[HOME] > [シルクロード旅行日程表]

旅行記 1ページ

8/25(木) 成田~西安~ウルムチ         

<< BACK 

NEXT >>

 
ウルムチ北京南路の夜景


うわ~ 成田が凄い混雑! こんなに混んだ成田は初めてだ!!

 成田発は09:45なので集合時間は2時間前の7:45,日暮里発6:30のスカイライナーに乗車。いつもよりいささか早く家を出なければならない,朝食抜きで6時に家を出る。
 台風11号が近づいていて雨模様という天気予報であったので今回はじめて空港宅配便を使ってみた。前日の午後,集荷に来てくれるので大変便利だ,インターネット予約だと出発宅配1950円,往復宅配3450円である。ちょっと贅沢の感無きにしも非ずだが,今朝のように雨模様だったりすると”らくちん”だし,気分的にも快適,次回からも大いに利用しようと思う。

 今回のツアーの参加者は14名,程よい人数だ。数えてみると12名しかいない,お二人が先行していて,ウルムチで合流するとのこと。各自チェックイン後,皆が集まったところで簡単な説明を受け,それぞれ手荷物検査~出国手続きに向かう。その前に,何がしかを”元”に交換しようとしたが,添乗員のN.Oさんが,「成田はレートが悪いから,向こうについてからの方がいいですよ」との助言があり,前回旅行時の小銭元があるのでそうすることにした。
 げっ! 手荷物検査に長蛇の列が出来ていてしかも全然進まない! 山手線の池袋駅などでよくやっているホーム入場規制みたいなもんで,イミグレの列が短くなるまで手荷物検査もストップさせている。わたしの後ろの人も「こんなの初めてだ!」とぼやいていた,シーズン的にも時刻的にも盆正月みたいなことはない筈なんだが?原因不明。

大混雑の出国カウンター

 2005年8月25日,私達ツアーのメンバー12人と添乗員のN.Oさんを乗せたJL609便は55分遅れで
10:40 成田を離陸(乗客は団体客が中心でほぼ3割程度の入り)。
 このツアーは中国新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠の南側いわゆるシルクロード西域南道まで足を伸ばす15日間の旅で,少数民族のウイグル人の生の生活やらパミール高原の入り口,まる一日かかるという砂漠横断など・・・・・なかなか体験できない場所を訪れるので,前々から行きたいと思っていて,ツアーの予定が出た4月に早々と申し込んだが,催行決定が遅れてやっと旅行予定日の4週間前くらいに,何とか最小人数10人をクリヤーして行ける事になった。おかげさまで14人という理想的なメンバー数での旅を楽しむことが出来る。
 
 12時少し前,飲み物(わたしは,缶ビールを所望)とおつまみが運ばれ,次いで昼食が運ばれてきた。朝食抜きなのでお腹がペコペコ,全部平らげる。
 メニューは   白身魚のフライカレー風味ソース,生ハム洋梨添え+帆立のマリネ+ポテトサラダ,フレッシュサラダ+オニオンサラダ,シークワーサーゼリー,ロールパン+バター,コーヒーor紅茶or緑茶

機内食(わたし達には朝食兼昼食となった)

西安空港は,綺麗になったよ~! 

  時計を1時間遅らせ現地時間に合せる,14時20分西安咸陽国際空港着。入国審査の手前で自動体温計に顔を近づけて体温チェック,中国人専用カウンターもOKだよと手招きされて無事入国。
 成田は雨模様だったが,こちらは高曇り,気温は31℃だというが暑さはそれほど感じない。6年前に来た時とはターミナルが一変している,以前は国内線への乗り継ぎには,重いバッグをひきずって2~300m程離れた国内線ターミナルに移動したものだが,いまは同じ建物内に収まり空港内も明るく近代的になった。

西安咸陽国際空港(天井はトラスアーチ構造で最近建設した空港ターミナルビルはどこも同じ形式のようだ)
空港ターミナル1Fのレストラン

 ウルムチへの乗り継ぎ便まで5時間ほどあるので,西安ガイドの単さん,西安~ウルムチガイドの朱さんの案内で咸陽博物館に向かう。
 空港から15分ほどで着く。車窓から漢代や唐代の陵墓が幾つも見える。空港への帰り道,「周の文王の墓」という表示板が見えたが,わたしの知識では,ちょっと地理的にいって,この地にあるというのが納得できない。
 マイクロバスの中で単さんが,注意事項をひとつ「大きな額面の人民元札は,町中の屋台や露天商では使わないこと,お釣りが偽札で戻ってくることがたまにある。デパートやホテル,レストランなどでくずしておくと良い」とのアドバイスあり。

 咸陽は,西安の北西28kmに位置する秦の都だった場所(現在の咸陽は秦代の咸陽とは違う)。すぐそばを渭水がゆったりと流れている。
 思えば,王維が「渭城朝雨軽塵 客舎青青柳色新 勧君更盡一杯酒 西出陽関無故人」と詠った昔から,咸陽はシルクロードへ旅立つための場所であった。

 この地はまた幾多の歴史を刻んできている。徹底した法治主義に基づく強国策で秦を戦国の七雄中最強の国家へと変貌させた商鞅,秦始皇帝は咸陽で指揮をとり奮闘十年,六ケ国を統一し多民族の中史集約封建王朝を建立しこの地を全国の政治・経済・文化・軍事の中心とした,荊軻が咸陽宮より地図を献じ秦王を刺すことを計る,宦官趙高が秦の二皇帝を殺し,項羽が咸陽を三ケ月も延焼させる。

 咸陽博物館は明代の孔子廟を修復して建てられ,1962年に正式に開館した。
秦の始皇帝は咸陽に宮殿を建て,六国の王族たちをその中に軟禁したという。。また二万世帯の六国の貴族・金持ちも咸陽に移した。
 漢代には咸陽は西北に通じる交通要所であると同時に前漢の王室の陵墓区でもあった。前漢の11皇帝のうち9皇帝が咸陽に葬られ,その陵墓の付近には多くの皇帝親族,大臣、将軍の陪塚もあり咸陽の地上地下には秦・漢代の文物が数多く残されている。
 咸陽博物館にはこれらから出土した主に秦・漢代の文物が多く展示されている。兵器,農具などの生産用具から都市インフラとしての下水管やレンガ・瓦,青銅器の壷や楽器,貨幣などなど当時の生活が推測できる。
 必見は別棟に展示されている,咸陽市の東約25km,高祖劉邦の陪葬墓のひとつである楊家湾漢墓から1965年に発掘された劉邦の兵馬俑(へいばよう)。約2,500体の兵馬俑は,騎馬俑と兵俑の大小2つのグループに分けられる。兵士の丈は40cmくらいしかないが彩色がわずかに残っている。像は型で造ってあるのか同じ顔と姿勢のものが多く見られる。6年前に始皇帝の兵馬俑を見学した時ほどの感動はなかったが,素朴な雰囲気がいっぱい。(ここは写真撮影禁止)

 
きらびやかな門 幾何学的模様を施した瓦
模様を施した下水管 劉邦の兵馬俑(絵葉書より)

  渭水
 咸陽博物館門を背にして300mほど歩くと渭水の畔に出る。渭水は黄河最大の支流で流路長800km。
 杜甫の『哀江頭』という詩に以下のようなくだりがある。

   清渭は東流し、剣閣深し
   去住彼此 消息無し

 杜甫が安史の乱で破壊された都にあって,遙か蜀(四川省)の地に逃れた玄宗皇帝と離ればなれになって,その消息が分からないと歎いている一節であるが,この中に「清渭」という言葉があり往時の渭水の流れは清く澄んでいたのであろう。
 だが,いま眼前に広がる渭水は,河川敷が工事中のためもあってか清い感じは全くないむしろ汚い。
堤防の内側には,すいか・瓜などの果物,肉,麺,慢頭,雑貨,ネギ入りお好み焼きなどを並べた露天が建ち並んでいるが,お客はまばらと言うより殆ど居らず,うらさびしげな情景。傍らの木陰や軒下では大勢の人が中国将棋や麻雀やトランプに興じている。仕事がないのか,もう終業したのか?

渭水 麻雀やトランプに興じる人々

 再び空港に戻って,17時30分:空港レストラン(silk road restaurant)で早めの夕食をとる。
メニューは,酢豚・チンゲン菜炒め・冬瓜の炒め物・肉団子と野菜炒め・鶏肉とピーナッツ炒め・白菜と野菜炒め・ご飯・ラーメン・すいか    炒め物オンパレードのはじまり,始まり~

 ウルムチへ向けて出発 

 18:50 チェックイン 
セーフティチェックは,厳しいようでもあるしいい加減でもある。ここでもパスポートを提示しなければならない,ミネラルウォーターは,係官の前で飲まされた人もいるかと思うとわたしなんか2本もリュックに入れてあるのに一切お咎めなし。搭乗券には,チギレ片が2枚も付いていて,ゲートと機内入り口の2箇所でモギラれる,そんな必要はないと思うんだけど?
 乗機は定刻20:00に離陸。
離陸後すぐにヌードルと紙箱に入ったパンが運ばれてきた。さっき夕食を摂ったばかりなのであまり食欲はないが,”残すのもったいない”の世代!結局ヌードルだけを平らげてしまった。
23:15 定刻より早めにウルムチ着。上空からみたウルムチは窓外いっぱいに明かりがひろがる大都会である。
 スルーガイドの王さんが出迎えてくれている(王さんはこれから14日間最終日までお世話になる)。
空港から市内までは約30分(新しい道路が出来る前は50分もかかったと言う)。00:10 ホテル着。シャワーをさっと浴びて1時近く就寝。長い一日でした。

荷物受取り待合室内で盛んに客引きする旅行社の面々,午後11時を過ぎてるのに頑張っている。    ウルムチ空港
環球大酒店

<< BACK 

INDEX

PAGEーTOP

NEXT >>