1960年代のスケッチブック

東北地方(北東北)

岩手、秋田、青森の北東北3県。
仙台にお住まいだった当時の太宰様にとって、北東北はさらに奥深い土地だったと想像します。

岩手県

岩手県南バス
日野 RB10P(金沢産業)
岩手県南バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

花巻電鉄
三菱 MAR485(呉羽自工)
花巻電鉄

作画:昭和のバスファン・太宰様

この当時の花巻電鉄はまだ、花巻温泉への鉄道線と鉛温泉への軌道線が健在でした。その後、鉄道、軌道ともに廃止になったり、国際興業グループ入りにより岩手中央バスと合併したりと、大きな変化を迎えることになります。

花巻バス
三菱 R381(呉羽自工)
花巻バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

岩手中央バス
日野 RB10P(金沢産業)
岩手中央バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

日野ブルーリボンのカタログカラーに塗られた貸切バス。

いすゞ BA741P(川崎航空機)
岩手中央バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

路線バスは東京都営バスの旧カラーと同じ。

岩手県北自動車
三菱 MAR491(呉羽自工)
岩手県北バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

赤い3本線の基本カラーを残すデザイン。太宰様は、八甲田山で雪に映えるこの色を眺めたそうです。

岩手急行バス
いすゞ BU10P(川崎航空機)
岩手急行バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

盛岡〜一関間の急行バスを運行するため、沿線事業者の出資により設立された合弁会社。
初期の車両にあった車体裾の細かいラインは、太宰様の描画により、黒色であったことが分かりました。

秋田県

秋田中央交通
三菱 MAR485(呉羽自工)
秋田中央交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

秋田市内は、赤い市営バスと緑の中央交通という識別容易な対比。この緑色のデザインは上品であると太宰様談。

羽後交通
日産で 4RA103(富士重工)
羽後交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

岩手の旧都営と同じく、小田急バスが秋田にいると思った。さすがに犬マークは無し。現在も踏襲されるも、色合いが渋くなってきたのは自己主張か。(太宰様談)

秋北バス
三菱 AR470(新三菱重工)
秋北バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

色の三原色(赤青黄)をほぼ基本色で組み合わせた塗装に最初ビックリした。このような使い方があるのかと。ボンネット時代から変えずに来たデザインと見た。(太宰様談)

秋田市交通局
三菱 R375(呉羽自工)
秋田市営バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

秋田市営バスの貸切カラーは、1980年代までこれをベースにしたデザインを続けていました。前面の赤色面積が多いので、勇ましいイメージがあります。

青森県

弘南バス
三菱 AR470(新三菱重工)
弘南バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

弘前、岩木山対象地域運用なるも、英国の航空会社使用の「スピードバード」デザイン活用したオレンジ色濃淡で、とてもユニークであった。(太宰様談)

十和田観光電鉄
三菱 AR470(新三菱重工)
十和田観光電鉄

作画:昭和のバスファン・太宰様

十和田湖、おいらせ渓流、八甲田山等観光資源に恵まれ、観光需要に対応すべく長尺車を多用。洒落た赤と紺採用のデザイン。(太宰様談)

南部鉄道
いすゞ BR20(川崎航空機)
南部鉄道

作画:昭和のバスファン・太宰様

三八五交通
日野 BN10P(金沢産業)
三八五交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

三八五(みやご)交通は、青森県南部をエリアとするバス、タクシー事業者ですが、このカラーリングは初めて見ました。
1970年に路線バスを南部バスに譲渡、1977年に貸切バスを三八五バスに分社し、現在はほぼタクシー専業になっています。

下北バス
いすゞ BC151BP(川崎航空機)
下北バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

下北バスと言えば、京阪バス風の前面デザインが思い浮かびますが、その前には、このような小田急バス風のデザインだったことを初めて知りました。そういえば、側面のラインは、これとは違いますが3本線をベースにしていたので、このデザインを発展させたのかも知れません。おでこの細線はそのまま引き継がれます。

青森市交通部
いすゞ BB341P(新三菱重工)
青森市交通部

作画:昭和のバスファン・太宰様

赤や山吹色、緑色を使いながら銀色の屋根という色使い。公営交通にしては派手ですが、色の組み合わせとしては陳腐な印象。戦後の多色化の初期現象でしょう。

八戸市交通部
三菱 AR480(新三菱重工)
八戸市交通部

作画:昭和のバスファン・太宰様

今も続いている八戸市営バスのカラーデザインです。

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80s岩手県のバス“その頃”