始まりは九州から・・・九州南部
昭和のバスファン・太宰様の塗装再現図の掲載は、まず熊本県から始めます。
これは、描画のきっかけになったのが熊本県の九州産交だったから。(目次ページ参照)
バスの進化は西から進んだと言われますが、そんなことも考えながら、西から東へ、ページを進めてまいります。
熊本県
熊本電気鉄道
いすゞ BU10P(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
熊本市内を走るバス事業者は多くありますが、鉄道兼業の熊本電鉄も、その一翼を担います。
堅実さを表すようなグレーと紺のカラーリングの中に、赤い細線がポイントとなります。
熊延鉄道
日産 4RM103(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
熊延(ゆうえん)鉄道は、その名の通り熊本と延岡を結ぶ予定で設立された鉄道会社です。
1964年に鉄道が廃止されるとバス専業となり、熊本バスに名前を変えました。
熊本市交通局
いすゞ BC141P(川崎航空機)
作画:昭和のバスファン・太宰様
市電を運行しつつ、路線バスも運行する熊本市交通局。青緑系をベースとしているのは、公営交通らしい配色。
九州国際観光バス
三菱 MAR470(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
別府から九重山麓をぬい阿蘇につながる「やまなみハイウエイ」開通の際に誕生したバス事業者。沿線各県の事業者が出資しての合弁会社です。斬新な観光乗合バスで多数の利用者がおり、太宰様も幾度か利用したそうです。
大阿蘇観光バス
日野 RC10P(帝国自工)
作画:昭和のバスファン・太宰様
九州産業交通系の貸切バス専業会社。車体全体に大きくオー字を描き阿蘇外輪山をイメージさせたユニークなデザインです。
車両自体も視野拡大窓や1枚扉、冷房装置を備えた意欲的なものです。
鹿児島県
鹿児島交通
三菱 MAR470(三菱重工業)
作画:昭和のバスファン・太宰様
鹿児島交通は、三州自動車(初代)時代のカラーを継承。東京の京王と同じデザインです。
この後、はとバスと同じ茶色の濃淡をベースとしたデザインに変ります。
林田産業交通(林田バス観光)
日産デ 4RA103(富士重工)
作画:昭和のバスファン・太宰様
側面や後面に、霧島国立公園・林田温泉の名称を入れ、観光誘客に努めています。
同じエリアで複数の事業者が競い合う九州では、このような手法で自社をアピールする事業者が多く見られます。
鹿児島市交通局
いすゞ BA741(富士重工)
作画:昭和のバスファン・太宰様
公営交通なので地味な色選択。描画に当っては新しい車両やデラックスな車両を選んで描いたと思われる太宰様の塗装再現図ですが、鹿児島市営に関しては、ちょっと地味な車種選択に見えてしまいます。
西桜島村交通部
三菱 MAR470(三菱重工業)
作画:昭和のバスファン・太宰様
桜島には公営バスがありました。左側面にも非常口のような扉があります。
南薩鉄道
三菱 R370(新三菱重工業)
作画:昭和のバスファン・太宰様
鹿児島本線の伊集院駅と枕崎とを結んでいた南薩鉄道では、西鹿児島と枕崎を短絡するバスも運行していました。書籍等でもほとんど見たことのないバスですが、ブルーリボンカラーによく似たデザインだったことが分かりました。
1964年には合併により鹿児島交通になっています。
宮崎県
宮崎交通
三菱 MAR470(三菱重工業)
作画:昭和のバスファン・太宰様
岩切章太郎は宮崎観光の父と称され、1960年代の新婚旅行ブームで一大コンツエルンに成長。車体デザインは濃紺主体で前後対称の塗分けで長い海岸線に映えた。(太宰様談)
大分県
亀の井バス
日産デ 6RA110(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
別府温泉の地獄巡り遊覧バスを始めたバス会社として知られます。創業者「油屋熊八」が温泉の総合サービス事業展開しています。
日田バス
日野 RB10P(金沢産業)
作画:昭和のバスファン・太宰様
亀の井バスの子会社で、同系カラーを採用。
大分バス
日野 RB10P(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
日野自動車のカタログカラーであるブルーリボンカラーを採用。
このカラーリングは、九州から北海道まで、各地で類似デザインを見る事が出来ます。
大分交通
三菱 MAR471(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
同じ大分で、大分交通の方は緑色系のブルーリボンカラー。細かい赤線の”ヒゲ”がこちらはおでこにあります。
東九州自動車
三菱 MAR470(西日本車体)
作画:昭和のバスファン・太宰様
東九州自動車は、九州横断道路の開通を機に、大分県知事の提唱で、地元バス会社4社が共同出資で1962年に設立した貸切バスの合弁会社。しかし、1970年には解散したそうです。(注1)