8/14(水)

 今日もまたきつい日程が続く

 5時45分モーニングコール、6時30分朝食。7時10分ホテル発で都江堰・成都経由重慶を目指す。
 
 進藤さんがちょっとお腹をこわしたようだが、さいわい大したことはなさそう、他のメンバーはこの強行日程にも拘らず皆元気。旅慣れた人たちばかりのせいかなと思う。

 

 往路、激しい渋滞に出会った箇所や1車線トンネルは何事もなく通過

 9時25分都江堰市に到着。

都江堰管理センター


 「四川省水利電力庁都江堰管理局」の展示場と会議場で説明を受け質疑応答後、都江堰へ。

 都江堰は、成都の西北約50kmにある灌漑用水取水施設である。

 岷江の氾濫をくい止めるために紀元前256年に工事が開始され数世紀後に完成したという。
 新中国成立後に大改造が行われ、現在も成都盆地の農地を潤している。灌漑面積は67万ヘクタールだという。ちなみに日本の愛知用水は2.3万ヘクタールだからその規模の巨大さが分かる。

 「砂嘴」「飛砂堰」「宝瓶口」を見学。
前二者は近代に造り替えられた構造物である。砂嘴は中州の島を核として造ったものと思うが、説明では、まったく新しく造ったと言うがちょっと信じ難い。
でも紀元前3世紀の頃にこのサイトを見つけ、FSをした上、こんな大規模な土木工事が出来る技術を持った人々がいたことは驚きだ。

紀元前に造られた水利施設が今も使われているって信じられる?

 ひるがえって当時の日本はやっと弥生時代前期で、北九州あたりで稲作文化が根付き始めたに過ぎない。彼我の文明発展度合の差を痛感させられる。
 また、都江堰よりはるかに巨大な土木工事の例を古代に見いだすことは容易だが、それらは遺跡として残っているだけだが、都江堰は、未だに生き続け、成都盆地に住む人々に恩恵を与え続けている。 
 この違いは何か?権力の誇示のために造られたものは、権力の衰退とともに廃墟となって砂漠に埋もれるか観光資源になるしかない。これに対して、権力が亡んでもそこに住む人々のために造られたものは、そこに住む人々の生活の営みが続く限り改修/改良を重ねながら維持され今日に至っているものと考えられる。

都江堰上流部全景 中州状の金剛堤にわたるつり橋にて

 12時20分 都江堰を離れ成都に向う。
 陳麻婆豆腐店で昼食、激辛と日本人向けのものと二種類を賞味。
 
 その後、おなじみ「ガイドさん付き合いショッピング」で杜甫草堂のすぐ前にあるお茶を売る店に寄る。
 おばあちゃんは、清代末の皿と言うふれこみに衝動買い(あとで、白帝城の麓の路傍でこれとまったく同じものが二束三文で並べられていた)。
 
 それにしてもすぐそばまで行きながら、あの杜甫草堂に寄らず買い物を強要させられるってえ〜のはまこと嫌な感じ!
 わたしはトイレを借りてお茶だけご馳走になった。

330km離れた重慶へひた走り

 16時30分成都発 成渝高速道路で重慶へ。

 この高速道路で感じたこと


 21時10分重慶市内に入る。
 21時40分 「海外大酒楼」で火鍋料理をかき込んで23時40分ホテルチェックイン。

 明日もまた早いチェックアウト(6時30分予定)だが、これで今回の旅は山を越えた。明日からの二晩は船中泊で移動なし、ゆっくりできそう。

  旅はこの後、重慶からの三峡下り、三峡ダム見学、葛州霸ダム見学、上海、朱家角、周庄、蘇州と続きました。

瞿 塘 峡 白帝城入り口にて 神 農 峡 左岸側半分がほぼ完成した三峡ダム

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