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1/25 国東お寺めぐり

 雲が低く垂れ込めた別府湾口にある大分空港に33年ぶりに降りる。ゲートを出てからe-mailでコンタクトしていた竹田市観光課の渡部さんに電話をする。竹田方面山間地の道路状況(積雪や凍結など)を尋ねる,今日はまもなく雨となり凍結するかどうか微妙なところだと言う。
安全のため,レンタカーにチェーンを積み込んで出発。
 まず半島のほぼ中心の山間部にある文殊仙寺に向かう。途中,”道の駅”で休憩 野菜類がなんでも100円だ!安いね〜(@_@) 「定年後に,こういうところに住んでいれば年金でも十分暮らしていけるね〜」と妻が呟く。
 しばらくして海岸沿いの国道から左折して山道に入る。この頃から煙雨が滴雨になる。

 国東半島は「仏の里」と呼ばれている。
古代の宇佐で生まれた八幡信仰は,やがて古代仏教と融合して全国に広まっていった。
 国東半島にある六つの郷(両子山を中心として放射状に広がる 来縄郷 田染郷 伊美郷 国東郷 安岐郷 武蔵郷)では平安時代,「神仏習合」が天台宗と結びつき山間に多くの寺院を擁して独特の仏教文化が花ひらいていった。これが六郷満山文化といわれるもの。
 奇岩奇峰の山あいには,富貴寺大堂(国宝),真木大堂(国指定重要文化財),熊野磨崖仏(国指定重要文化財),文殊仙寺,両子寺,椿堂などの見事な文化財や,名もない石塔や野仏等に出会うことができる。



文殊仙寺 もんじゅせんじ
[拝観料 無料]

 最初に着いた所が文殊仙寺
国東町と国見町にまたがる半島2番目の616mの山あいにある。広い駐車場(無料 国東のお寺を始め今回訪れた観光スポットにはすべて無料駐車場があった)には1台の車も来ていない。バス停はあるにはあるが,時刻表によれば一日に2便しかない。
 日本三文殊のひとつに数えられる文殊仙寺入り口にある優れた造形美を持つ仁王像(1379年頃の造立で国東最古?)
 石段は奥の院まで350段あった。
 奇岩怪峰が重なり文殊耶馬とも呼ばれる景勝の地で,樹木におおわれシーズン時には紅葉がみごとなことだろう。
周囲の自然林は朝日新聞社選定の「未来に残したい日本の自然100選」に選ばれているそうだ。
 国東最大の大きさを誇る宝篋印塔
 天保4年から7年間,延べ1万3千8百人で築き上げられたという。
 山の斜面に並ぶ石仏 十六羅漢像
 なかなか魅力的な羅漢さんたちがおられました。
 鐘楼と大ケヤキ
 
 文殊仙寺は1355年の伝統をもつ天台宗の寺院。
 昨年(2004)9月8日の台風18号で屋根が壊れ本堂は修理中であった。


両子寺 ふたごじ
[拝観料 200円]

 次に向かった所が両子寺。文殊仙寺からすぐ近くなのだが,いったん麓まで下ってからのアプローチになる。
 養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰,標高721mの両子山の中腹にあり,奥の院・総門・仁王像・苔むした石段などが往時を偲ばせる。

 参道の石段両脇に立つ約2mの石造仁王像が有名だが,わたし達はそれより上部にある駐車場に車を止めて見学したので,この仁王様は見逃してしまった残念!ウェブサイトの[写真]で我慢。

 入って正面に書院・客殿右手に護摩堂を見て,よく整備された石段を少し登ると大講堂の脇に出る。
大講堂は江戸期の大洪水により倒壊したものを平成元年〜3年にかけて再建したものとのこと。その中に祀られる本尊阿弥陀如来像 は木造 高さ84.5cmで,鎌倉時代末期から南北朝時代の作と伝えられている。
 境内はなんとなく,観光地化しているというか,商売っ気たっぷりというか落ち着かない雰囲気でわたしの好みに合わない。
 
 杉木立の中をさらに登ると右手奥の院への石段の手前に立派な国東塔が立っている。
 
奥の院本殿

 奥の院は岩屋の本堂で,古くから子宝祈願として参拝が多いとか。わたし達もひとり孫に弟妹ができる様にとお祈りした。
 裏手にある巨岩の洞窟には不老長寿 の岩清水が湧いている。
 
 杉木立の中,奥の院入り口の大きな国東塔と石段の途中にあるやや小型の国東塔。
 国東塔とは国東地方にある宝塔の一種で他の塔と区別するため命名された。
 建立の目的は
    1.納経(祈願)のため
    2.供養(追善)のため
    3.逆修(生前供養)のため
    4.墓標のため
 と言われている。
 基礎・台座・塔身・相輪からなる。塔身の肩の上部に孔の開いたものがあり,出家得度の際剃髪や納経を入れたという。


真木大堂 まきおおどう
[拝観料 200円]

 山を下って冬枯れの田んぼの広がる一角にある真木大堂へ。
国東半島には中心の山から放射状の,およびこれと交差する環状の道路が発達していて,これがまたくねくねとしていて他所者にとっては道が分かり難いこと甚だしい。カーナビが無かったら全くのお手上げになるところだ,でも山中では現在位置は表示するものの行き先の設定が圏外ということで機能しないことがしばしばあるので見当つけて走り出し,里に近づいてから再設定を何度か試みてようやくOKとなるのがやや不満ではあったが・・・・・・  
 真木大堂入り口

 かつては宇佐神宮の境外寺院として建てられた六郷満山の寺のうち本山(もとやま)本寺でかつては伝乗寺という七堂伽藍・36坊を備えた国東最大の寺院であったと推定されている。
 現在は江戸時代に再建された小さな旧本堂と収蔵庫が建っているのみ。
 旧本堂
 
 平安時代の建立で往時は広大な境内に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院であったという。
往時の伽藍は約700年前に火災のため焼失し現存する九体の仏像は当時の人々の厚い信仰と守護のもとに難を免れて今日に至っているという。
 
 
 阿弥陀如来像と四天王立像

 
収蔵庫には藤原時代の九体の仏像が安置されている。
 六面六臂六足、火炎光背を背負い水牛にまたがる大威徳明王像は見ごたえがあり、仏師の力量・深い信仰にもと基づく情熱も伝わってきて立ち去りがたい感動を覚える。
 阿弥陀如来座像は高さ約2.2mの堂々たる座像で木造,螺髪,光背は二重円光で六仏が配されている。端正で量感あふれる本尊仏。藤原時代の作。
 立ちポーズの不動明王像、四天王立像は高さ約1.6mの木造立像で持国天・増長天・広目天・多聞天でいずれも邪鬼を踏みつけ,生気あふれる姿勢が感じられる。何れも密教彫刻が頂点を極めた平安後期に造られた見事な作品で、9体全ての仏像が国の重文に指定されている。
 古代公園

 
国東半島に散在していた石造物を外苑に集め展示している。
宝塔・五輪塔・庚申塔・板碑・石仏の宝庫だ。多くの石造文化財が手軽に鑑賞できる。


 真木大堂から数分の所に熊野磨崖佛があるのだが,山道と乱積み石段を20分程歩かなければならない,雨天なので明日出直すこととする。
 もう午後3時を廻っているけど,さほどおなかが空いてはいないので門前のお土産屋で,地元豊後高田のお菓子”有平糖黒ごま”(クッキー感覚の飴菓子)を買ってお茶を飲んで昼食代わりとする。
 次に向かったのは車で30分ほどの富貴寺

富貴寺 ふきじ
[拝観料 200円]
 雨天のため堂内見学不可で拝観料はなし

 718年(養老2)創建と伝えられる天台宗の古刹で,六郷満山の本山末寺の一つ。
ここのお目当ては九州最古のカヤの白木造り建築である国宝大堂だ。平安後期の作。蕗の大堂とも呼ばれ,蕗谷の丘陵の中腹南面に堂々たるたたずまいを見せてくれた。
 この辺り,しずかな里山といった風情で春の梅や新緑,秋のイチョウ・モミジなど四季の彩りがきっと素晴らしいことであろう。

 山門

 柱の上に彫られている飾り彫刻も立派である。
山門の両端に地石をつかった仁王様が,入門する人々に睨みをきかしている。
 深閑とした境内に紅梅がもう蕾を膨らませていた。
 仁王像

 左側の阿形像。力強い彫刻,悪の入るを許さじと右手をぐっと前に突き出している。

 右側の阿形の像。こちらは,大きく口を開き悪人を一喝しているよう。

 以前は山門が無く雨露にさらされて居たそうだ。
  富貴寺大堂(ふきじおおどう) 国宝
 
 正面3間・側面4間,屋根は一重・宝形造。「行基葺き」という古風な瓦葺きの形を留めている。西国唯一の阿弥陀堂で九州最古のかやの木で造られた木造建築物。平安末期の12世紀後半に創建された。
 京都の平等院鳳凰堂・岩手の中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられている貴重な建造物。

 内部には藤原時代末期の作と推定されている本尊阿弥陀如来像(重文),観世音菩薩と勢至菩薩立像(ともに県指定有形文化財)が安置され,堂内の極楽浄土を描いた壁画(重文)は日本の四大壁画の一つ。
 
 建物のみならず,仏像や内部の壁画が,地方に残る平安文化を伝え,貴重である

 壁画保護のため雨天時は閉鎖されており見学出来なかったのが心残りであった。
 静かな佇まいで落ち着いた雰囲気のなか境内の国東塔や板碑・笠塔婆・梵字石などを見て心ほどけるひと時を過ごす。
 境内の笠塔婆(県指定有形文化財)

 石造りの塔婆の上に笠石や宝珠が置かれている。
 大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆,室町時代の国東塔等が並んでいて珍しかったり興味深いものが多い。 
 石仏群

  笠塔婆の後ろの石垣の上に苔や草に半分覆われているが面白い形をしている石仏像が並んでいる。あの世への関門mに並ぶ裁判官達である。真ん中が十王像、隣に地蔵菩薩像・奪衣婆(奪衣ばあさん)
どれも人間くさい風貌と仕草をしている。

 3時50分富貴寺を出る。ここまでは順調に来た,そろそろ宿に向かうべき時間だ。地図を取り出して道順を調べると宿に向かう道すがらに椿堂があることに気付く。ちょっと覗く程度にして寄っていくことにした。
 カーナビをセットして出発,椿堂の駐車場についたのが4時30分,日没は5時半頃だから何とか日の暮れないうちに宿には着けそうだ。(と思ったのが失敗であったのだが!)

 駐車場から朱色に彩られて灯篭で飾られた参道を5分ほど歩くと椿堂に着く。
ここは,弘法大師ゆかりのお寺だ。六郷満山を起源とする寺院が多い国東では異色な風景,ちょっとけばけばしいというか,新興宗教っぽいというか,そんな感じである。
 もう時間的に参拝者もいないのか奥へ入る木戸は閉まっていて,拝観料小屋のおばさん?が帰る支度をしている。わたし達もあまり観るほどのものも無いなと思い早々と引き上げる。
 椿堂のすぐ隣に同じく弘法大師関連の椿光寺というのがあって,ややこしい!
 ここは,時間を気にしながら訪れるほどの場所ではなかったと反省しきり!

 椿堂

 伝説によれば弘法大師が唐から帰る途中に風雨にあって国東の浜に漂着されてしばらくこの地に滞在された。しばらくして所持していた杖を地にさしてこの地を去られたが,その後,杖から芽が出て椿の大木になった。
 宝暦10年(1760年)その椿の大木で椿堂として建立され,現代でも無病息災、諸願成就の寺として参拝者が絶えないと言う。
 椿光寺

 (しゅんこうじ)と読む。こちらも弘法大師伝説の寺である。
境内には修行大師像を始め薬師如来・阿弥陀如来・弘法大師が安置されている。
 

 さて,椿堂から今夜の宿,赤根温泉へは来た道をそのまま進めば山道ではあるが4,5kmで着く筈である。例の如くカーナビが圏外なのでナビ無しで出発したが,道がだんだん細くなって日も暮れかかって来て心細くなってくる。たまたま歩いてくる人に尋ねると「行けない事は無いけど,良くは分からない。戻って広い道を行ったほうがいいんじゃないか」と言われる。仕方ない”急がば廻れ”とUターン。
  数キロ走る毎にカーナビセッティングを試み何回目かで成功。大変な大回りで距離にして20数キロ,時間にして40分と言う表示が出る。  

あれ〜道に迷っちゃったよ〜〜〜!

 途中で日が沈みとっぷり暗くなった。日が暮れてから不案内の道をドライブするのは嫌なもんだ。それでも6時前には宿の近くまでやってきたのだが,T字路で表示を読み違えて左折するところを右折してしまった,すぐ気がついてバックしたのだが,またまた宿への案内板を見逃し行き過ぎてしまった。こうなるとさすがのカーナビも混乱してしまうらしい。「ルートを捜しています」という表示が繰り返され,お手上げの状態となる。携帯電話も圏外で通じない。
 多分こっちの方だろうと再びUターンしてほんの2〜300m行った所に宿へのアクセス表示板があってホッ!
6時過ぎ無事チェックイン
国見温泉 あかねの郷

 さっそく温泉につかる。泉質はカルシウムー硫酸塩泉で無色透明,源泉で39.2℃,神経痛や筋肉痛・慢性皮膚病に効くとある。まろやかな感触の湯でまあまあの湯と見た,ただし浴槽内部の壁面に湯の排出栓らしきものがあり循環式の疑いあり。
 和室はトイレがついていないと言うので洋式部屋とした。屋根裏部屋がある構造で一部屋に5〜6人位泊まれそうだ。お客はわたし達のほかには一組2人のみで貸しきり状態。
 ルームチャージが10,500円,夕食は事前に懐石料理5,000円コースを依頼しておいた,結構豪華な食事で係りのお母さんの国見町の人たちの暮らしぶりや農家が細々と作っているという野菜や果樹,豊後水道で獲れる魚介類の話などを聞きながら舌鼓を打つ。
 地元の人たちがお風呂だけ入りに来るらしい,あすは26日”フロ”の日で大人は100円,子供は無料というビラが貼られていた。
 翌朝見かけたバス停で,一日4便しかないことが分かった。国東半島は車無しでは周れないなあと改めて感じた。
 
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