視
南北朝時代 1333-1392
室町時代 1338-1467
96代:後醍醐(ごだいご)天皇 在位1318-1339
1318 即位。南朝(大覚寺統)
1333 鎌倉幕府滅亡 建武の新政始まる。
元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、
1336 「建武の乱」[足利尊氏]に敗れ大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立。
尊氏の室町幕府が擁立した北朝[光明(こうみょう)天皇]との間で、南北朝の内乱が勃発した。
1339 51歳で崩御
97代:後村上(ごむらかみ)天皇 在位1339-1368
光厳(こうごん)天皇 ★北朝初代天皇 在位1331-1333
光明天皇を擁立 ★北朝2代天皇 在位1336-1348
室町幕府 1338~
- 足利尊氏(在位19年)1338年、光明天皇を擁立して征夷大将軍に。室町幕府を開く。弟(足利直義)と二頭政治をする。
- 足利義詮(在位9年)
- 足利義満(在位26年)1397年鹿苑寺(金閣寺)建立。1398年「四職」を制定。
- 足利義持(在位28年)室町将軍の中で最長の在任期間。守護大名が勢力を盛り返す時期に頑張って安定した政権を築いた。
- 足利義量(在位2年)将軍とは名ばかりで義持が執権。
(代)足利義持(在位3年)
- 足利義教(在位12年)義持が後継者を指名しなかったため「くじ引き将軍」と呼ばれる。父義満を手本にする。1440年嘉吉の乱で暗殺される
- 足利義勝(在位1年)病没
- 足利義政(在位24年)1482年応仁の乱の終了直後、慈照寺(銀閣寺)を造営し、完成を待たずに移り住んでいた。
【応仁の乱1467~戦国時代突入~1477】
- 足利義尚(在位15年)
(代)足利義政(在位1年)
- 足利義材(のちの義稙)(3年) 1493年「明応の政変」管領の細川政元に追放される
- 足利義澄(在位13年)
(再)足利義稙(在位13年)義澄を追放し将軍に復帰。
- 足利義晴(在位25年)1558年「北白川の戦い」
- 足利義輝(在位18年)1564年「永禄の変」で松永久秀の陰謀により三好三人衆に襲われ、太刀打ちするが討死する。
- 足利義栄(在位1年)1568年松永久秀と三好三人衆に擁立されたが家臣が頼りなく、31歳ストレスもあり病死。同時、織田信長が義昭を将軍に擁立する。それを名目に織田信長は上洛する。
- 足利義昭(在位19年)1568年織田信長が擁立。1573年信長と対立して追放される
- 1576年毛利氏領国に入り、


このページでは、諸説ある中から気になった歴史の流れを掲載しています。
私の知るところ、歴史サイトは、面白く細かい点まで伝えるものと、おおまかに短く伝えるものとに分かれていて、その中間がなかなかありません。
本サイトは、その中間をめざしてまとめていますが、それでも長くなってしまうものですね。
参考文献が不十分な点、事実ばかりではなく、諸説あるうちの一つだという点をご了承ください。