時代の流れと 記憶にのこるエピソード重視
83代:土御門(つちみかど)天皇 在位1198-1210
後鳥羽天皇の第一皇子
84代:順徳(じゅんとく)天皇 在位1210-1221
85代:仲恭(ちゅうきょう)天皇 在位1221(2カ月)
承久3年(1221年)の承久の乱により、鎌倉幕府は後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇の三上皇を配流し、仲恭天皇を退位させた。
次代皇位継承者には、乱の首謀者である後鳥羽上皇の直系子孫を除外し、後鳥羽上皇の兄・守貞親王(行助入道親王)の三男であり、出家していなかった茂仁王(後堀河天皇)を即位させた。
86代:後堀河(ごほりかわ)天皇 在位1221-1232
1231 [四条天皇]が皇太子になる
87代:四条(しじょう)天皇 在位1232-1242
1232 2歳で即位。[後堀川上皇]の院政
1234 [後堀川上皇]崩御
九条道家とその舅の西園寺公経が事実上の政務を行った
1242 12歳で崩御
88代:後嵯峨(ごさが)天皇 在位1242-1246
1242 空位期間11日を経てドタバタと即位。
九条道家が主導になって朝廷内の政務が行われ。
1246 政治的に対立関係にあった実力者・九条道家が失脚したこともあって、在位4年で皇子の久仁親王(後深草天皇)に譲位し、院政を開始。 上皇の主導によって朝廷内の政務が行われることになった。
89代:後深草天皇(ごふかくさ)天皇 在位1246-1260
北朝(持明院統)かつ今日の皇室の祖。
父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の北朝と亀山系の南朝(大覚寺統)による対立が生じる端緒となった・・・増鏡
90代:亀山(かめやま)天皇 在位1260-1274
南朝(大覚寺統)の祖
文永2年(1265年)には、元のクビライからの国書が高麗を介して伝えられ、鎌倉から送達される。幕府は元に備えると共に、朝廷は神社に異国降伏の祈願を行う。
91代:後宇多(ごうだ)天皇 在位1274-1287
1274 8歳の時に[亀山天皇]が譲位し院政を開始。南朝(大覚寺統)
1274 文永の役(元寇)
1281 弘安の役(元寇)
訴訟制度改革に取り組み、大きな業績を残した。
晩年は真言宗の修行への傾倒が過剰で政治を疎かにしたとも言われる
1287 21歳で皇太子[熈仁親王](伏見天皇)に譲位した。
子の[後醍醐]に親政をさせて、天皇としての威信と経験を積ませ、大覚寺統体制を盤石にするための、意図的な判断だったとする説もある
92代:伏見(ふしみ)天皇 在位1287-1298
1287 後宇多天皇の譲位により即位。北朝(持明院統)
後深草上皇が2年余り院政をし、その後は親政が行われる
書道の「伏見院流」の祖 。後醍醐天皇とともに
訴訟制度改革などに力を入れた。
皇位継承に介入する鎌倉幕府に対して強い不信感を持ち、在世中は倒幕画策の噂が立てられるほどであった。
1289 [後伏見天皇]を皇太子にする
1290 [伏見天皇]暗殺未遂
1298 [後伏見天皇]に譲位して院政。幕府の圧力あり。
93代:後伏見(ごふしみ)天皇 在位1298-1301
1298 [後伏見天皇(14歳)]に譲位して院政。北朝(持明院統)。
幕府の圧力あり。
1301 [後伏見天皇]が[後二条天皇]に譲位。
94代:後二条(ごにじょう)天皇 在位1301-1308
1301 [後伏見天皇]が[後二条天皇]に譲位。南朝(大覚寺統)
1308 [後二条天皇]急死
95代:花園(はなぞの)天皇 在位1308-1318
1308 12歳で即位 北朝(持明院統)
1308 父[伏見上皇]が院政。しかし1313年、出家して院政を停止。
1313 兄[後伏見天皇]が父を引き継いで院政を敷いた。
書道の「花園院流」の祖 。
1317 [伏見上皇(52歳)]崩御
1318 [後醍醐天皇]に譲位
1335 出家し「禅宗」に傾倒した
1348 52歳で崩御