プラハすり事件顛末記
昨年(2002年)9月26日から10月8日までドイツ、チェッコ、オーストリア旅行へ行ってきましたが、旅の最終段階に近いところですごい経験をしました。
お恥ずかしい話ですがスリに狙われてすっかり取られてしまいました。 でもそのおかげと言ってはおかしいですが、列車に乗り合わせたチェッコ市民の暖かい親切を受けるという感動的な経験もしました。 スリの手口などを紹介し、今後、各地を旅行される方々のご参考になればと思います。 デュッセルドルフ、フランクフルト、ライン下り、ロマンティック街道、(ハイデルベルグ、ロー テンブルグ)、ノイシュバンシュタイン城、ミュンヘン、プラハと楽しんで旅行もウイーンでの 3日間を残すだけとなりました。 |
敵ながらのあっぱれのチームワークと早業
ところがらプラハからウィーンへ向う列車に乗る際、集団スリにパスポート、財布、列車の乗車券、クレジットカード 等まとめて取られてしまいました。スリと言うより強奪されたと言った感じです。 ちょっと油断していた感は有りますが、気が付いて真っ白になっているうちに列車が発車してしまい、それからが大変!お金はないし、切符はないしパスポート無しで国境は越えられないし、車掌は英語が通じないし・・・・・・。 しかし、「地獄に仏」とはこんなシーンを言うんですね! まさに仏様に会った感じでした。 |
薄暗いホルシェヴィチ駅構内 | このホームから乗車する際,スリに遭遇 |
チェコ市民の親切に感動!
向いの席のチェコ女性(ペトラ・サスコバさんといいます)が通訳をしてくれて次の特急停車駅とプラハへ戻る列車の時刻を知るとともに、携帯電話で日本大使館の電話番号を調べてくれて、つないでくれました。ちょうど金曜日の午後4時過ぎのことでそのとき連絡がとれていなければ、月曜日まで待たなければ何も出来ないところでした。 うわっ 今晩のホテルが満員だ! 帰りの列車は日本で言う「快速」,およそ2時間くらいで午後8時過ぎプラハ中央駅に到着した。無賃乗車ではらはらしていたのだが,検札に来た車掌がこれまた英語が通じず,これが帰って幸い何も言わずにパス。 たった1日だけのロスでチェコを出国できた!
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お世話になったT1等書記官(水害のため大使公邸仮住まいから移転したばかりの部屋で) |
たった1日のロスだけで済んだなんて,幸運でした。
親切だった列車内のチェッコの人々、大使館員、特に列車内で途方に暮れている小生に「YOU
ARE ALIVE!」と言って元気づけてくれたり携帯電話を使わして下さったサスコバさんには感謝の念で一杯です。
帰国してとりあえずサスコバさんとボウレックさんにはE-mailでお礼と無事帰国できたことを報告しましたが、二人とも「あなたやあなたの友人のチェッコに対する印象が悪くならない事を祈ります云々」という趣旨の返事を頂きました(お借りしたお金はお断りをして相当分をユニセフに寄附させていただきました)。
大使館の人の話では、プラハのスリは、他の国からいわゆる”ロマ”と呼ばれているジプシーが流れ込んで悪いことをしているとのことです。この1年間で扱ったスリ被害事件は133件(3日に1件強)キャッシュの被害だけで800数十万円とのことです。
後日談 | 帰国してから旅のプロに聞いたのですが,大使館の人がそんなに親切にしてくれることはまずは無いということでした。 水害のため日本人旅行客が殆どいなかったという事もあるかもしれませんが,本当に人の親切を身にしみて感じた旅でした。 |
プラハ駅のプラットホームは低く、列車の乗降口が狭くて高い階段を重いトランクを押上げるようにして乗車しようとしている時、スリ団の一人が手伝う振りをして、トランクを引張り上げていきました。ちょっと変だと感じて、取戻そうとしても、荷物を高い位置にして、奥へ奥へと進んでいきます。 観光のときは貴重品は持ち歩かない 移動のときは,常に周囲を警戒するしかないか?
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