ジョルジュ・エネスコ Georges ENESCU (August 19,1881 - May 3 or 4,1955)
ルーマニア人ヴァイオリニスト・ジョルジュ・エネスコは20世紀で最も 音楽的天分に恵まれた芸術家の1人である。彼はヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストであり ながら同時に傑出したピアニストでもあり(アルテュール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein) にも絶賛されたほどである)、また作曲家であり、指揮者でもあった。彼は、た った一度のスコア・リーディングでワーグナーのオペラを暗譜してしまうほどの記憶力の持ち 主だった。
エネスコは4歳からヴァイオリンを始め、やがてウィーン楽友協 会音楽学校に入学し1888年から1893年までヴァイオリンをヘルメスベルガー (弟) (Josef Hellmesberger ) に師事、音楽理論と作曲をロベルト・フックス(Robert Fuchs) に、ピアノをエルンストに、室内楽をヘルメスベルガー(兄)に 就いて学んだ。1889年にはヴァイオリニストとしてデビュー、音楽学校を離れる頃には 既に円熟した演奏家として認められていた。1895-99年までは パリ音楽院で、ヴァイオリンをマルシック(Marsick) に、作曲をフォーレ(Faure) とマスネー(Massenet) に、和声法をトーマとデュポワに 就いて研鑚を積んだ。彼はヴァイオリンとピアノに加え、チェロとオルガンも 非常に熟達させた。
作曲家としては、15歳のときパリの演奏会 で作品が取り上げられ、18歳までに3つの交響曲を書き上 げていた。その後、室内楽作品1曲、ヴァイオリン協奏曲1曲、オペラ「OEdipe」、3つの円 熟した交響曲と、2曲の未完成曲(ソロ・テノールと女声合唱のための作品を含む)を残した。 1898年には彼自身のヴァイオリンとコルトー(→写真)の ピアノで自作のヴァイオリンソナタ1番を初演。(同年、ブカレストにて指揮者デビュー。) 1900年にはヴァイオリンのジャック・ティボー(Jacques Thibaud)とエネスコのピアノでヴァイオリンソナタ2番を初演した。また彼の チェロソナタはカザルス(→写真 )によって演奏された。このように同世代の多くの一流音楽家達 がエネスコの作品をこぞって賞賛した。エネスコの 音楽はおもには新ロマン派的であるが、ヴァイオリン・ソナタ第3番とオペラ 「OEdipe」には4分音が試用されている。
エネスコのスタンダードなレパートリーの解釈は模範的であり、ピアノ のエドゥアルト・リスラー(Edouard Risler) とパリで行ったベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全曲演奏会は、 偉大な音楽イベントのひとつとして注目を集めた。彼は「ヴァイオリンの歴史 をたどる」曲目による演奏会を16回行った。エネスコは室内楽の分野 でも活動的で、フランスではブラームスの室内楽曲について第一人者の1人で あった。ルイ・フルニエ、カセルラとピアノトリオを、1904年にはエネスコ四重奏団を 結成しており、第2次世界大戦中にはブカレストにおい てベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を演奏した。エネスコは40代前半までヨーロッパとイギリス以外は演奏旅行をしなかったが、 1923年1月2日にアメリカで、ヴァイオリニスト・作曲家・指揮者としてフィラデルフィア交響楽団と デビューを果たしてからというもの、合衆国内でもたいへんな人気を得た。1930年代終盤 にはニューヨーク・フィルの客員作曲家兼客演指揮者として年間3シーズンをつとめ、 1939年ニューヨークの万国フェアでルーマニア音楽のコンサートを数回行った。
彼は教師としても意欲的で、パリのエコール・ノルマル音楽院・フォン テーヌブロー音楽院、シエナのアカデミア・キジアーナで教えた。第2次世界大戦中アメリカに移って からも、ニューヨークのマンネス音楽学校やイリノイ大学で教えた。彼のヴァイオリンの生徒には、 フェラス、ギトリス、グリュミオー、メニューイン(Yehudi Menuhin) などがいる。
1950年1月21日、彼の最後のコンサートがニューヨークで 行われた。この日彼はヴァイオリニストとしてバッハの2つのヴァイオリンのためのコンチェルトを メニューインとデュオ演奏し、また自作のヴァイオリン・ソナタ第3番をメニューインのパートナー としてピアノで演奏したばかりでなく、自作のルーマニア狂詩曲の指揮も行った。このコンサートの後、 彼は引退し、第二の故郷パリで世を去った。
エネスコののヴァイオリンについてカール・フレッシュ(Carl Flesch) は、「ジプシーの向こう見ずさと洗練された芸術性が結合し実に魅力的である」と述べ た。彼の「エネスコ・ヴィブラート」と称されるユニークな音色 は幅広く豊かで、マルク・パンシェルル(Marc Pincherle) が「あたたかく、情熱的で、ときおり背景にわずかなしわがれ声が聞こえ、どこか哀しく 奇妙な動きがある」と表現している。メニューインはこのユニークな音楽家 エネスコについてこう書き記した。「彼の作り、教える音楽には輝き、深い人間性、高潔さ、寛大 さが備わっている。私は彼の顔−−知る限り最も美しく情緒豊かで、演奏する音楽の雰囲気を反映し、 静かな叙情性あるいは恍惚と苦痛に満ち、そして常に紳士的である、彼の顔−−を見ているのが非常 に好きである。エネスコは私が人を判断するための絶対者であり続けるだろう。」
彼の残したバッハの無伴奏ソナタ・パルティータ全曲の録音は、勉強に裏付けられた深い解釈と 彼の音楽家としての使命感、説得力に満ち満ちている。
エネスコのバッハ無伴奏ソナタ&パルティータを 初めて聴いたとき、私は大きな衝撃を受けた。それまでこの曲に抱いていたイメージとかけ離れていた からである。それは音楽というよりある人間の人生の物語のようだった。決して美談ではなく、愛と苦悩 と肉の世界がグロテスクなほど生々しく描かれていた。圧倒された。その世界に引きずり込まれて戻って こられない気がした。これも音楽なのだ、こんなすごい力を音楽は持っているのだ…。
「表現としての音楽」を考えるきっかけとなったこの録音は、一生私のバッハ・ライブラリーの筆頭にあげられるだろう。