2016年6月12日作成
津村ゆかり
※このページはアーカイブページです。最新バージョンは こちら
GC/MS、LC/MSなどの用語について、当サイトの方針とその根拠をお知らせします。
分離分析と質量分析が複合した分析法または装置を表すためにハイフンを用いるかスラッシュを用いるかについては、いくつかの異なる立場があります。
国際純正・応用化学連合(IUPAC)は2013年の勧告[1]で、ハイフンもスラッシュも分析法・装置双方の意味で使用できるとしています。これに対して日本質量分析学会(以下MS学会)は2009年刊行の用語集[2]で「ハイフン:装置、スラッシュ:分析法」の使い分けを定めています。日本工業規格(以下JIS)[3]の「JIS K 0136:2015 高速液体クロマトグラフィー質量分析通則」及び「JIS K 0214:2013 分析化学用語(クロマトグラフィー部門)」も同様の使い分けを定めています。
このように国際的なルールと日本国内のルールが異なっているため、当サイトの方針を明示しておくものです。私の方針はIUPAC・MS学会・JISのいずれのルールにも適合しています。
複合した分析方法を「hyphenated techniques」と呼ぶ通り、ハイフンで結ぶ表記法は歴史が長く、広く普及しています[1]。
また、ハイフンを使うとGC-MS/MSやLC-MS/MSをすっきりと表現できます。タンデム質量分析をMS/MSとスラッシュで結んで表すのは、IUPACの2013年勧告[1]でも定められている合意された表記法です。これとクロマトグラフィーの結合を表す場合、
LC-MS/MS
と書けば装置の形状も含めすんなりと理解できる表記となります。これに対して
LC/MS/MS
の表記は、LCとMSとMSが等価に並んでいるかのような印象があります。三連四重極型の質量分析計ならまだ良いですが、イオントラップ型の場合は最初の/と2番目の/の性格がかなり異なるため、私だけかもしれませんが、違和感を覚えます。
また、文字としてのハイフンは、ファイル名に使えるというメリットがあります。文書の題名の全部や一部をファイル名にする場合、スラッシュが入っているとエラーになります。ハイフンにはそのような面倒がありません。
さらに、入力する時にも「ー」と同じキーですから(私の場合は)打ちなれていて負担が少なく感じます。
いっぽう、ハイフンを使うデメリットは、次に述べる「スラッシュを使うメリット」が得られない、という点にあると思います。
クロマトグラフィーにも質量分析にも様々なバリエーションがあります。例えばガスクロマトグラフィーと電子イオン化質量分析を組み合わせた分析法は、スラッシュを使えば
GC/EI-MS
と表すことができ、すっきり表現できます。
ハイフンを用いる場合、
GC-EI/MS
という表記はあまり行われておらず、
GC-EI-MS
となります。この例に限らず、ハイフンを使うと延々とハイフンが続く場合があり、どこが区切りかわかりにくくなります。これは、MS/MS以外の複雑な技術を示す際には主にハイフンが使われているためです。
いっぽう、スラッシュを使うデメリットもあります。
先に述べたとおりスラッシュをファイル名に使用するとエラーになります。また、米国英語の規範的スタイルを示した「シカゴ・マニュアル」[4]では、スラッシュは「ハーキュリーズ/ヘラクレス」のように選択肢を示したり、「ジキル/ハイド」のように「及び」を表したり、「毎」と「÷」の意味もあるそうです。GCとMSをスラッシュでつなぐ用法は、これらのどれにも当てはまりません。
いっぽう、ハイフンでつなぐ用法は「シカゴ・マニュアル」に反しないようです。
MS学会の用語集及び最新のJISでは「ハイフン:装置、スラッシュ:分析法」の使い分けを定めています。そのメリットは、用語委員会の2014年度事業として通常総会に報告されたコメンタリー[5]において「装置と分析法を瞬時に区別できる表記法」などと説明されています。
ただ、私の個人的なニーズとしては、略語で装置と分析法を区別する必要性はあまりありません。GC、LC、MSのいずれの略語も装置と分析法の意味を持ちますが不便を感じずに使用しています。「GCで分析した」のように区別する必要がない文も多いですし、文脈から明らかな場合もあります。区別が必要ならば「GC装置」「GC法」のように書けます。
これに対して使い分けを行うデメリットとしては、GC-MSとGC/MSのように視覚的な違いが小さい語に異なる意味を持たせることによる、書き手・読み手双方への負担が挙げられると思います。書き手にとっては誤記の危険性が増し、また、読み手の中で専門知識を持たない人に対しては「GC-MSとGC/MSが混在しているが、これは誤植ではないか?」と無用のストレスを与える可能性があります。
また、前の項目で書いたとおり、ハイフンには「LC-MS/MSと書ける」、スラッシュには「GC/EI-MSと書ける」という良さがありますが、それぞれ「LC/MS/MS」「GC-EI-MS」という表記を併用することになると、ここにメリットを感じて選んでいる書き手は失望するでしょう。
関連分野における最近の英文論文誌でどのようにハイフンとスラッシュが使用されているか調査を行った結果、ハイフンがかなり優勢であると考えられました。
その中で学術雑誌「Rapid Communications in Mass Spectrometry (RCM)」は強力にスラッシュの使用を推し進めており、執筆者ガイドライン[6]の中で、「質量分析に関する刊行物で避けるべき用語と略語」[7]という2014年刊行の文書に従うよう求めています。この文書ではGC-MSもLC-MSも「避けるべき略語」とされています。当然使い分けはできませんので、GC/MSとLC/MSを装置の意味でも使うことになります。RCMに掲載されている最近の論文をチェックした結果、いずれもこのガイドラインに従っていました。
ただし、RCMに掲載された論文にもその他の雑誌に掲載された論文にも共通しているのは、一つの文章の中でハイフン、スラッシュ、スペースなどを使って略語の意味を装置と分析法に振り分けているものは見当たらないということです。逆に、一つの略語を装置と分析法の両方の意味で使っている論文はいくつもありました。
より詳細な調査内容はブログ記事 GC-MSかGC/MSか(LC-MSかLC/MSか)(8) に書いています。
国内の状況は、繰り返し述べたとおりMS学会用語集と最新のJISが「ハイフン:装置、スラッシュ:分析法」の使い分けを定めています。
近年刊行の書籍では「LC/MS, LC/MS/MSの基礎と応用」(2014年)[8]と「LC/MS, LC/MS/MSのメンテナンスとトラブル解決」(2015年)[9]があります。どちらの書籍もJISと同じルールのみを掲載し、IUPACの2013年勧告には触れていません。これらの書籍は日本分析化学会液体クロマトグラフィー研究懇談会が編集作業を行っていますので、研究懇談会内で合意された方針と考えられます。
私は初学者向けの書籍 「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み」 などを刊行しており、当サイトはその追加情報提供をになっています。そのため、単なる個人サイトに留まらない責任を感じながら運営しています。不適切な用語は避けたいと考えています。
しかし、MS学会用語集とJISの規定にそのまま従うと、(1)GC-MSとGC/MSのように視覚的に類似した語に異なる意味を持たせることによる読み手(規定を知らない)への負担、(2)国際的な論文誌で主流となっている使われ方とは異なる、の2点が不都合だと感じます。
そこで、GC/MSとLC/MSの略語だけを分析法の意味で使うことにして、装置を表す場合は「GC/MS装置」「LC/MS装置」とすることにしました。逆も可能ですが、例えばGC-MSをガスクロマトグラフ質量分析計と解釈する場合、分析法を表すには「GC-MSによる分析」など若干長い表記になってしまいます。また、私がブログなどで書く際には分析法の意味で使用する場合が多いこともスラッシュを選んだ理由です。
さらに、雑誌RCMがGC-MSとLC-MSを「避けるべき略語」に指定[7]したことも影響しています。現状ではハイフンを使用する論文の方が多いのですが、それらの論文の中には、例えばGC-MS以外にランダムにGC MSやGCMSも出現するような、用語に対して無頓着なものも見受けられました。それに対してRCMに掲載された論文は用語への注意が行き届いており、今後もこの雑誌が質量分析に関わる用語の標準化を牽引していくのではないかと感じられました。
こまかいことのように見えるかもしれませんが、「LC/MS装置」でなく「LC/MSの装置」とすべきではないかとも考えました。
「JIS K 0136:2015 高速液体クロマトグラフィー質量分析通則」では液体クロマトグラフ質量分析計を単に「LC-MS」でなく「LC-MS装置」と表記している箇所が多いです。これが正式に認められた表記法と解釈すれば「LC/MS装置」という書き方はグレーゾーンになってしまうかもしれません。
しかし、日本分析化学会液体クロマトグラフィー研究懇談会編「LC/MS, LC/MS/MSのメンテナンスとトラブル解決」[9]ではLC-MSと同じ意味の言葉として「LC/MS装置」が使用されています。また、「JIS K 0123:2006 ガスクロマトグラフィー質量分析通則」は現時点で使い分けに対応しておらず、「GC/MS装置」「GC/MS法」の語を使用しています。
「LC/MS装置」も「GC/MS装置」も意味が誤って伝わる懸念はありませんので、これらを採用することにしました。
ブログには11回にわたって記事[10]を書きました。より詳しい解説はそちらを参照してください。よろしければ感想・ご意見・関連情報などをコメント欄にお書きください。どの記事のコメント欄に書いていただいても構いませんが、全般的な内容なら最後の記事 (11) にお願いします。メール でも結構です。
科学技術は日々進歩しています。また、論文の現状調査などは別の方法で行えば別の結果が出るかもしれません。ここに記した方針は、状況に合わせて将来改善していく可能性があります。今後も情報収集をしていきます。
[1] 国際純正・応用化学連合(IUPAC)の勧告(2013年):K. K. Murray, et al., Definitions of terms relating to mass spectrometry (IUPAC Recommendations 2013). Pure Appl. Chem., 85(7), 1515-1609 (2013)
[2] 日本質量分析学会「マススペクトロメトリー関係用語集(第3版)」(日本質量分析学会, 2009)
ウェブ版も公開されている。「マススペクトロメトリー関係用語集第3版(WWW版)」
[3] 日本工業規格(JIS)の各規格は JIS検索(日本工業標準調査会) で無料閲覧可能。
[4] 「シカゴ・マニュアル」については、IUPACの用語プロジェクトを支援するためのインターネット上の議論が行われたと考えられるサイト Mass Spectrometry Terms の中の Slashes and hyphens で解説されている。このウェブページでは他の資料についても詳しく解説されている。
[5] 吉野健一「ハイフンとスラッシュの使い分けについて(コメンタリー)」 J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 62(5), 61-64 (2014)
2015年6月開催のMS学会の通常総会において、用語委員会の2014年度事業として「IUPAC Recommendations 2013で定義等が変更された用語の改訂定義文とその解説を学会誌に掲載した」と報告された(「質量分析」63巻5号の会告)。その解説の一つがこのコメンタリーと考えられる。
[6] RCMの執筆者ガイドライン Author Guidelines この中の「Use of abbreviations」の項において「全般的にはIUPACのガイドラインに従うこと」とし、それに加えて[7]の文献に従うよう強く勧めている。
[7] RCMが執筆者に対して従うように求める「質量分析に関する刊行物で避けるべき用語と略語」:D. A. Volmer, Terms and acronyms that should be avoided in mass spectrometry publications Authors. Rapid Commun. Mass Spectrom., 28(17), 1853-1854 (2014) 閲覧・ダウンロードは有料。48時間レンタル6米ドルから
[8] 中村 洋(監修)日本分析化学会(編)「LC/MS, LC/MS/MSの基礎と応用」(オーム社, 2014)
[9] 中村 洋(企画・監修)日本分析化学会液体クロマトグラフィー研究懇談会(編)「LC/MS, LC/MS/MSのメンテナンスとトラブル解決」(オーム社, 2015)
[10] ブログの記事のシリーズ名は「GC-MSかGC/MSか(LC-MSかLC/MSか)」、各回の大まかな内容は次のとおり。
(1) MS学会とJISの立場
(2) IUPACの2013年勧告
(3) IUPACの2013年勧告の冒頭の特記事項
(4) IUPACの質量分析用語プロジェクトを支援したとみられるウェブサイト
(5) 「シカゴ・マニュアル」
(6) 私の個人的な立場(好みで言えばハイフン派)
(7) 「Slashes and hyphens」より、各学術雑誌の立場
(8) 英語論文誌での用語調査
(9) MS学会が使い分けを決めた理由の推測と今後の予想
(10) JISが使い分けを採用したことにより起こりうる事態予想
(11) まとめ「駆逐してやる」
管理者:津村ゆかり